源実朝

源実朝/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

源実朝は将軍としてどんな実績が?朝廷と北条に翻弄された生涯28年

こちらは4ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
源実朝
をクリックお願いします。

 


実行犯の公暁は義村邸へ

公暁は実朝の首を持って逃げました。

御家人たちは、公暁が「八幡宮の僧坊」に逃げ込んだと思い、攻めかかりますが、当人は不在。後見者の屋敷に逃れていて、そこで食事を振る舞われてから主張します。

「私こそが次の将軍になるべきだ!」

そして公暁はその承認を得るため、三浦義村へ使いを出します。前述の通り、義村の息子・駒若丸が公暁の弟子になっていたからです。

義村は実朝の悲劇に涙し、公暁の使者に伝えます。

「こちらから公暁様へのお迎えを出すので、しばらくお待ちいただきたい」

同時に義時へ、この一件を知らせました。

もちろん義時は「公暁を討つべき」と答え、三浦一門は討手の準備を進めます。

公暁は、父・源頼家に似て剛の者だったようで、真正面から挑んでは返り討ちに遭うおそれがありました。

そこで選ばれたのが、三浦氏郎党の中で経験豊富な長尾定景でした。

頼朝の時代から仕えていた武士で、かなり老齢でしたが、老体に鞭打ちながら“偽りの迎え役”を務めることになります。

一方の公暁は、迎えが遅いことに焦り、自分から義村の屋敷へ向かっていました。

そこにちょうど長尾定景が鉢合わせ、同行していた雑賀次郎という者がとっさに組み付くと、定景が公暁の首を取るのに成功します。

公暁の首は、義時の屋敷へ届けられました。

吾妻鏡』では、義時の息子である北条泰時

「まだ顔をはっきり見ていないので、本当にこれが公暁なのか疑わしい」

と言っていたことになっています。なんだか不気味というか、不思議な発言ですね。

 


なぜ公暁は実朝を殺害したか

それにしても、どうして公暁は源実朝を殺したのでしょうか?

真相は、現代でも不明のまま。

・公暁の単独犯行説

北条義時の陰謀説

・政子が始末させた説

・三浦氏が関与していた説

などなど、複数の推理が展開されています。後に北条氏の専制が始まるためか、義時黒幕説が有力とされていますね。

この中で最も可能性が低いのは、北条政子黒幕説でしょう。

政子は実朝が暗殺された後、こう述懐しています。

「実朝殿は私の子供たちでたった一人の生き残りだったのに、これからはこの老いた尼一人で生きていかねばならないのか。どこぞの淵へ身を投げてしまいたい」

幕府のために生き続けた政子の強さと、母としての悲しみが両方伝わってくる話です。

政子には実朝を殺す理由はありません。生前、頼家のときのように叱りつけたこともないですし。

北条政子
北条政子はどうやって鎌倉幕府を支えたのか 尼将軍69年の生涯と実力を振り返る

続きを見る

一番得をしたように見えるのは北条義時ですが、彼もまた貞応三年(1224年)に急死。

嘉禄元年(1225年)には大江広元と政子も相次いで亡くなり、その後、幕政を主導していくのは義時の息子である北条泰時となります。

これは完全に私見なので、ご笑納いただきたいのですが。

もしも泰時が黒幕だったなら、現代に至るまで、ほぼ疑われていないことが空恐ろしくなってきます。

泰時は人格者で【御成敗式目】という画期的な取り組みをした頭の良い方としてしられます。

完全犯罪があるとしたらまさにこれこそ……と思ったりもしますが、まぁ、考えすぎですよね。すみません。

北条泰時
北条泰時~人格者として称えられた三代執権の生涯~父の義時とは何が違ったのか

続きを見る

亡くなった源実朝は、勝長寿院に葬られたようです。

同寺は、その後たびたび火災に見舞われ、室町時代に鎌倉公方の足利成氏が鎌倉から古河へ逃れた後に廃絶。

現代では寿福寺に実朝と北条政子の供養塔が立っています。

源氏の嫡流は私で途絶える――。

そんな予言めいた言葉を遺して亡くなった実朝を偲びつつ、暗殺の真相や彼の和歌に思いを馳せるのも良いかもしれません。


あわせて読みたい関連記事

公暁
なぜ公暁は叔父の実朝を暗殺したのか?背景には義時の陰謀があった?

続きを見る

北条政子
北条政子はどうやって鎌倉幕府を支えたのか 尼将軍69年の生涯と実力を振り返る

続きを見る

源仲章
源仲章は義時の代わりに殺された?実朝暗殺に巻き込まれた上級貴族

続きを見る

コメントはFacebookへ

北条義時
北条義時が頼朝を支え鎌倉幕府を立ち上げ 殺伐とした世で生き残った生涯62年

続きを見る

北条政子
北条政子はどうやって鎌倉幕府を支えたのか 尼将軍69年の生涯と実力を振り返る

続きを見る

三浦義村
三浦義村の生涯とは?殺伐とした鎌倉を生き延びた義時従兄弟の冷徹

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
安田元久『鎌倉・室町人名事典』(→amazon
山本 幸司『頼朝の天下草創 日本の歴史09』(→amazon
日本史史料研究会/細川重男『鎌倉将軍・執権・連署列伝』(→amazon
日本史史料研究会『将軍・執権・連署: 鎌倉幕府権力を考える』(→amazon

TOPページへ


 



-源平・鎌倉・室町
-

×