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身分の高い人に仕えていた女性使用人を女房と呼ぶ
女房とは、公的・私的を問わず、身分の高い人に仕えていた「女性使用人全般」のことを指します。
宮中においての女房が公的な身分を持っていたのか、あくまで后妃たちの私的な使用人だったのか……これについては、まだ専門家の間でも見解が分かれているようで、ややこしや~。
というのも、女房は、
「元々宮中に仕えていて、後から入ってきた后妃に配置換えされた人」なのか
「后妃が入内する際に実家からついてきた(あるいは後日実家からやってきた)人」なのか
明確に区別されていたかどうかが不明なのです。
例えば、紫式部の娘・大弐三位(だいにのさんみ)は母と同じく藤原摂関家の繋がりで藤原彰子に仕えました。
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しかし、後に後冷泉天皇の乳母になったため、その即位後に三位を授かってから「大弐三位」と呼ばれるようになっています。
私的な使用人が公的な立場をもらったパターンですね。
平安時代における皇室の取り決めは、とても厳格なイメージでしたが、結構テキトーというか、おおらかな感じがしますね。
内侍司の女性が「皇后候補」として注目されるようになると、そのトップである尚侍は、ほぼ藤原氏の女性しかなれませんでした。まぁ、それが権力というやつですね。
ただし、鎌倉時代になると、任命すらされなくなっていきます。
清少納言も枕草子の中で言ってた!
これに対して、No.2の「典侍」以下は、公家であればどの家でも構わなかったようです。
特に典侍の場合、有職故実に詳しい人や、音楽・和歌など芸術を得意としていれば、三位という高い位と、年給をもらえることもあったとか。
現代でいえばバリキャリというやつで、宮中の花形。
清少納言も、枕草子の中で
「きちんとした家の娘なら、典侍などとしてしばらく宮中に勤めさせ、世の中を見せたほうがいいと思う」
という感じのことを書いています。
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また、実務の責任者である典侍と、そのすぐ下の部下である掌侍を合わせて「内侍」と呼ぶこともあります。
天皇が出御する際に剣を捧げ持つ役や、祭礼の使者など、祭祀や仏事に関わる幅広い仕事をこなしました。
また、三種の神器の一つ・八咫の鏡を守護する役目も担っています。
儀式以外の普段の日には、天皇・皇后の身の回りの世話や、下賜・献上品の管理、外に住んでいる皇族が天皇・皇后を訪ねてきたときの取次などを行っていました。
後宮の何でも屋さんというか、西洋でいうところの執事(バトラー)やメイド長(ハウスキーパー)などがイメージとして近いかもしれませんね。
ちなみに、掌侍の筆頭にあたる女性を「勾当内侍(こうとうのないし)」または「長橋局(ながはしのつぼね)」と呼びます。
勾当内侍というと、新田義貞に愛された女性の名として有名ですが、本来は個人名ではなく役職名なんですね。
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