藤原道綱母と蜻蛉日記

浮世絵にも描かれた『蜻蛉日記』岳亭春信:画/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

藤原道綱母と『蜻蛉日記』が今でも人気あるのは兼家との愛憎劇が赤裸々だから

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別の女の出産を全力アピールする兼家

藤原道綱母は、たまに兼家がきても塩対応をするようになっていきます。

しかし、近所からはヒソヒソと言われてたまったものではない上に、あるとき、おぞましい音が聞こえてきました。

牛車が家の外をやたらと大音量を響かせて通ってゆく。

何かと思えば、安産祈願をしている音――兼家が、別の女「町の小路の女」を愛車に乗せ、出産によい方角へ連れて行っているのでした。

これみよがしに道綱母の家の前を通って行ったのです。

「ありえませんよね、この道でなくてもいいのに……」と召使たちに気遣われながら、あまりの嫌がらせに呆然とするしかない道綱母。

しかもあろうことか事件から数日後、兼家から手紙が届くのです。

「ここのところ具合の悪い人がいるから、キミのところに行けなくてさ(ToT)

昨日無事出産したって。

出産の穢れがキミについたらまずいから迷惑だろうと会えなくてごめんネ」

はァーーーーーーー!?

あまりにフザけた言い分に怒りで我を忘れそうになりますが、実際、道綱母も意味がわからなすぎて再び呆然とするしかなかったようです。

「読みました……」

と、既読マークをつける程度の返事を出し、「生まれたのは男だ」と聞かされても、だから何なの?と唖然とするばかり。

しかも数日後、ノコノコ兼家本人が来訪するのだから、道綱母もろくに対応できません。

兼家は「いやぁ、ご機嫌斜めなんダナ^_^」的な手紙を送ってくるけれども、一体どうしろというのか。

しかし、ここで兼家のクズ男ぶりが、また展開を変えます。

「町の小路の女」は出産したため、どうも嫌気がさしたようで。

ざまーみろ、天皇の孫というだけでどうってことがない女だよ! 私の苦しみがわかったか!

ありのままにそう記す道綱母。

兼家は再び道綱母のもとへやってくるようになりました。しかし時姫もいるし、しらけきって喜ぶにも喜べない道綱母。

しかもこのころ、言葉を話し始めた息子の道綱が父親の真似をするものだから、ますます複雑な気分に陥ります。

そこで彼女は一念発起。

母の死をきっかけにして山寺に籠ると、愛欲から距離を置きました。

と、そんな簡単に割り切れるわけもなく、いつの間にか兼家との思い出トークが再開されます。

兼家が病気になって「こんなところで死んだら嫌だよ」だのなんだの苦しみながら言い出した話。

喧嘩して、道綱に「もうお父様とは会えないよ」と言ったら泣き出してしまったとか。

兼家の双六を見守ったり。出迎えられてキュンとしたり。しまいには兼家邸のそばに転居したり。

結局のところ、彼女は兼家のことが大好きなんですね。

「そんなこんなで15年経過したけど、なんだか憂鬱……」

そう嘆きつつ、とりあえず上巻は終わります。

 


三十日三十夜はわがもとに…そう願うけれど

三十日三十夜はわがもとに――彼女は中巻の冒頭でそう願っています。

「毎日あの人が私の元にきますように」と思うほど、彼女は兼家を一途に愛していた。

息子の道綱も15となり、そろそろ成人とみなされるころです。

兼家41歳。

道綱母は34歳頃。

道綱15歳。

このころまでは、若い頃燃え盛った恋がまだ続いていた時代といえます。

しかし、兼家は出世して権力欲がよぎってくると、道綱母にとっては苦い決着につながってしまうのです。

安和2年(969年)に【安和の変】が勃発。

源高明が失脚し、藤原氏が権勢を握りました。

このとき事件に巻き込まれて出家した高明の妻・愛宮に、道綱母は長歌を贈って労ります。

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天禄元年頃(970年)、兼家は東三条に邸宅を新築しました。

そこに道綱母も呼び寄せるつもりだったようですが、断念しています。道綱母が病気であったからか、それとも別の理由からか。

兼家の嫡妻である時姫と、道綱母は、それほどの身分差はありません。

前述の通り、道綱母は時姫に歌や書状を送ることもあります。時姫を母とする藤原道隆の次に生まれた兼家の子は藤原道綱でした。

しばらくの間、この二人はそこまで差がついていなかったのかもしれません。

しかし、東三条邸に道綱母が入れなかったことで、勝敗は決定的になります。

宮中で道綱が弓比べをしたことを、嬉しそうに書き留める道綱母。

兼家はますます遠ざかっていきます。いっそ出家しようかと悩むけれども、道綱の行く末を思うとそれもできない。

兼家の家の近くに引っ越していることも、むしろ悲しい事態を引き起こしました。

兼家の車が家のそばを素通りする音が聞こえてくるのです。それなのに立ち寄らない。たまに立ち寄っても素直に喜べない。いっそ死にたいのに、道綱のことが気になってしまう。

父と母の間で翻弄される道綱は、とても子どもっぽく、親としては不安なのです。

そんな中で見かける時姫の子である道隆は、堂々として美しい洗練された貴公子ぶりを見せてきます。

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同じ父の子なのにこの差は何なのか。ますます暗い気持ちになってしまう道綱母。

もう限界だと山籠りしても、結局はオロオロする道綱や、兼家への愛情を捨てきれず、戻ってきてしまう。

そんなとき兼家は「ほらやっぱり!」とゲラゲラ笑うのです。

そんな終わらぬ憂鬱な状態に、道綱母は沈んでゆく。

なんとも暗い中巻です。

兼家はますます出世を重ねている。

大納言となり、兼家は祝いの言葉もないのか?と道綱母に迫るものの、彼女は応じる気力も湧いてきません。

訪れても素直に出迎えることもなく、兼家は不満を漏らすのでした。

けれども、彼女の記す兼家の姿は、堂々たるものです。

洒落た服を身につけ、気力充溢した様子は、まさに今が自分の全盛期だと勝ち誇っているかのように映るのでした。

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