源頼朝について鎌倉入りを果たした坂東武者たち。
御家人となった彼らの生活は大きく様変わりしました。
伊豆、相模、武蔵といった離れた領国に住んでいた者たちが、鎌倉という都市に集められたのです。
それまで、伊豆の北条時政と相模の三浦義澄が「酒を飲もう」となれば、何らかの行事とか、ちょっとしたお出かけとなりました。
現代で言えば静岡県と神奈川県の友達が会うよりも距離感ありますから、中々のイベントですよね。
それが両者共に鎌倉に住んでいるとなれば、互いの家も気軽に行き来できます。
「おいしい酒をもらったぞ、みんなで飲もう!」
鎌倉殿がそう呼び掛ければ、御家人がワイワイと集まって飲む。
酔いが回ったら気分も良くなって、歌い踊る。
そんな御家人たちの姿が『吾妻鏡』にはしばしば登場します。
「現代の私たちと変わらないねw」という親近感すら抱くかもしれませんが、いやいや、スミマセン、そこは中世の武士です。
当時の宴会には、現代人なら楽しめない、絶対に参加したしたくない習慣や決まり事があったりします。
それはいったい何なのか?
鎌倉御家人の宴会の実態に迫ってみましょう。
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宴会のメニューはヘルシー
『鎌倉殿の13人』では、北条時政がプレゼントとして野菜の「茄子」を届ける場面が出てきます。
焼いて食べたら美味そう……♪
そう嬉しそうに語る時政はなんとも素朴であり、息子の義時も八重に会うため、キノコや海産物をせっせと届けていました。
まだ宋との貿易もできない質素な伊豆や鎌倉では、お土産といえばおいしい食べ物が定番だったのでしょう。
絵巻物や当時の記録、便所跡を発掘すると、その食生活が把握できます。
一つずつ見て参りましょう。
◆野菜
茄子と瓜の種が便所跡から大量に出土します。
時政が劇中で嬉しそうに語っていた焼きナス、おそらく定番のメニューだったんですね。
◆獣肉
『鎌倉殿の13人』では、坂東武者たちが狩猟をする場面が出てきます。
鹿と猪の骨は大量に発掘されており、こちらも定番メニューであることがわかります。
『吾妻鏡』には
「獣肉を食べてしまい穢れたので、神事を休んだ」
なんて記述もよく出てきます。
うっかりしていたのか、出たくない口実のために食べたのか、あるいは食べたことにしたのか。
ともかくそんなマナーがあったんですね。
ただし、馬に乗って弓矢を装備した武士がウロウロしていたら、セキュリティ上問題があります。
『鎌倉殿の13人』では狩猟を名目に武装し、クーデターを狙う状況が出てきたりしますが、まだ鎌倉幕府草創期ならではのことと言えます。
都市として整備されていく過程で、そんな狩猟は制限されたことでしょう。
そもそも獣肉は、猟師が販売するようになったとみなされています。
「最近の若いモンは、俺らの若い頃と違って、猟師どもが売ってる肉を買うんだよ。情けねえなぁ」
時政世代からは、そんなボヤきもあったかもしれませんね。
◆海産物
ドラマでは義時自ら海産物を八重に届けておりました。
これも経済が発達すれば、そうせずに済むようになります。
サザエ、アワビ、アサリ、ハマグリといった貝類。
マグロ、マダイ、コイといった魚類。
そうした殻や骨がまとまって出土します。御家人は海産物を大いに楽しんでいたのでしょう。
◆デザート
菓子が当たり前に食べられるようになるには、まだまだ早い時代です。
小皿に桃の種が乗っかった状態で出土します。
甘いものといえばフルーツでした。
調味料と料理法は?
材料はだいたい把握できたでしょうか。
では調理法は?
これが実にシンプル。
基本は「口中調味」です。
当時の調味料は「醤醢(ひしお)」という、味噌や醤油のルーツとなるものでした。
穀物、肉、魚といったものに塩で味をつけたペーストです。
こうしたペーストを食べ、それから食材を口に入れる。口の中で味をつける。そんな単純極まりないものでした。
現代人からすれば焼いた野菜に味噌が添えてあるようなシンプルなもの。よくいえば、食材そのものの味を生かした健康的なもの。
ただ、現代人がそれで盛り上がるかどうかはまた別の話でしょう。
「もうちょっと凝った味ができないかな?」
そう先人たちが悩み改良したからこそ、和食は発達してゆくのです。
武士の食事でも時代が下った織田信長の祝い膳となりますと、例えば以下の記事にもありますように「甘いデザートも備えた凝ったもの」となります。
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鎌倉時代の食事は和食の歴史を考えるうえでも重要。
かつては遣隋使と遣唐使があり、中国由来の調理法は最先端のものとして許容されました。
鎌倉時代の中国は、宋から元にあたります。
この時代は中華料理発展の時代であり、調理法の数々が成立したと考えられています。
東坡肉(トンポーロー)は宋にできあがった美食を代表するメニューといえます。
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鎌倉には栄西のような中国帰りの僧侶もいました。
しかし仏僧であるため、抹茶の普及には力を入れても、こうしたメニューは持ち込まなかったのです。
もしも伝わっていたら養豚も始まったのかもしれませんが、そうならなかったために猪を食べていた。
養豚の開始は幕末まで待たねばなりませんでした。
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ちなみに『鎌倉殿の13人』にあわせて、舞台地では再現メニューが提供されています。
鎌倉市の料理店「鉢の木」では、当時を再現した「鎌倉武家祝い膳(時代食)」もあります。
ご興味のある方は試してみてはいかがでしょうか。
◆鎌倉武家祝い膳(時代食)(→link)
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