この詩は、室町幕府で足利将軍の影が薄いことを揶揄した狂歌です……というのは真っ赤なウソで大変申し訳ありませんが、とにかくこの時代、始まりから終わりまで何かとややこしいのは事実ですよね。
特にスタート直後の南北朝時代。
北朝と南朝に皇室が真っ二つに割れ、両家が正統性を提唱しながら朝廷を開いていく異常事態です。
どっちが正しいの?
そう考えると最終的には北朝となりますが、そもそもは1337年1月23日(建武3年12月21日)に後醍醐天皇が神器と共に吉野へ行き、そこで南朝が始まったのがキッカケとされます。
しかし、対立の始まりはもっと古く、鎌倉時代の二人の天皇に遡ります。
そこを踏まえれば、割と流れがわかりやすくなったりするもので、今回は、室町時代を嫌いにさせる【南北朝時代】をスッキリしてみましょう。
なお、後述する【両統迭立】は「りょうとうてつりつ」と読みます。
お好きな項目に飛べる目次
後嵯峨天皇がきちんと指名しておけば……
まずは鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて、どのような天皇が、どんな順位で即位したか。
確認しておきたいと思います。
以下に出てくる天皇たちは、厳密に言えば南北朝時代の主役ではなく、あくまで下地。
大きく顕在化するのは後醍醐天皇からになります。
それを意識して一読しますと……。
【南北朝時代前の天皇即位】
88 後嵯峨天皇(父ちゃん 1242-1246年在位)
↓
89 後深草天皇(兄・持明院統のはじまり)
↓
90 亀山天皇(弟・大覚寺統のはじまり)
↓
91 後宇多天皇(大覚寺統)
↓
92 伏見天皇(持明院統)
↓
93 後伏見天皇(持明院統)
↓
94 後二条天皇(大覚寺統)
↓
95 花園天皇(持明院統)
↓
96 後醍醐天皇(大覚寺統)
とまぁ、このころは一応、持明院統と大覚寺統で、おおよそ順番に並んでいますね。
そして後醍醐天皇から本当の南北朝時代が始まるわけです。
ナゼこんなに話がややこしくなったのか。
大まかに三つの理由が考えられます。
【南北朝問題3つの理由】
①ずっと実権を握っていた後嵯峨天皇が、後継者をちゃんと指名しないまま崩御した
②当初は「持明院統と大覚寺統が交代で天皇を出しましょう」という話になったのに、途中で「そんなのヤダ!」(超訳)と言い出す天皇が何人かいた
③仲裁に入っていた鎌倉幕府が滅び、同じく仲裁すべき室町幕府で内輪モメが始まり、それどころじゃなくなった
こんな感じです。
現代人(特に受験生)にとっては「ちゃんとしてっ!」と思ってしまいますが、最初に大きな理由を頭に入れておけば、細かい流れも呑み込みやすくなるとは思います。
もう少し細かくコトの経過を見ていきましょう。
残された後深草上皇と亀山天皇
「南北朝時代」そのものは、後醍醐天皇以降60年弱のことを指します。
原因は前述の通り、鎌倉時代の中期のこと。
後嵯峨天皇(在位:1242~1246年)が実権を握り続ける(治天の君であり続ける)ため、短期間に自分の息子である皇子を次々に譲位・即位させ、院政を取り続けたことにありました。
しかもそれでいて、後嵯峨天皇は薨去する前に次の【治天の君】を指名しなかったのだからややこしい。
治天の君とは、実質的なTOP権力者であり、時代によって天皇がなったり、上皇(法皇)がなったりします。
この辺が3つの理由のうちの①ですね。
残された後深草上皇(兄)と、亀山天皇(弟)のどちらが政治を主導するか、揉めに揉めたのです。
あまり話題になりませんが、皇室でも遺産相続(この場合は荘園の相続)に繋がり、権力だけでなくお財布の問題でもあります。
生きるためですから、そりゃあ御二方ともに必死ですよね。
結論が出ず、埒が明かないいので、朝廷は鎌倉幕府へ宛てて
「これこれの経緯で治天の君が決まらないので、幕府の意見を聞かせてほしい(´・ω・`)」(※イメージです)
という使いを派遣しました。
幕府としては、朝廷の争いを機に、権力介入してこれを牛耳ろう――なんて腹づもりはありません。
そもそも武士は、公家と比べて為政者としては後輩ですし、形式的には将軍という位を受けている立場ですから、積極的に関与しづらいものです。
困った幕府は、後深草上皇と亀山天皇の生母である大宮院に
「後嵯峨上皇がどのようにお考えだったか、何かご存じありませんか?」
というお伺いをたてます。
朝廷のほうでも、あらかじめ大宮院の話を聞いて、その上で幕府に連絡してれば早かったんでは?と思いますが……この辺に当時の混乱ぶりがうかがえますね。
ともかく幕府からの質問に対し、大宮院は
「(弟の)亀山天皇が親政を行うことが故院のご遺志です」
と答え、幕府でも「ではそのように」という返事を朝廷に提出。
亀山天皇が現役の天皇で【治天の君】ということになりました。
