5月5日は端午の節句で男の子が主役ですよね。
7月7日は、まぁ、元の意味的には「サボってるとそのうち天罰が下るからマジメに仕事せんかい」という話なので、さしずめ社会人の節句とでもいえましょうか。
しかし、その次にある節句のことって、現代人はほとんど知らないですよね。
というわけで今回は、忘却の彼方に追いやられてしまった、9月9日「重陽の節句」のお話。「ちょうようのせっく」と読みます。
奇数の中でも特段スバラシイ9が重なって超ヤバい!
「重陽」などと申しますと、なにやら漢語的なかほりがしますよね。
というか、もともと「節句」自体が中国の概念です。
中国の験担ぎのような考え方である「陰陽思想」では、奇数がめでたいものとされていましたが、奇数月の同じ数字の日だと「幸せすぎて怖い」(超訳)みたいなイメージをもたれるようになったので、それを祓うために何かしら行事をやることになったんですね。
そして、その中でも「9」は奇数の中でも一際スバラシイ=重なるとめっちゃ恐ろしいということで、逆に盛大に祝おうということになりました。
「9」に対するイメージが日本とは真逆のような、結果的に同じなような……。
まぁともかく、そこで出てくるのが菊の花です。
菊の花には邪気を祓う力があると信じられていて、「重陽の節句に菊の花びらを浮かべたお酒を飲む」ことにより、長寿祈願になるとされていました。
中国では前漢(高祖=劉邦が建てた王朝)の時代に、このお祝いが始まったといわれています。
そして日本でも、平安時代からこの日に菊酒を飲むことが行われていました。
日本酒で「菊」のついている品名が多かったり、酒造メーカーの社名に「菊」がついていることが多いのは、このためかもしれませんね。
調べてみたんですが、はっきりわかりませんでしたスイマセン(´・ω・`)
皇室の紋として多用されたのは鎌倉時代から
さて、もう少し「菊」という花の話を添えておきましょう。……はなのはなs……何でもありません。
菊は仏事のお供だったり。
菊人形だったり。
日本では色々な場面で使われる花ですが、やはり欠かせないのは皇室との関係です。
上記の通り、平安時代に菊酒があったということは、それ以前から皇室の象徴だったと思いますよね。
ところがどっこい。菊の花が皇室の紋として多用されるようになったのは、鎌倉時代からのことです。
歴代天皇の中でも、「承久の乱」を起こしたことで有名な後鳥羽上皇が菊の花を愛好していたことから、いつのまにか皇室の紋としての位置を確立したのだとか。
ちなみに後鳥羽上皇は刀も好きで、自ら焼刃をしたこともあります。
中でもお気に入りのものには菊の紋をつけたので、その刀は「菊御作」と呼ばれるようになりました。
また、後鳥羽上皇が召しだした刀鍛冶の中に「備前一文字派」という流派の人がいるのですが、これらの逸話が混ざって、これまたいつの間にか「後鳥羽上皇が好んだ刀は菊一文字という名だ」という話ができたようです。
同名の会社が包丁やはさみなどのメーカーとして存在していますが、「聞く一文字」という名前(銘)の刀はないということですね。
でもゲームだとよく出てきますよね。そもそも菊の花がなさそうな世界観でも。
慶弔両方に使える万能な植物
一般人や武士の間で菊が好まれるようになったのは、江戸時代になって菊の品種改良が行われてからです。
これは毎年の恒例行事になっており、スタンダードな形からエキセントリック(※個人の主観です)な形状のもの、さらにさまざまな色の組み合わさった菊が生み出されました。
今では「菊の花なんて葬儀みたいで辛気くさい」という人もいますし、重陽の節句もほとんど忘れられてしまっていますが、たまには古きよき行事として思い出してみてもいいのではないでしょうか。
花に罪はないですし、慶弔両方に使える万能な植物ということで。
現在でも、菊祭りは各地で行われています。京都の上賀茂神社のように、重陽の節句に神事を行うところもあります。
身近なところでいうと、お刺身に載ってる生花はタンポポじゃなくて菊ですので、酒に浮かべる代わりにアレを食べるのもいいかもしれませんね。
本来は殺菌のために載せられているそうですが、栄養価は結構イイらしいので、結果的に長命が期待できる……かも?
長月 七紀・記
【参考】
重陽/wikipedia
キク/wikipedia
日本文化いろは事典