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【今井兼平】
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木曽の主従は最期を共に
実際、義仲軍が騎虎の勢いであったのもここまでのことです。
朝廷と決裂した義仲を追討すべく、寿永3年(1184年)、鎌倉から源範頼と源義経率いる軍勢が京都へ迫りました。
頼朝の弟である範頼と義経は、当然ながら源義朝の子でもあります。
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つまり、義仲とは従兄弟の関係。
同じ河内源氏という間柄ですが、すでに義仲は人望を失い、京都での支持は得られませんでした。
源氏同士で敵対した両軍は【宇治川の戦い】でぶつかり、義仲が大敗を喫すると、さらに【粟津の戦い(粟津合戦)】へと追い詰められてゆきます。
さらには甲斐源氏軍の襲撃も受け、もはや義仲たちは壊滅的なところまで追い込まれました。
残された味方は僅か五騎のみ。
木曾義仲
今井兼平
巴御前
手塚光盛
手塚別当
程なくして手塚の二人も討たれ、義仲に付き従う者は、共に生きてきた兼平と巴御前の兄妹だけになってしまいます。
このうち巴は義仲に「最期まで女連れであったと言われたくない」と説き伏せられ、彼女は、最後の奉公として敵将・恩田八郎の首をねじ切ると、そのまま落ち延びてゆきました。
ドラマでは和田義盛に囚えられていましたが、そうした逸話も残されています。
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巴が居なくなり、残されたのは義仲と兼平の主従だけ。
最期は呆気ないものでした。
自陣の場所を探し彷徨ううちに、義仲の馬が深手にはまってしまい、身動きが取れぬところで顔に矢が当たったのです。
ドラマの描写は記録に基づいたものだったんですね。
そして主君の死を見届けると、今井兼平も自害して果てました。
義仲は享年31で兼平は享年33。
勇ましく散った主従は、理想的な武士像として伝説になりました。
『平家物語』でも「木曽の最期」では、この主従の最期を美しく描きます。
生まれた日と場所とはちがっていても、死ぬ日と場所は同じでありたい――。
理想的な主従として、二人は散っていったのです。
理想の「乳母子」とは
幼きころより義仲を慕い、その死を見届けると自らも自刃する――確かに美しい主従です。
今井兼平が理想の乳母子とされた理由がご理解いただけるでしょう。
反対に、理想から程遠いとされた乳母子も少し見ておきますと……源頼朝の乳母子であった山内首藤経俊です。
『鎌倉殿の13人』で山口馬木也さんが演じるこの武士は「参考にしたくない乳母子」として挙げられます。
源頼朝が挙兵したにもかかわらず、罵詈雑言を浴びせて参加しない。
それどころか、頼朝に敵対した大庭景親の軍勢に加わり、【石橋山の戦い】では頼朝に矢を当てる。
かと思ったら、自身の立場が不利になり、源氏方に降伏した際は平気で命乞いをする。
母の山内尼は頼朝に対し、我が子の命乞いをしましたが、頼朝が経俊の名が書かれた矢を山内尼に見せると、さすがに諦めざるを得ない状況に。「もはやこれまでか……」と思われましたが、頼朝は経俊の命を助けます。
その後、経俊は、頼朝から「無能である」と評され、鎌倉幕府の幕開けに名を連ねるもののさしたる活躍もありませんでした。
ただし、山内首藤経俊にも言い分がない訳でもありません。
源頼朝とは常に近接した場所に暮らしていたわけでもなく、かつ、経俊のいた相模には平家方の豪族が割拠していました。
不利な環境に居た点は考慮すべきでしょう。
それでも理想の「乳母子」と、どうしたって比べられてしまう。
主君の挙兵以来付き従い、有能かつ勇猛果敢。主君が命を落としたら、殉じて散る――こんな乳母子こそ、天晴れ忠義の者であり、まさしく武士の鑑ではないか――そう見なされたのが今井兼平です。
★
源頼朝と弟たちは、その後、血の繋がりがあっても酷い対立を繰り広げてゆきます。
儚く散ったからこそ美しい――そんな木曽の主従とはまるで別の世界。
歴史に功績を残した点を考えれば、源義朝の子である頼朝たちの方が偉大かもしれません。
しかし、人として信じ合い、生きた美しさという点では、源義賢の子である木曽義仲とその乳母子たちには及ばない。
実に興味深い対比が同じ源氏一族の中でも起きていました。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon)
他