山本若麟 『蘭亭曲水図』/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

『光る君へ』で道長が開催した行事「曲水の宴」とは? 起源は中国の曲水流觴

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曲水の宴
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権威の象徴となり人工的な流れを作るように

古代、水辺に集まる人々は素朴でした。

『詩経』で詠まれる光景は、男女が美しい川の流れを見たか? 楽しんでいるか? と語らう純朴なものでした。

漢代にせよ、あくまで飲酒は副次的なものであり、水辺で身を清める禊こそが主目的です。

それが魏晋以降、酒を飲むこと、詩を詠じることが混ざってゆき、権威的でパリピが大集合するセレブの宴と化してゆきます。

会場の設営も大変です。

王羲之のように絶景で知られる会稽山麓の蘭亭に行ければよいけれども、現実には無理がある。

自然の流れを利用するとなると、よいタイミングで盃は流れないかもしれない。

詩を詠むゲームと共に楽しまれるようになると、ある程度は制御できる水流が望まれるようになります。

そこで、人工的な流れを作って開かれる行事に変化してゆきました。

中国・宋代の例を見てみましょう。

当時は、石を掘り抜き、クネクネとした流れを再現したい、そんな狙いが出ています。

桂海碑林博物館に残された曲水流觴の跡/wikipediaより引用

ドラマ『三国志 皇帝の秘密』でも、このブロックを掘ったような流れが出てきます。

屋外でゆったりとした形式で楽しむことも、もちろんありました。

あるいは以下の画像は韓国となりますが、

慶州の鮑石亭(韓国)/wikipediaより引用

石を掘るのではなく、ブロックを置き、流れを作る発想が見て取れます。

『光る君へ』でも、同局の別番組『100カメ』でその苦労が放送されていましたように、スタジオ内で宴を再現したのですから、それはもう大変なこと。

日本らしさも随所に見られました。

例えば宴で用いる酒器は「羽觴」(うしょう・羽の生えた盃)と呼ばれるものです。

ドラマ内では、京都の鴨川から連想して、鴨を模した愛くるしい羽觴の姿になっていました。

日本での曲水の宴/wikipediaより引用

中国、韓国、日本と細やかな差はあれ、共通点があります。

曲水の宴を開催するには広い面積や技術が必要――つまり相応の権力者でなければ開催できないということです。

 

権威と文化の象徴として

『光る君へ』と『三国志 秘密の皇帝』で曲水の宴シーンを再現するにあたり、両者にはいくつかの共通点もあります。

本来、これほどの行事となれば為政者の権威と結びつくため、朝廷主催で行うものとなります。

中国ならば皇帝、日本ならば天皇ですね。

権威の象徴であり、財産がなければ開催できない、そんな行事でしたが、時を経るにつれその慣習も崩れてゆきます。

藤原道長にせよ、曹操にせよ、主をさしおいて開催している。

主君をも上回る権威を家臣が得ている、そんな構造が浮かんでくるのです。

しかし同時にそれは、文化の促進にも繋がりました。

道長自身は即興で和歌を詠む側にはおらず、眺めて鑑賞する側にいます。

彼の目線の先には、赤染衛門の夫であり、学者として名高い大江匡衡はじめ、才知あふれる参加者が居並んでいました。

この作品では、道長が『源氏物語』はじめ、さまざまな文化の庇護者として振る舞う様が描かれています。曲水の宴もまたその象徴と言えるでしょう。

中国では、曹操だけでなく息子の曹丕や曹植も詩人として知られ「三曹」と称されます。

『光る君へ』に登場する平安貴族たちも、『文選』で彼らの作品を読んでいたはず。

曹操は文化の庇護者でもあり、「建安七子」と称される文人も厚遇し、中国文学を前進させているのです。

道長は宴開催の願いとして、娘・中宮彰子の懐妊をあげていました。

曹操も、曹節ら娘たちを後漢献帝の後宮にいれています。

両者ともに朝廷の権利を侵害し、外戚として権力を把握しようとしていたわけです。

曹操はそのことを政敵から非難される一方、道長はむしろ人心掌握に成功しました。

天皇の外戚として権威を振るうことに、周囲の平安貴族は何の疑念も抱いていないように思えるのです。

つまり日中における権力に対する態度の差が、ドラマで浮かび上がってくる――そんな興味深い現象が起きていました。

むろん『光る君へ』と『三国志 秘密の皇帝』には大きな違いがあります。

『光る君へ』では、終始穏やかで楽しげな様子が描かれました。この宴で重要な展開は、彰子が公卿の会話を見聞きし、人の心について学んだところにあります。

『三国志 秘密の皇帝』では、曹操が猜疑心を募らせてゆきます。曲水の宴で流れる酒に毒を仕込めば、断りきれないのでは? そんなサスペンス展開がみどころでした。

あくまで文官であり、誰かを排除しようにもせいぜいが呪詛止まりである道長。

一方、強硬手段も取れる曹操。

そんな両者の違いが出ていたのです。

 

歴史劇における行事再現の重要性

『光る君へ』において「曲水の宴」が放映された後日、前述の通り、NHKは別番組『100カメ』において、その再現の困難さを紹介していました。

舞台が平安中期である『光る君へ』に大規模な合戦シーンはない。ゆえに絵面が地味となり、派手さに欠けるため単調になるのでは?

番組が始まる前はそんな懸念も囁かれましたが、作り手にとっては「いやいや、そんなことありません!」となる話でしょう。

大河初の平安中期となると、せいぜい『平清盛』あたりぐらいしか道具の使い回しができず、一から作る量が膨大になります。

打毱や御嶽参も、体を張った大変な撮影であったことが伺えます

そして、この「曲水の宴」です。

セット内に流れる水をどう再現するのか?

それがどれほど大変であったことか?

屋内で、撮影が楽なシチュエーションだけで話を展開させればよいかというと、そうではありません。

こうした伝統的な行事を出すことは、文化をアピールする意味もあります。

例えば『光る君へ』では、序盤に打毱の場面がありました。

中国から日本に伝わったにも関わらず、本国では消えてしまった伝統です。それが再現されたことは、驚きをもって受け止められました。

ドラマにより日本文化の継承が伝わったのですから、素晴らしいことではありませんか。

近年はVODが普及し、韓流や華流の時代劇を見る機会も増えています。

東アジアの時代劇同士で見比べることで、新たに見出せる特徴も多々ある。

2024年は日中における曲水の宴を比較できる、貴重な機会が実現しました。

これは今後の大河ドラマや時代劇の未来を示す画期的なことではないでしょうか。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
東京国立博物館・台東区書道博物館『王羲之と蘭亭序』

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