絵・小久ヒロ

鎌倉・室町 歴史書籍紹介

源平時代最強の女武将! 板額御前の弓は百発百中ほとんど父兄に越ゆるなり

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板額御前
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敵をも感服させた堂々たる態度

捕らえられ、鎌倉に護送された板額は、二代将軍・源頼家の御前に引き出される。

まだ矢傷の癒えていない板額だったが、ここでも吾妻鑑の編纂者を感服させている。

その座の中央を通り、簾下に進み居る。この間聊かも諂う気無し。凡そ勇力の丈夫に比すると雖も、敢えて対揚を恥ずべからずの粧いなり。

板額の態度には、いささかもこびへつらうところがなく、屈強な坂東武者たちと比べてみても、決して引けを取らない様子であったと記されている。

しかも彼女の容姿は「顔色花のごとし」。白楽天の詩にうたわれた陵園の宮女のように美しかったと編纂者は強調している。

この場に居合わせた甲斐源氏の浅利与一義遠は、板額の堂々たる態度に深く感じ入り、ぜひとも彼女を妻にしたいと将軍に直訴した。

与一は【壇ノ浦の戦い】で名をはせた英雄であり、四町(約440メートル)先の敵を射倒したという、遠矢の名手である。

頼家が与一の願いを聞き入れたことで、板額が謀反人としてとがめを受ける事態は避けられた。

 

姫と呼ばれた後半生

自分の意思とは無関係に、無理やり敵方の男に嫁がされたとみるならば、板額は悲劇の女性であろう。

その後の板額について正確な資料は残っていないが、浅利与一と共に甲斐国へ移り住んだ板額は、ほどなくして与一の子を身ごもったという。

このとき板額が安産を祈願したと伝わる瀬立不動は今も現存し、腹帯を直すために腰かけたという「帯石」もある。

甲斐に残る伝承には、かつての女武将の面影は見られない。それを物語るように、この地では板額のことを、「板額姫」と呼んでいる。

板額の産んだ子は、「キク」という名の女の子だったらしい。

親元で健やかに成長したようであり、武田一族の石橋信継に嫁いだという。

与一は七十二歳の長寿を全うし、板額と二十年以上に渡る歳月を共に過ごした。

これらの口承から想像する板額の後半生は、どこか穏やかですらある。浅利与一の元で、普通の女性として、幸せに暮らしたのかもしれない。

 

ほとんど世に知られることの無かった板額御前

アメージング出版から絶賛発売中の拙著『女武将 板額』(→販売サイトへ)という小説は、そんな板額の前半生にスポットを当てている。

彼女が鎌倉幕府に弓を引くまでの詳細な経緯を、城氏にまつわる数少ない資料を元にして執筆。板額の地元・新潟県胎内市には、彼女を顕彰する市民団体「板額会」があり、今回の出版に好意的だ。

女性の身ながら源氏を震撼させた地元の英雄の名が、全国的にはほとんど知られていないことを遺憾に思っているからである。

板額会の高橋氏は、力を込めて本作を推薦する。

「すばらしい一冊を書いて頂きました。少ない資料を元に、地元でも知らない人の多い事柄を調べ上げ、描かれています。本書を読み進めていくと、当時の情景が色鮮やかに浮かんできます。弓矢が飛び交い馬が駆ける合戦、大河ドラマを見ているような迫力! これまで、ほとんど世に知られることの無かった板額御前。日本中で読んでもらいたい、そして、後世に語り伝えて頂きたい」

源平争乱を取り上げた小説やドラマのほとんどは『平家物語』や『源平盛衰記』『義経記』を下地にして作られてきた。

源平宗家の物語であり、それ以外の弓矢の家が注目されることはほとんどなかった。

歴史は重層的なものであり、まだまだ発掘されていない出来事が豊富にある。

板額御前の存在など、まさにその典型ではないだろうか。

実在した女武将の波乱の半生を、ぜひ味わってみてほしい。

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著:島政大
1972年7月11生まれ。
1995年詩・短歌集「傾いた空」(近代文藝社)(→amazon
2004年詩集『きみのお話』(ポプラ社)(→amazon
2008年角川春樹責任編集『河』に「一行詩一年生の勉強記」を連載
2012年『幕末歌集志士たちの墓碑銘』(アートデイズ)出版(→amazon

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