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【平安時代の下級役人】
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女蔵人(にょくろうど)
内侍・命婦の下で雑用をする女性の役人です。
『紫式部日記』の冒頭にも登場していますので、覚えている方もおられるのではないでしょうか。
彰子の女房たちが女蔵人を呼んで御格子(みこうし)を上げさせようとしているシーンがあります。
御格子は現代でいうところの雨戸のようなもので、木でできた格子と板を組み合わせたような形。
現代でも寺院や神社で使われていますので、お立ち寄りの際は目を凝らしてみるといいかもしれません。

蔀戸(しとみど・黒い格子)の背後で語り合う女房たち(紫式部日記絵巻/wikipediaより引用)
また、ある年の大晦日に盗賊が内裏に入り込んだときにも、女蔵人の「内匠(たくみ)の君」という人が登場します。
盗賊に襲われた他の女房たちの叫び声が聞こえた際、紫式部はこの内匠の君を先に歩かせて現場へ向かいました。
おそらく紫式部のほうが立場が上だったでしょうし、悲鳴が聞こえた時点でそばにいたようにも読めるので、日頃からある程度冗談が通じるような間柄だったのかもしれません。
女孺(にょじゅ)
宮中に仕えていた童女のことです。
現代では児童労働で大問題になってしまうでしょうけれども、そもそも近代までそのような概念はありません。
幼い頃から貴人の身辺に仕えることで、日常習慣や儀式の作法などを身につける意味もあったと思われます。
また『紫式部日記』では、前述の内匠の君が女嬬と思われる子供に縫い物などを教えていたことが書かれており、女嬬たちにとってはそれぞれの勤め先が学校のような役割も果たしていたようです。
なんせ成長後も宮中に仕えていれば、男性貴族たちと間近に接する機会もありますしね。
それまでに教養や才気を身に着けておれば、良い結婚相手に出会えることもあったでしょう。
正式な結婚をしなくても、何か一点に秀でて、かつ健康ならば宮中に長く仕えることができたり、主人の実家に頼られたり、比較的安泰な生活を送れたのではないでしょうか。
源氏物語では、かなりの高齢になっても恋愛を楽しんでいる「源典侍(げんのないしのすけ)」という女官が登場しますが、おそらく彼女は正式な結婚をせずにずっと宮仕えをしていたと考えられます。
源典侍は源姓なのでおそらく賜姓源氏の末裔と思われますし、女嬬からの生え抜きとはいえなさそうですけれどね。
さて、ふたたび男性の役人のお話に戻りましょう。
後宮の担当でない表の役人も『紫式部日記』にはたびたび登場します。
兵部丞( ひょうぶのじょう )
兵部丞とは、兵部省の第三等官のことです。
その存在を有名にしたのは他ならぬ『紫式部日記』でして。
泥棒が入った際、紫式部が
「兵部丞を呼んで来て!」
と叫ぶシーンがあります。
実はこのとき兵部丞を務めていたのが彼女の弟・藤原惟規でしたので(兄という説も)、手柄を立てさせてやろうとしたのでしょう。
しかし、惟規はすでに退出していて、
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代わりにやってきたのは式部丞(藤原資業・すけなり)でした。
彼が明かりをつけて回っているところを、紫式部は「恨めしい」と記しています。
資業を嫌っていたとかムカついたとかではなく、惟規のタイミングの悪さを嘆き、資業が文章得業生(特待生)に選ばれるほど秀才だったことなどが理由だったようです。
本来、兵部省は武官の人事や兵士・兵器の管理などを担当するお役所です。
中央の人々は文官であるため、自ら兵を率いることもありません。
『源氏物語』では、光源氏の異母弟・蛍兵部卿宮や、紫上の父が兵部省のトップである兵部卿の経験者です。こちらで覚えていた方も多いでしょうか。
その資業が務めていたのは「式部丞」という役職でした。
式部省は大学寮・散位寮を管轄する役所で、本来はこういった警備などの仕事は管轄していません。
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しかし資業は、蔵人(天皇の近辺に仕える秘書)も経験していたため、機転が利いたのかもしれませんね。
あるいは、たまたま居合わせたとか、騒ぎを聞きつけて駆けつけたとか、まぁ、偶然なのでしょう。
◯◯式部は大勢いる
式部省は、長官の式部卿を親王が務める習わしで、『源氏物語』では、光源氏の従姉・朝顔の君の父(桃園式部卿宮)が選ばれていました。
また、式部省に勤めていた人の娘が出仕した場合、「◯◯式部」と呼ばれることが多くなっています。
その代表例がほかならぬ紫式部です。
他にも和泉式部などが有名ですし、『紫式部日記』には”源式部”という人も登場します。
女房名には父か兄弟、夫の官職をつける習慣があったため、我々が知っている以上に「◯◯式部」がいたのでしょう。
また『源氏物語』序盤「帚木」の「雨夜の品定め」でも式部丞という人物が登場します。
その後は全く出てこないので鳴かず飛ばずだったのか、若いうちに亡くなったのか、紫式部が忘れてしまったのか。
式部丞は、式部省においては上から4~5番目あたりの官職ですから、悪くはない立場のはずなんですけどね。
大河ドラマでは、地味な役回りに”期待の新人”とも言える役者さんがキャスティングされることもありますので、着目しておくと将来「あ、あの人か!」となって面白いかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
ほか