方違えケガレ

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安時代を知る上で無視できない風習「方違え・穢れ」実際どんな記録が残ってる?

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行成 死にゆく子供を抱くことできず

ケガレを避けることは平安貴族にとって義務でした。

同時にそれは「家族の死を間近で看取れない」ということでもあり、当時の人々も離別の悲しみが増したようです。

『光る君へ』にも登場していた藤原行成は、自身の日記『権記』でこんな記録を残しています。

長徳四年(998年)10月18日の記事です。

「今日、去年生まれた息子が亡くなった。

ここ数日熱が出ていて、今日は少し収まっていたのだが、生気がなく妻が抱いていた。

私は穢れに触れないよう庭に出ていたが、しばらくして妻の泣き悲しむ声が聞こえてきたので、息子が亡くなったことがわかった」

宮中にケガレを持ち込むことはできないため、行成は庭に降りていたのです。

藤原行成/wikipediaより引用

妻は出仕しないので、我が子がこの世を去るまで抱いていたかったのでしょう。

行成は、日記の内容から愛情深い人だったことが伺えますが、この後も娘と二番目の妻に先立たれてしまいますので、最初の妻同様、激しく悲しんだことは想像に難くありません。

ちなみに「神道では血を忌むため、ケガレの概念が発生し広まった」とされます。

日本神話でも、お産で亡くなったイザナミを黄泉の国へ訪ねていったことでイザナギが地上へ帰ってきた際、水で体を清めて天照大神や月読尊、素戔嗚命を産んだという話があり、これがケガレと禊の始まりと考えられています。

もう少し現実的なものの見方をしますと、細菌やウイルス、血液を媒介して起きる病を経験則として避けたのが始まりではないでしょうか。

まだまだ衛生環境や科学が未発達だった時代、

「病人に近づいてから同じ病気になった」

「ここのところなんとなく調子が悪いが、そういえばその前に怪我人に触れてしまった」

といったことに朧げながらも気づいた人がいて、離れたり血を洗い流したりした場合に病を避けられたため、

「病や血はケガレているから避けなければ!」

とみなされるようになったのではないでしょうか。

 


隠蔽に失敗した斉信 不幸に遭遇

ケガレを悪用する例もありました。

藤原道長『御堂関白記』などの日記には「屋敷に犬の死体があったので死穢となった」というような話が出てきます。

いかに犬の死体が珍しくない時代とはいえ、そんなにしょっちゅう起きるものか?

と、違和感が強いケースもあり、そのうち何件かは

「相手を穢して出仕できなくしてやろう」

という悪意の結果と捉える方が自然でしょう。

動物であろうと人間であろうと、誰かの家に死体が投げ込まれると、当然のことながらその家の主人や一家まるごとケガレてしまいます。

場合によっては一族まるごと政治の席に出られなくなるわけです。

その間に”犯人”が自分たちにとって良いように工作する……と。

ケガレにすぐ気付ければ

「ケガレてしまったのでしばらく休みます」

程度の連絡で済みます。

しかし、故意に隠したり、不可抗力でうっかりケガレたままどこかへ出かけてしまうと、さぁ大変。

四方八方にバラ撒いてしまうからで、”うつされた”側にしてみれば、フザけんな!って話ですよね。

実はその顕著な例として、『光る君へ』ではんにゃ金田さん演じた藤原斉信にこんな話があります。

菊池容斎画『前賢故実』藤原斉信/wikipediaより引用

斉信の娘が、藤原道長の六男・藤原長家と結婚することになりました。

このとき実は斉信のほうで死穢が発生していたのですが、それを隠して婚儀を強行。

そのときはバレずに済んだものの、直後に行われた豊明節会で斉信が参加しなかったことから「ケガレがあった」と発覚してしまいます。

婿の長家はもちろん、婚礼の宴に参加していた人にまで死穢が及んでしまったわけです。

しかも、その斉信の娘は数年で亡くなってしまい、斉信は悲しみもさることながら、ケガレを隠してまで推し進めた婚儀への努力が実らずに終わる……。

そんな、あまりにも悲惨な結果になってしまっています。

娘の葬儀の日、斉信はまっすぐ歩けないほどの憔悴ぶりだったとか。

当時の貴族社会では「ケガレを隠した天罰だろ」というような見方をする人もいたかもしれませんね。

迷信や古い時代の習慣は、現代人からすると「そんなバカな」と思ってしまうようなことも多々あります。

しかし「なぜ昔の人達がそのように考えていたのか?」という角度から見ると、より深く歴史や創作物を味わえるエッセンスになるかもしれません。

今年は平安時代の風習を知るチャンスでもありますね。


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【参考】
デジタル大辞泉
日本国語大辞典
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典
国史大辞典

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