源義親

源氏一族を描いた錦絵/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

頼朝の曽祖父・源義親の乱が平家の台頭を招く~暴れん坊源氏の所業

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源義親の乱
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伊勢平氏の平正盛に白羽の矢が立つ

そうこうしているうちに、白羽の矢が立ったのが伊勢平氏の平正盛でした。彼は朝廷から義親追討を命じられます。

もはや「源氏同士にまかせていてもラチが明かん。別の家に任せよう」という理由だったのかもしれません。

一方、正盛からすれば千載一遇のチャンスです。

伊勢平氏は元々常陸平氏(更に遡れば桓武平氏)の流れを汲む家柄でしたが、関東で河内源氏が勢力を伸ばしてから「あんなヤツらの傘下に収まるなんて勘弁!」(超訳)として伊勢に移ったという経緯があります。

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その後、白河法皇の皇女の供養のために領地を献じるなど、地道な努力を続けていました。

ここで武士の筆頭だった河内源氏の混乱を収めることができれば、伊勢平氏がその立場に取って代わることも不可能ではないわけで。

正盛はかなり気合いを入れて事に当たったと思われます。

平家物語の異本『源平盛衰記』によれば、

「正盛は京都から出陣する際、義親の屋敷に向かって三度鬨の声を上げ、三度、矢を放って出発した」

とか。

超ザックリ言いますと「義親絶対殺すマン」みたいな感じですかねぇ。

 


義親の首が晒され、河内源氏はお通夜状態に……

半月ほどで正盛軍は出雲へ到着。

さらにそこから半月程度で義親と側近五人の首を挙げ、乱を治めた……といわれています。

出雲という場所、そして正盛の身分のためか、戦闘の詳細な記録は残っていません。

白河法皇は正盛からの知らせを受け取ると大いに喜び、帰還の前に官位を引き上げるという異例の論功行賞を行いました。

正盛軍が入京したときも、京都市民と白河法皇のテンションはダダ上がりだったとか。

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義親の首は七条河原で晒されました。

その陰で、文字通りお通夜状態だったのが河内源氏です。

身内でバカみたいな騒動を起こしたばかりか、他所の家にようやく治めてもらったわけですから。

しかも、かつては傘下に近い立場だった平氏の一族に……。

現代より遥かにメンツや誇りというものの価値が高かった時代のこと。一族全員が憤死してもおかしくないレベルだったでしょう。

 


源氏はワシのもんや!と立ち上がる義光

しかし、ここでタダで終わらないのが新たに河内源氏の棟梁となった義忠。

彼は幸いにも処世術に長けた人でした。

正盛の娘を妻にもらったり、義弟にあたる次期伊勢平氏当主の烏帽子親となって「忠盛」と名乗らせたりして、両家の仲を親密にしようと務めたのです。

忠盛は平清盛の父ですので、やはり後年のことを知っていると、何とも皮肉に思えてきますが……。

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また、義家の遺志により、義忠は義親の長男・為義を養子として、将来家督を譲ることを約束しました。

全方向を丸く収めるべく努力を重ねた義忠でしたが、案の定それが気に食わない人物が身内の中から現れます。

上のほうでも出てきた、義家の弟(義忠の叔父)である源義光です。

この義光、後に武田信玄の武田氏や、関東の佐竹氏、東北の南部氏など、各地で興った名門武家の祖。

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義光は次兄・義綱の刀を使って義忠をブッコロさせるという、どこぞの推理小説のようなトリックを使って、河内源氏の棟梁の座をもぎ取ろうとした……といわれています。

 

真犯人だったとバレて京都を追われ

まるでマンガみたいな義光のストーリー、やっぱり上手くいきません。

結局は義綱が京を離れて近江国甲賀に立てこもり、それを源為義が追討。

その後に義光が真犯人であることがバレ、やはり京を追われています。彼の最期についてはハッキリしていません。

ついでに「正盛って誰? そんなヤツが源氏の戦上手を討ち取ったとか怪しくない?」と思う人々も多く、その後、数十年に渡って義親の偽者が続出しました。

伊勢平氏はその後も海賊の討伐などによって、西国に勢力を伸ばしていきました。

名門のイメージと威厳・官位を取り戻したい河内源氏と、新興勢力に近く昇進し続けたい伊勢平氏。

やがて両武家は、皇室や公家によって【保元の乱】に巻き込まれ、歴史を動かしていくことになります。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon
源義親/wikipedia
源義親の乱/wikipedia

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