かくしてトップに立った亀山天皇は、自分の皇子である後宇多天皇に位を譲って、院政を開始し、問題は解決した――かに見えました。
西園寺実兼の登場
納得いかないのは兄の後深草上皇です。
幕府からの申し出に不満バリバリであり、まずは「上皇」の尊号を突っぱねて出家しようとしました。
なんとなく「どこかで聞いたような話だな……」と思った方もいらっしゃるかもしれません。
時を遡ることおおよそ130年前の【保元の乱】と似た構図なんですね。
「皇室内の兄弟の対立」と「治天の君の座・次代の皇太子を巡る対立」というところが、です。
同じ過ちを繰り返してしまう切なさよ……(´・ω・`)
鎌倉幕府のほうでもイヤな予感はしていたようで、関東申次(幕府との折衝役)である西園寺実兼と相談し、後深草・亀山両上皇の対立を避けるための方策を模索しました。
例えば、後深草上皇の皇子(後の伏見天皇)を亀山上皇の猶子として、後宇多天皇の皇太子に立てています。
「伏見天皇はイトコである後宇多天皇の次に即位する」ということですね。
この辺から互いの血縁関係よりも
「どっちが持明院統でどっちが大覚寺統なのか」
を意識したほうがよいかもしれません。
あくまで余談ですが、鎌倉幕府の六代将軍に就任する宗尊親王(むねたかしんのう)は、後深草天皇と亀山天皇の異母兄だったりします。
後継者争いを繰り広げていた後深草天皇と亀山天皇は同母兄弟です。
普通こういうときって、異母兄弟のほうが対立したり血なまぐさいことになったりしやすいんですけどね。
宗尊親王は母親の身分が低く、最初から皇位継承の可能性がありませんでした。
そのため息子である惟康親王も七代将軍となり、持明院統vs大覚寺統の争いに巻き込まれずに済んでいます。
どこの国でも「君主になれば万々歳」と思いがちですけれども、一歩引いた位置になることで助かるという例もあるんですね。
ついでに「それぞれの系統が天皇の名前じゃなくてお寺の名前なのか」と言いますと……。
持明院統→後深草天皇が譲位後に住んでいたお寺の名前
大覚寺統→亀山天皇の子・後宇多天皇と縁の深いお寺の名前
となります。余計にわかりにくいかも……(´・ω・`)
元寇が起きて幕府もドタバタしているうちに
話をもとに戻しまして。
このタイミングで元寇が起き、しばらくは朝廷も幕府も皇位継承問題どころではなくなります。
そして弘安の役が終わって数年後の弘安十年(1287年)、西園寺実兼の申し出で再び問題が表面化してしまうのです。
「そろそろ代替わりをしてもいいのでは? 次の治天の君は、新しい天皇のお父上である後深草上皇でいいですよね」
当然ながら、実権を持ち続けたい亀山上皇は、息子である後宇多天皇の譲位に反対します。
が、結局は伏見天皇が即位して後深草上皇の院政開始。兄弟の間で、実権が入れ替わったわけですね。
こうなると、やはり「次の皇太子をどうするか」という話になります。
後宇多上皇の皇子と、伏見天皇の皇子のどちらにするか。
意見は真っ二つに割れ、既に「後深草上皇と亀山上皇の皇子を交代交代に」という流れになりつつありましたが、原則としては、やはり親子間での皇位継承が望ましい、というのも事実でして。
このとき、西園寺実兼は自分の娘を伏見天皇の中宮にしていたこともあって、伏見天皇の皇子(後の後伏見天皇)を皇太子に強く推し、その通りになりました。
さらに、伏見天皇の弟・久明親王は鎌倉幕府の八代将軍となり、朝幕間のパイプもがっちり固まった……かに見えました。
伏見天皇の暗殺を企む事件を機に両者の仲は……
皇位は、持明院統で落ち着いたかに見えました。
しかし、そこで事件が勃発。
浅原為頼という武士とそのオトモダチが内裏に乱入、伏見天皇の暗殺を企むというトンデモナイ事態となったのです。
持明院統は当然、大覚寺統とその代表者である亀山上皇を疑いました。
亀山上皇は無関係であることを主張しますが、これをキッカケに両統の感情は悪化し続けることになります。
また、この頃は治天の君が後深草上皇から伏見天皇になっていました。
これに伴って、朝廷での立ち位置も変わってきます。
具体的には、西園寺実兼の立場がやや弱まり、京極為兼が台頭していました。
当然、実兼と為兼は対立するわけですが、ここで実兼が持明院統を離れ、大覚寺統に接近するというスゴイ(褒めてない)ことをやってのけます。
おそらくや当時の誰もが「(゚Д゚)ハァ?」となったでしょうね。
そして実兼は、節操なく、大覚寺統として動き始めます。
後宇多上皇の皇子を皇太子にし、そのまま後二条天皇として即位。
こうなると次の皇太子を持明院統・大覚寺統どちらから出すかで当然のように揉めるわけで……。
要は
「新しい天皇が即位するたびに、次の皇太子(その次の天皇)の座をお互いに争っていた」
ということです。
藤原道長みたいに「娘を入内させて孫の皇子を即位させ、その後見として実権を握る」みたいな感じだったら、割とわかりやすいのですが。
※続きは【次のページへ】をclick!