飛鳥・奈良・平安時代

皇后・中宮・女御・御息所・更衣・女院の違いは?天皇「后妃の法則」

以前、「官位」についてマトメたことがあります(主に奈良~平安時代)。

どんな内容だったか? ザッと申しますと……。

・官位の「官」は「官職」を指しており、中務省や式部省、治部省などがある

・官位の「位」は「位階」を示しており、正一位や従三位、正四位などがある

とまぁ、こんな感じで、RPGに喩えたら「職業=官職」と「レベル=位階」ですね。

モヤッとする「位階と官位」の仕組み 正一位とか従四位にはどんな意味がある?

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平安時代は、こんな感じで

「なんとなくは理解していたけど、いざ聞かれるとキッチリ答えられない」

という曖昧なものがありがちではないでしょうか?

そこで今回は、その代表格の一つ、天皇の后妃(こうひ)についてスッキリさせたいと思います。

「皇后様は偉い!」

そんな印象はおありかと思うのですが、

「では、中宮は?」

源氏物語で印象的だった御息所は?」

「他にも女御とか色々あるよね?」

「彼女らの呼び方の差は?」

と色んな疑問が湧いてきたりもします。

天皇の后妃について【皇后・中宮・女御・御息所・更衣・女院の特徴】をスッキリまとめてみました。

 

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◆皇后

言わずと知れた天皇の正式な伴侶です。

といっても自動的になれるわけではなく、立后(冊立)の儀式を経て、初めて「皇后」と呼ばれるようになります。

奈良時代に定められた大宝律令では

「天皇の后妃は皇后・妃二人・夫人三人・嬪四人」

となっていましたが、意外にも皇后の出自については特に規定がありませんでした。

ただし、妃については「四品以上の内親王」とする規定があったため、皇后も内親王から選定されるのが前提でした。

ぶっちゃけた言い方にすると「天皇の正式な伴侶なんだから、皇族から選ぶに決まってんだろjk」(※イメージです)という感じですかね。

ちなみに律令下での内親王とは、天皇の娘(皇女)と天皇の姉妹にあたります。

四品とは、親王と内親王に与えられる位の一種で、この仕組みを品位(ほんい)と言います。藤原氏などの貴族が受け取る「位階」の皇族バージョンですね。

しかし、こうした仕組みも徐々に変化して参ります。

聖武天皇が、藤原不比等の娘・光明子を皇后に立てたことがきっかけで、皇族以外からも皇后に立てられる例ができました。

やっぱり藤原氏ですよ、藤原氏。

なにせ藤原氏と皇族でその9割以上を占めており、そのほかには「源・平・橘」各氏の出身が一人ずつというものでした。

また、第二十五代・武烈天皇の皇后とされる春日娘子(かすがのいらつこ)は出自が完全に不明だそうで。

武烈天皇自体が実在したかどうかアヤシイ存在ですので、大きな問題ではないのですが、今後、武烈天皇の実在や娘子の出自に関する史料が出てきたら、まず間違いなく国宝モノでしょうね。

御物(ぎょぶつ・皇室の財産とされる物で、国宝とは別格)扱いになって、封印されるかもしれませんが。

また、天皇の妻ではない「皇后」もいました。

この変が、皇后という表記を非常にややこしくするものでありましょう。

天皇の姉などに皇后と同じ待遇を与えたことによって、そう呼ばれました。名誉職みたいなものですね。

他にも立后前に薨去した妻が皇后の位を贈られることもありましたが、これらはレアケースという認識で良いかと。

また、伴侶である天皇が崩御し、皇后が生存している場合は「皇太后(こうたいごう)」と呼ばれることがあります。

さらに世代が進み、皇后の孫にあたる人が天皇になった場合は「太皇太后(たいこうたいごう)」となりますが、必ずしも皇后だった女性が皇太后や太皇太后になるとは限りません。

後述する「女院」となった場合は「◯◯院」と呼ばれていました。上皇や法皇のことも「◯◯院」と呼びますし、建造物の場合もあるので、実にややこしいところです。

前後の文脈で判断できますが、読むのがめんどくさい場合は、まず天皇の一覧から「◯◯院」の「◯◯」の部分を検索するのがいいでしょう。

天皇の一覧になければ、女院の可能性が高くなるかと思います。

 

◆中宮

一条天皇と藤原定子藤原彰子の話題で、特によく出てくる単語ですね。

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元々は皇后の住まいを「中宮」と呼び、そこから転じて皇后の別称となりました。

皇后のお世話をする部署を「中宮職」というのですが、これも皇后の住まいの名からきています。

藤原道長が娘・彰子を一条天皇にゴリ押しして以降、たびたび二人の皇后が並立されるようになりました。そこで、先に入ったほうを「皇后」、後に入ったほうを「中宮」と呼ぶのが定着します。

これはただの区別であって、身分や待遇に上下はありません。

むしろ、二人の妻の上下をつけないために「皇后・中宮」の名称を用いた……というほうが近いかもしれませんね。定子と彰子もそうですし。

一つものすごくややこしいのが「枕草子」などにあります。

皇后になった後の藤原定子を「中宮様」と呼んでいることがありますが、これは上記の通り「皇后の住まい」のことも指しますので、不自然な話でもないのが面倒なところです。

明治時代に昭憲皇太后(当時は皇后)が立てられた際、天皇の正妃は「皇后」で統一されたため、それ以降「中宮」は使われなくなりました。

この辺は時代の変化が出ておりますね。

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◆女御(にょうご)

平安時代に生まれた后妃の名前の一つで、最初は四位・五位などの低い身分とみなされていましたが、時代が進むと三位の女御もみられました。

さらに摂関家の姫が女御になることが定着してからは、その中から皇后を選ぶ慣習ができます。

『源氏物語』の最初の話・桐壺の巻冒頭にこんな一文があります。

「いづれのおほん時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひける中に」
【意訳】「どの帝の御代であったか、女御や更衣が大勢いる中で」

この部分から、女御には定員がなく、複数が同時に存在するケースも珍しくなかったことがわかりますね。

なお、女御や更衣の場合、住んでいる建物の名称から「弘徽殿(こきでん)の女御」や「承香殿(しょうきょうでん)の女御」などと呼ばれました。

弘徽殿は天皇の住まいである清涼殿に最も近いため、皇后の第一候補とも呼べる立場の女御が入っていたようです。

余談ですが、源氏物語における「弘徽殿の女御」は二人います。

一人は光源氏の兄・朱雀帝の母でキツイ感じの女性、もう一人は前者の姪にあたる頭の中将の娘です。

どちらも物語の中ではやや不遇な立場で、前者はもっと遠い桐壺に住んでいた光源氏の母・桐壺の更衣に帝の寵愛を奪われ、後者は冷泉帝の皇后の座を巡って光源氏の養女・梅壺の女御(=秋好中宮)と対立し、敗れています。

こういった細かいところに、紫式部の絶妙なさじ加減がうかがえますね。

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また、本人の住まいではなく、父親の屋敷がある場所の名を取って「堀川の女御」「高倉の女御」などと呼ぶ場合もあったようです。

中宮とともに女御の名も明治維新で廃止されたため、やはり現代では使われていません。
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