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【平安貴族と輸入品】
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ゲーム・行事
『光る君へ』では、貴族たちがゲームを楽しんでいました。
囲碁、双六、投壺などなど、中国から伝えられた遊びです。
現代で「すごろく」といえば「絵すごろく」を指すことが多いですが、当時はギャンブル性の高い「盤双六」を指します。
打毱は格式の高い神事として保存されています。
唐由来であったものの、本国では廃れ、日本で保存されているという貴重な行事です。
「曲水の宴」も、唐から渡来した行事です。

山本若麟 『蘭亭曲水図』/wikipediaより引用
中国では「流觴曲水(しゅうしょうきょくすい)」と呼ばれます。
書聖として名高い王羲之は、蘭亭で行われたこの行事を記念して「蘭亭序」を記しました。伝説的な行事として、藤原道長はじめ有力者が盛大に開催しています。
唐物抜きでは生きていけない!しかし……
【遣隋使】と【遣唐使】を派遣していたころ、日本には「国家を作る!」という使命感がありました。
唐という強大な帝国を目の当たりにし、日本でも確固たる国家を作らねばならないと考えたのです。

遣唐使船/wikipediaより引用
しかし、唐は滅び、五代十国時代を経て、宋となると、そうした緊張感は薄れてゆく。
平安京の貴族たちは【摂関政治】を繰り広げ、内向きの権力闘争に明け暮れたのです。
それでも暮らしを彩る【唐物】は何としても欲しい。ステータスシンボルとして求める停滞期が、紫式部が目の当たりにした時代です。
しかしその政治にも限界が訪れると、平清盛というゲームチェンジャーが現れます。

月岡芳年が描いた平清盛/wikipediaより引用
莫大な利益を生み出す【日宋貿易】ならば、自らが独占し、利益を得ればよいではないか――そんな画期的な発想でした。
中国大陸でも変化が訪れていました。
【北宋】が【金】に攻められ、南に【南宋】を建てる。その結果、北部にあった鉱山が自国領でなくなり、貴金属が不足してしまうのです。
そこで日本との貿易により需要が急拡大したのが奥州の砂金でした。マルコ・ポーロが日本を「黄金の国」として『東方見聞録』に記した背景として、そんな貿易があります。
日本史を振り返っていると、日本という国は平穏な日々が続くと、どうにも油断する傾向があるように思えます。
典型例として江戸幕府の幕末が挙げられますが、それだけでもなく、平安時代も後半になると中だるみをしてゆく。
平安貴族だって遊んでばかりいたわけではなく、忙しく実務をこなしていたと、最近は認識を改めさせられつつあります。
しかし、外交についていえば明らかに怠惰です。
興味なし。なるべく考えないようにしている。でも輸入品は欲しい!
『光る君へ』は、まさにそんな弛緩した時代です。
唐猫が寝そべり、青磁で薬湯を飲み、丁子で染めた絹の服を身に纏った貴族たち。
彼らにその輸入経路や手間暇について尋ねても、答えられるとも思えません。
そしてそれこそが危機なのだと、果たして認識できるかどうか――そんな学びをしてこそ、歴史とは異議があるのかもしれません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『日本漢籍需要史:日本文化の基層』(→amazon)
川添房江『源氏物語と東アジア世界』(→amazon)
山口博『平安貴族のシルクロード』(→amazon)
近藤好和『装束の日本史』(→amazon)
他