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【『光る君へ』で注目 平安時代の下級役人】
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兵部丞( ひょうぶのじょう )
兵部丞とは、兵部省の第三等官のことです。
その存在を有名にしたのは他ならぬ『紫式部日記』でして。
泥棒が入った際、紫式部が
「兵部丞を呼んで来て!」
と叫ぶシーンがあります。
実はこのとき兵部丞を務めていたのが彼女の弟・藤原惟規でしたので(兄という説も)、手柄を立てさせてやろうとしたのでしょう。
しかし、惟規はすでに退出していて、
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代わりにやってきたのは式部丞(藤原資業・すけなり)でした。
彼が明かりをつけて回っているところを、紫式部は「恨めしい」と記しています。
資業を嫌っていたとかムカついたとかではなく、惟規のタイミングの悪さを嘆き、資業が文章得業生(特待生)に選ばれるほど秀才だったことなどが理由だったようです。
本来、兵部省は武官の人事や兵士・兵器の管理などを担当するお役所です。
中央の人々は文官であるため、自ら兵を率いることもありません。
『源氏物語』では、光源氏の異母弟・蛍兵部卿宮や、紫上の父が兵部省のトップである兵部卿の経験者です。こちらで覚えていた方も多いでしょうか。
その資業が務めていたのは「式部丞」という役職でした。
式部省は大学寮・散位寮を管轄する役所で、本来はこういった警備などの仕事は管轄していません。
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しかし資業は、蔵人(天皇の近辺に仕える秘書)も経験していたため、機転が利いたのかもしれませんね。
あるいは、たまたま居合わせたとか、騒ぎを聞きつけて駆けつけたとか、まぁ、偶然なのでしょう。
◯◯式部は大勢いる
式部省は、長官の式部卿を親王が務める習わしで、『源氏物語』では、光源氏の従姉・朝顔の君の父(桃園式部卿宮)が選ばれていました。
また、式部省に勤めていた人の娘が出仕した場合、「◯◯式部」と呼ばれることが多くなっています。
その代表例がほかならぬ紫式部です。
他にも和泉式部などが有名ですし、『紫式部日記』には”源式部”という人も登場します。
女房名には父か兄弟、夫の官職をつける習慣があったため、我々が知っている以上に「◯◯式部」がいたのでしょう。
また『源氏物語』序盤「帚木」の「雨夜の品定め」でも式部丞という人物が登場します。
その後は全く出てこないので鳴かず飛ばずだったのか、若いうちに亡くなったのか、紫式部が忘れてしまったのか。
式部丞は、式部省においては上から4~5番目あたりの官職ですから、悪くはない立場のはずなんですけどね。
大河ドラマでは、地味な役回りに”期待の新人”とも言える役者さんがキャスティングされることもありますので、着目しておくと将来「あ、あの人か!」となって面白いかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
ほか