坂東武者の文化教養レベル

左から源頼朝・梶原景時・北条時政/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

坂東武者の言葉が粗暴な理由~鎌倉殿の13人に見る武士の文化教養とは

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人類の歩みは言語の発達から始まる

人の知能は語彙力でわかる――。

なんて言うと「ソースは?」と反論されそうですが、少しずつ研究結果は出されています。

例えば……。

◆トランプ「演説の語彙力」は、ほんとうに低かった(→link

「トランプが大統領選に勝利したことが意味するのは、ツイートで繰り広げられているようなレトリックが有効なコミュニケーションになっているということです。未来の選挙では、このような言葉が溢れてしまうのでしょうか」

研究を率いたスイス・ヌーシャテル大学教授のジャック・サヴォイはプレスリリースのなかで語っている。

「選挙戦で使われるレトリックは、短いメッセージになるように進化しています。これは、(政治家が行う)分析や解決策も単純になることを示唆しているのでしょうか? もしそうだとしたら、民主主義に危機がもたらされるでしょう」

語彙力の低下ぐらいで民主主義が脅かされるとは大袈裟な……とは言い切れないと思います。

実用的で難しい言葉を使わず、SNSでウケる言い回しばかりをずっと眺めていたら?

インターネット、特にSNSの普及が、人々の文体を変えているという研究も日々進んでいます。

最近では「人新世」という言葉も聞かれるようになりました。

人類が地球環境や生態系に多大な影響を与えていることに着目した呼び方ですね。

「人類とは何か?」

という人類史の始点も定義され「言語使用の開始」とされているのです。

道具ではなく言語――これにより人類は、圧倒的な情報をやりとりできるようになりました。

どこにいけば獲物がいるのか、安全な暮らしができるのか、風雨を避けられるのか。

言語を用いる最中に人は知性を発達させ、さらには絵を描き、音楽を奏で、埋葬する、といった文化的な活動にも目覚める。

ただし、知性があまりに伸び過ぎて、他の動物ではあり得ないほどの環境破壊もできるようになってしまった。

ゆえに「人新世」が定義されたのです。

ともかく「言語のやりとりが人間の知性を大きく飛躍させること」を念頭に、以下の話を進めましょう。

少し坂東武者から離れてしまいますが、お許しを。

 


言語処理能力と文明進化は比例する

言語のやりとりは、知性を高める情報の流通です。

同時に大切なのが、その情報を記録する媒体ですね。

人類史で最大の貢献を果たしたのが「紙」でしょう。

前漢時代に発明され、後漢の蔡倫(50?ー121?)が製法を確立したとされます。

それまで用いられていた木簡・竹簡と比べたら段違いの便利さで、紙は軽くて扱いやすく、情報流通量が飛躍的に増えました。

本格的に普及したのは『三国志』でおなじみの魏晋南北朝時代

結果、中国では思想が進歩してゆきます。

文才に秀でていた曹操、曹丕、曹植の「三曹」と呼ばれる父子、およびその宮廷にいた「建安の七子」は、文学の発展に貢献しました。

魏文帝・曹丕は『典論』でこう記しています。

文章は経国の大業、不朽の盛事なり。

『典論』は、中国南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統によって編纂された『文選』(もんぜん)に収録され、日本にも伝わり、国家経営のため文章を重視するようになります。

そんなことして意味あんのか?

思わず時政口調で反論したくなるかもしませんが、曹丕らが生きた時代である魏晋南北朝の文人たちは賢さが際立っています。

『鎌倉殿の13人』を思い出してください。

山内首藤経俊北条時政の罵倒っぷりは、『三国志』等と比べて、あまりに稚拙ではありませんか?

むろん『三国志』は後世の作家が加筆した部分がありますが、史実の時点で、レベルの高い言語のやりとりが記録されています。

 

諸葛亮が周瑜や王朗を憤死させるところは創作にせよ、陳琳が曹操を罵倒しまくった檄文の現物が現在まで伝わっています。

三国志フィクション作品による「諸葛亮 被害者の会」陳寿が最も哀れ也

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当時、編纂された逸話集に『世説新語』があります。

これは当時の人々の、よくいえばウィットに飛んだ言い回し、悪く言えばしょうもない小話をまとめたものです。

例えばこんな話があります。

曹操が一杯の酪(らく・ヨーグルト)をもらった。曹操は少し飲むと、蓋に「合」と書いて一座の人々に見せる。

皆ポカンとしていたのだが、楊修のところへ回ってくると、彼は一口飲んでこう言った。

「皆さん、一口ずつ飲んでいいんですよ」



これを組み合わせると「合」になる――という謎を解いた。

まるで、一休さんのとんち合戦ですが、文字を知っていて、機転が利かなければわからない。

脳を活性化させるゲームとしての役割が、文学にはありました。

『鎌倉殿の13人』の舞台ですと、京都であれば、知的能力を高め、脳を鍛えることもできた。

その格差が、源平合戦では出てきます。

別に中国が教養高く、日本が低いというわけではありません。

時代の差であり、実際、坂東武者にしても京都にいれば教養や行政能力が芽生えます。例えば土肥実平千葉常胤がそうですし、他にも言語能力が向上した人物もいました。

序盤で言えば、大庭景親と北条時政の対比が印象的でしたよね。

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石橋山の戦いが始まる直前、両軍睨み合いの中、声を張り上げ互いを罵り合う。

「坂東で罵倒させたら俺に勝てる奴はいねぇ!」

なんて調子で北条時政がしゃしゃりでても、景親にはまったく通用しません。

大庭景親は京都にも滞在していましたし、平家と手紙のやりとりもしていた。北条時政と伊東祐親のトラブルの手打ちに際しても、「証文を書く」と提案する教養があります。

そんな彼にとって坂東武者の罵倒など、所詮は「おまえのかあちゃんデベソ!」程度。

愚かさを証明するだけで終わってしまいます。

当時の史書『吾妻鏡』にしても、挑発の文言は程度が低く、この時代定番の言い回しを見ても、あまり芸がありません。

「遠からんもの(者)は音に聞け、近くば寄って目にも見よ」

たしかに北条時政にも京都滞在の経験はありましたが、知性を磨くには足りなかったのでしょう。

ゲットしたのは若妻と土産だけ――それだけに彼の宿命も浮かんできたものです。

高い知性と教養の持ち主である妻・りく(牧の方)にコロリと言いくるめられてしまい、結果、牧氏事件へと繋がっていった。

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時政よりもインテリである大庭景親の配下には、梶原景時もいます。

公式サイトでも「謎の武将」と紹介されていた彼は何者なのか。

源頼朝を追い詰める謎の敵将。武骨な坂東武者が多い中、和歌を好むなど教養も高い。信心深い一方、リアリストで冷徹な男。

「和歌を好む」ということで教養が高いとされていますが、これは一体どういうことなのか?

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