禁闕の変

源平・鎌倉・室町

戦国時代直前に起きた「禁闕の変」実は三種の神器が奪われる大事件

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首謀者は通蔵主&金蔵主兄弟

首謀者は、旧南朝側の皇族の血を引く通蔵主(つうぞうす)&金蔵主(こんぞうす)兄弟。

そして後鳥羽天皇の末裔を自称する源尊秀(鳥羽尊秀)、日野家嫡流の日野有光とその息子である資親だったといわれています。

彼らが数百人を擁して御所へ突入したのです。

しかも内裏に火を放ち、当時、皇位についていた後花園天皇を追い出し、神器のうち草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を奪います。

室町幕府は当然、兵を差し向けました。

一方、彼らは逃げおおせて比叡山延暦寺に立てこもります。

延暦寺のトップである天台座主(てんだいざす)は皇族や公家出身者が多かったですし、さぞ迷惑だったでしょうね。

 

草薙剣はすぐに戻され八尺瓊勾玉は10年以上も

しかし、日本最高の秘宝を奪われて、朝廷や幕府が黙っているわけがありません。

すぐさま追討の命令が出され、管領・畠山持国の追討軍が出発。

事件は、瞬時に解決いたします。

神器が盗まれて3日のうちに、首謀者が捕まったり討ち死にしたのです。

事が事だけに処分が決まるのも早く、生き残ったうち日野資親を含めた50人程度が9月28日に処刑されました。

また、流罪になった中にも、配流先へ送られる途中に殺された人がいます。悪いことはできないもんですね。

神器が帰ってきたのはその後のことでした。

草薙剣は“なぜか”清水寺で見つかり、宮中に戻されています。

いっそ伊勢神宮か、熱田神宮で見つかれば神の存在を確信できたんですけどねえ。“なぜか”の時点で空恐ろしいですけれども。

また、八尺瓊勾玉はここから10年以上もの間、旧南朝方に奪われたままでした。

嘉吉の乱で没落した赤松氏の家臣たちが、再興を許してもらうために手柄を立てようと、必死で奪い返して宮中へ戻しています(長禄の変)。

やはり神器の一つを取り戻した功績は高く評価され、赤松氏は再興を許されました。

しかし、浦上氏に追われて再び没落。

その後、豊臣秀吉にすくい上げてもらって大名に返り咲いたり、波乱含みの状態が続き、最終的に嫡流は滅びてしまいます。

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なお、分家の龍野赤松氏には、天空の城こと竹田城の最後の城主(赤松広秀・斎村政広)がいます。

以下の記事に詳細がありますので、よろしければ併せてご覧ください。

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【参考】
国史大辞典
禁闕の変/Wikipedia

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