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【気候変動と源平合戦】
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貨幣経済は飢饉に影響する
景気が悪くなった源平合戦時代。
富を独り占めしていると憎悪を買った平家は滅亡し、鎌倉幕府の幕開けとなりました。
そこから平和になったのね、チャンチャン♪
と、ならないのは歴史ファンにはお馴染みであり、ドラマでも「これでもか!」とばかりに描かれましたね。
『鎌倉殿の13人』の舞台である鎌倉幕府草創期は、とにかく血なまぐさい。
相次ぐ内輪揉めにより血は流れ続け、一方で気候も不安定でした。
12世紀後半から15世紀まで、数十年周期で気候変動は起き、しかしそれでも飢饉というほどの食料受難時代には至っていません。
そこを踏まえて鎌倉幕府が政治体制を整えていた――と同時に重要な変化を起こしたのが「貨幣経済」の導入です。
平家が重視していた日宋貿易。
大陸から、大量の書籍や文物、青磁(鎌倉からも出土している)などが輸入される中、最も大事だったものの一つが【宋銭】です。
南宋が滅亡すると、大量の宋銭が日本へも流れてきたのです。
米を食べるだけではなく、余剰分は換金して、米の取れない地域へ送って金を稼ぐ。
そんな貨幣経済システムが浸透してゆきました。
平家が滅亡した時代と比べ、社会は気候変動への耐性を高め、人々は少しずつ商売を覚えていったのです。
しかし、それが永続しないのもまた歴史。
貨幣経済が不安定ですと、飢饉を悪化させることが起こります。
例えば江戸時代、お米の換金を前提にして財政システムを整えていた藩は、何度か起こった飢饉で、深刻な被害に見舞われたことが記録されています。
天明の大飢饉は浅間山とヨーロッパ火山のダブル噴火が原因だった
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隅田川花火大会の歴史はいつからかご存知?それは1732年享保の大飢饉から始まった
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貨幣経済がさらに発展した近世以降は、こうした飢饉による被害拡大がしばしば発生したのです。
最悪の例が、イギリス統治下のインドでした(詳細は以下の記事へ)。
英国領インドの飢餓地獄が凄絶すぎる~果たして飢饉は天災なのか人災だったのか
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気候変動が歴史を作ってきた
戦国時代の動乱は、度重なる寒冷化により資源の奪い合いが激化したことが背景にあるとされています。
江戸時代後期から幕末にかけては、世界規模の気候変動による世情の不安定化がありました。
気候が変動する。
人間と社会がそれに対応すべく変化する。
しかし、安定してきたところで、また気候変動が起こる。
そんなサイクルを繰り返しながら、人類は歴史を成立させてきました。
現代には「人新世(じんしんせい)」という概念が生まれ、人類による地球環境への影響が懸念されています。
ゆえに気候変動という要素から歴史を見直すことも重要なことではないでしょうか。
平家は、確かに彼らだけが驕っていたわけではないにせよ、社会システム構築に失敗した部分があった。
鎌倉幕府はそこに対応して成立できた――。
そんな風に考えながらドラマを見ると、また一つ面白みが増してくるように感じています。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
中塚武『気候適応の日本史』(→amazon)
ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』(→amazon)
他