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【平安時代の民がゴミのようだ】
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平安京は疫病に襲われるうえに、復興も遅い
水害の次に起こる定番の災害――それは疫病の蔓延です。
『光る君へ』では、藤原実資が赤痢に苦しむ場面もありました。

藤原実資/wikipediaより引用
感染源となるのは糞便です。
平安京の衛生状態が劣悪だったため、庶民だろうが上級貴族だろうが、赤痢の恐怖から逃れることが難しい。
病気が蔓延すると死体がますます増え、さらに衛生状態は悪化します。
こうなると朝廷の貴族たちは尻込みしてしまうのが常。
【穢れ】に触れたら出仕できなくなるため政治が滞り、インフラ整備すら及び腰になりました。
災害
↓
疫病蔓延
↓
死者増加
↓
停滞する復興……
こんな悪循環が連鎖してしまい、平安京はますます荒廃してしまうのですね。
そうなれば衛生状態だけでなく治安や経済も悪化し、人身売買のような非道行為も当然のように起こる。
ドラマも中でまひろが目にした人買い商人の悪行は、当然の帰結と言えるでしょう。
しかし、だからといって水を遠ざけることはできません。
人は生活用水がなければすぐに死んでしまう。
前述の通り、平安京には豊かな地下水脈があり、藤原道長のような貴族は、水脈のある場所に邸宅を建て、風流な池を庭に作りました。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用
平安時代は婿入りをする【妻問婚】の時代です。
婿入り先の家に井戸や水源があるかどうか――それもチェック対象となったことでしょう。
「あの家に婿入りすれば、池を眺めて暮らせるなぁ」
なんてことも考えたに違いませんが、では、井戸がない地域の民、ましてや平安京の外にいる民が、日照りや旱魃(かんばつ)で苦しむことはどこまで真剣に考えていたのか?
とにかくすぐ死ぬ平安京の人々
前述の通り『光る君へ』では藤原実資が赤痢に苦しむシーンがありました。
そしてそれを見た藤原宣孝は「半分死んでいる」と判断しましたが、実資は当時の貴族でも屈指の健康マニアであり、寿命は驚異的な享年90。
一方、宣孝は、結婚して一女を授かった紫式部を残し、疫病であっさりと亡くなっています。
いったい平安京では、どんな疫病(伝染病)が流行したのか?
というと、天然痘や麻疹、赤痢、インフルエンザ……など、現代でも恐ろしい病が猛威をふるい、防疫の術を知らない当時では幾度も発生して、街は壊滅状態に陥ってしまいます。

平安京/photo by Wikiwikiyarou Wikipedia
さらに、上流貴族は、生活習慣病に罹りやすい食生活を送っていました。
野生動物や原始人は、栄養バランスが偏るということはないとされています。
本能的に、体に必須となる栄養素やタンパク質が含まれた食物を摂取するためです。
しかし人類は、文化、宗教、消費を促す慣習や広告の影響により、この本能を見失ってしまうことがあります。
スナック菓子やインスタント食品を食べ続け、太ってしまう現代人がその典型例でしょう。
平安貴族は、慣習を重視しました。
仏教信仰の影響で益獣を食べなくなり、一方で縁起をかつぐため邪気を祓うものを食べ続ける。結果、栄養バランスが崩れ、ストレスで早死にする貴族も多い。
しかも、特に女性は運動量が極端に少ない。運動しなければストレスがたまり、思考が不健康になっていきます。
当時の平安貴族は、わざわざ健康を捨てるような生活を送っていました。
上流貴族だからこそ口にできる米を大量に食べる。度数が低くて甘い酒をシロップのように飲み干す。
こんな暮らしを続けて、生活習慣病にならないわけがありません。
藤原道長の死因が飲水病、すなわち糖尿病になることは当然の帰結。
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長寿を保った清原元輔や藤原実資は一体どういうことなのか?
と思えてくるほど、生きるだけで大変な平安時代です。
記録に残る貴族ですらこうも過酷なのですから、庶民たちは簡単に命を落としたことでしょう。
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