大進局と祥寿姫

源頼朝/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

女好きも大概にせい!大進局に子を産ませ兄の元嫁・祥寿姫を狙う頼朝

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そこには権力がある

もしも頼朝が、その辺の漁師の娘などに手をつけていたら、政子や家臣たちも見逃していたかもしれません。

実際、そうした女性たちがいた可能性は否定できないでしょう。

しかし、記録に残された頼朝の相手は、それなりに力を持つ武士の娘ばかりです。

ただの情事でもなく、そこには権力闘争の種火アリ。

ゆえに彼女らと頼朝の恋は長くは続けられません。

東国武士団を束ねる立場ながら、西国の貴公子のように振る舞っていた――このアンバランスさが頼朝という男の宿命なのかもしれません。

そして大進局は、前述の通り文治2年(1186年)2月26日に男児を出産。

母子ともども鎌倉を追われると、この男児は出家して「貞暁」という僧侶となり、父はじめ源氏の菩提を弔いながら、ひっそりと生きることになります。

しかし、運命とは数奇なものです。

貞暁の弟子の中に「公暁」がいました。

そうです、源実朝を暗殺するあの公暁です。

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その関係性のなんと複雑なことか。

公暁の父親は源頼家であり、貞暁の異母兄となります。

つまり、頼朝から見れば、自分の子供が自分の孫を弟子にして、その孫が別の息子(源実朝)を殺す――そんな地獄絵図でした。

ちなみに頼朝の子孫と言えば、薩摩の雄・島津家の祖である忠久に「頼朝のご落胤説」があります。

しかしこれは、箔付けのため流されたという説が有力であり、頼朝の好色も関係ないようです。

 

頼朝と政子の恋は教訓を残す

源頼朝を中心に始まった武家政権――。

以降、数百年という時代が続いても、日本人全体の意識がそう簡単に塗り替えられることもなく、東西での文化的差異は依然として続いていました。

例えば歌舞伎

江戸歌舞伎では「荒事」という勇壮な芸が持ち味であったのに対し、上方歌舞伎は「和事」という柔らかい恋愛ものが持ち味です。

歌舞伎のみならず伝統芸能は東西に分かれ、それぞれ異なる特徴を備えていることが多い。

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源頼朝の色好みもまた、様々な教訓を武士の世に残したと言えます。

しかも武家の棟梁としては初期段階にいたため、過ちも犯しました。

そうした経験から新たなルール(法)が作られ、アップデートされていった振り返ってみましょう。

◆遺恨を残す男児は、たとえ幼くとも殺す

これは源頼朝の過ちではなく、平家最大の過ちですが、その対象となったのが他ならぬ頼朝でした。

頼朝とその兄弟を幼いからと救ったばかりに、平家は滅ぼされてしまった。

ならば命を奪うしかない。

そんな慣習は頼朝以降、じつに豊臣秀頼の男児・国松の処刑にまでつながっています。

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◆男子の還俗を認める

室町時代以降は、出家後に還俗して将軍となった人物が出てきます。

例えば足利義教なんかがそうですね。

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戦国時代も同様。

今川義元などが代表例でしょう。

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こうした後世の例を踏まえると、頼朝と大進局の子である貞暁や、源頼家の子である公暁もなぜ還俗できなかったのか?と思いたくもなります。

源氏の血を引く彼らがいれば、鎌倉時代の歴史は大きく変わったことでしょう。

◆性犯罪を取り締まる法を制定する

『鎌倉殿の13人』では義時の兄・北条宗時がこう憤っていました。

「平家方の武士が人の所領から馬や女を奪う!」

何処まで横暴だったか?はさておき、こうした行為は法律で禁ずれば減らせます。

鎌倉幕府の第二代執権・北条泰時は『御成敗式目』を制定。

第三十四条には、不倫と性犯罪禁止が規定されています。

無理矢理だろうが合意の上だろうが、人妻と密通した御家人は所領を半分没収。

所領がない場合は流刑とする。相手の人妻も同様。

路上で女性を誘拐しない。それをした場合は百日間の出仕停止。

郎従以下の武士は、洗礼に従って片方の髪を剃る。

こうして武士の間にも規範が生まれ、トラブルも減ってゆくのです。

◆婦徳の定義を変える

政子が大騒ぎしなければ、もっと頼朝の血を引く子は増えていた。

モノ言う女を減らすためには、わきまえるよう「婦徳(女性の道徳)」を叩き込むことが肝要。

それゆえ、時代がくだると女性向けの道徳書ができあがり、叩き込まれるようになります。

なんせ、そこでの政子は悪女と定義されます。

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一方、婦徳の体現者の典型例が、大河だと『青天を衝け』のヒロイン・千代ですね。

夫の度を超した女遊びに黙って涙を落とすだけで、妻妾同居すら許可する。

それが女の正しい道であると耐え忍んでも、心は苦しいものでした。

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◆女系の身分を問わないこととする

貴賎結婚という概念があります。

身分差のある結婚のことです。

キリスト教圏では近代にならねば認められないものでしたが、東洋では異なります。

むしろ外戚の力を抑えるため、時代が降るにつれ母の身分を問わないようになります。

徳川幕府五代将軍・綱吉の母は八百屋の娘です。

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これぞ女系の力を抑制した好例といえましょう。

父の胤だけが尊く、腹は借り物であるとみなせば、身分はどうでもよくなるのです。

こうして数々の教訓も、血統による権力掌握が終われば無用となります。

恋をして、結婚するのが当たり前――現代の私たちがそう思えているのは、権力と血統のつながりが消えつつある時代に生きているから。

過去の恋愛関係や家の倫理が古臭く、馬鹿馬鹿しいと思えるとするのであれば、それだけ時代や道徳観念が変わったという証拠でしょう。

人間の恋愛に対する感覚とは普遍的なものではありません。

時代や地域、価値観によって変わることを忘れないようにしておきたいものです。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
関幸彦『ミネルヴァ評伝選 北条政子』(→amazon
奥富敬之『源頼朝のすべて』(→amazon
大塚ひかり『源氏の男はみんなサイテー』(→amazon

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