都の郊外に遺体が放り出されたり、高御座に生首が置かれたり、あるいは川に死体が浮かんだり。
平安時代の生々しいリアルを描いたことで話題になった大河ドラマ『光る君へ』。
道長の父である藤原兼家や兄の藤原道隆は、一族の繁栄にだけ興味を持っており、庶民のことなど虫けら同然というスタンスでした。
そんな彼らの姿勢に対し『一体アイツらは何なのか!』と怒りを覚えた方も少なくないでしょう。
同時に「あれは史実だったのか?」と疑問を持たれた方もいらっしゃるはず。
庶民の命など無きにも等しい時代のようにも思える――平安時代の実情をドラマの展開と照らし合わせながら振り返ってみましょう。
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平安貴族は意外と仕事をしていた
大河ドラマ『光る君へ』については、女性貴族が和歌を読み、男性貴族は蹴鞠をしてばかりとか、そんな偏見に満ちたニュースもありました。
しかしいざ始まってみれば、そんなことはありません。
貴族が朝廷で議題を話し合い、解決を図る場面もきちんと出てきます。
【宿直(とのい・夜勤)】の場面もありました。
フィクションでは何をしているのかわかりにくい安倍晴明も、きちんと公務員であるとわかります。陰陽師は天体観測をこなしているのです。

晴明神社の安倍晴明像
そして第13回放送の【朝議】のシーンでは、藤原兼家がボケながら「橋の修繕をしておけ」と口走りました。
頭が朦朧として、判断力が低下しきった兼家ばかりに目が向きそうになりますが、彼らが「橋の修繕」のようなインフラ整備をこなしていたこともわかる。
当時は天気予報などなく、災害については事後対処しかできないことも日記類に記録されています。
天災の前で人は平等に無力――貴族の家にも落雷がありますし、台風(当時は「野分」と呼ばれた)は屋根を吹き飛ばし、暴風雨があると船が転覆する。
それはもう大変なのです。
ドラマではロバート秋山さんが演じる藤原実資は、こうした悲惨な災害を日記にきっちり記録していました。
だからでしょう。劇中で道長が「民を思うようなことを進言」すると、実資は明るい顔になる。
彼のように災害を記録し、日頃から憂いている人物からすれば、もっともなことだったのでしょう。
平安京は水没する都だった
天災の結果、しばしば橋は流される当時の社会。
橋の修繕が必要とされていたシーンの前には、台風でも発生していたのかもしれません。
京都の市街は、鴨川と桂川が流れ、豊かな地下水脈がある。おまけに四方を山に囲まれている。
平安京は水害都市とも言えました。
台風や暴風雨があれば、鴨川沿いには当時から住宅が密集していたため、しばしば水没してしまうような状況が訪れます。

豪雨で濁流ながれる桂川
しかも、当時の平安京は不潔です。
糞便は垂れ流され、動物も人も死んで横たわっている――そんなところに水が広まり、拡散していったらどうなるか?
想像するだけでも嫌な情景が頭に浮かんでくるでしょう。
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