北条時房

和田義盛への使いに向かう北条時房の図/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

史実の北条時房(時連)は隠れた名将なり 鎌倉殿の13人瀬戸康史

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承久の乱

血で血を洗う時は流れ、次第に北条中心の政治体制が整っていく中、北条時房にとっても頼りになる人物が育ちつつありました。

兄・義時の子である北条泰時です。

寿永2年(1183年)に生まれた泰時は、時房と年齢も近く、いわば同世代の人物として扱われます。

泰時は温厚な人格者でした。

しかし争いが止んだワケではありません。

鎌倉武士にとっては未曾有の事態となる朝廷との争乱【承久の乱】が勃発するのです。

承久3年(1221年)5月15日、後鳥羽上皇は義時を追討し、さらには全国の守護・地頭を自らの下に置くための【宣旨・院宣】を出しました。

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そこで北条政子が御家人たちを鼓舞したというのは有名な話ですね。

兵の集結に成功した幕府は、まず泰時が兵を率いて京都へ向かい、同日、北条時房と義時の子・北条朝時も後を追いました。

義時は鎌倉に留まり、戦略を見据える役目です。

一度、幕府軍が立ち上がると、まとまりのない朝廷軍は瞬く間に崩れたとされますが、それまでの経緯の中で、泰時軍も、時房軍も、大苦戦を強いられています。

防衛線は守る側が有利であり、特に鎌倉からの長い行軍を経て、渡河は難しい局面。

橋が破壊され、盾を構えた守備勢相手に、幕府軍は苦しめられたのです。

急拵えの筏を作り、浅瀬を渡る――戦いは鎌倉方の圧勝とは言えず、犠牲も多く出ています。

しかも将は【治承・寿永の乱】での実戦経験がない時房と泰時でした。

『鎌倉殿の13人』では、戦慣れしていない二人がそれでも川を渡ることを決め、泰時の従者である平盛綱の身体に矢が刺さったシーンは非常に印象的な場面ともなりました。

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なお【承久の乱】の戦後処理は、政子と義時が行っています。

最後の大乱が終わり、鎌倉に平和は訪れたのでしょうか?

 

泰時を支え抜く

【治承・寿永の乱】のあと、勝利を収めた源氏の行く末を思い出してみましょう。

平家を瞬く間に滅亡へという大活躍をしたにも関わらず、源義経は兄の頼朝と対立し、ついには奥州平泉で自刃に追い込まれました。

強大な敵と戦う最中は一致団結していたのに、敵がいなくなった途端、味方同士で争ってしまう。

しかも源氏の兄弟たちがいなくなると、今度は御家人たちの間で薄暗い権力闘争が頻発した。

そんな過去があったばかりで、北条時房と北条泰時の叔父甥はどうしたか?

実は【承久の乱】で最も活躍したこの二人はライバルと目されていたとされます。

20年前の状況を考えると危険視されてもおかしくはないでしょう。

しかし二人は違いました。

協力して政務を取り合い、争うことはなかったのです。

【承久の乱】から3年後の元仁元年(1224年)に北条義時が死去。

その翌年の嘉禄元年(1225年)には尼将軍こと北条政子も亡くなるのですが、彼女は死の前に三浦義村の協力を得て、北条泰時を3代目執権としました。

泰時は古代中国の聖なる統治者・堯舜に例えられるほどの仁政を実現し、幕府安泰の道を築きます。

その隣には、名君を支える時房の姿もありました。

承久の乱から約20年後の延応2年(1240年)、時房が死去。享年66でした。

泰時は、それから2年後の仁治3年(1242年)にこの世を去ります。

北条義時の弟である北条時房と、義時の子である北条泰時。

二人の協力により、鎌倉幕府は安泰となりました。

彼らは以前の世代のように争うことなく、協力することで新たな時代を築きました。

時房は、父・時政、姉・政子、兄・義時、そして甥・泰時を支え、そんな彼らが非常に目立つため、動向が追いにくい人物といえます。

しかし、その目立たないことこそが、彼の優れた政治家としての資質を示しているのではないでしょうか。

自らの功績を自慢するわけでもなく、じっと横から支える――そんな北条時房がいてこそ、北条政権が安定したのかもしれません。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏』(→amazon
山本みなみ『史伝 北条政子』(→amazon
岩田慎平『北条義時 鎌倉殿を補佐した二代目執権』(→amazon
岡田清一『北条義時: これ運命の縮まるべき端か』(→amazon

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