鎌倉御家人の宴会

『前九年合戦絵巻』鎮守府将軍の源頼義と息子・源義家の前に御膳が/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

刃傷沙汰にもなった鎌倉御家人の宴会は命懸け!一体どんな飲み会だったのよ?

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イベント会場で血の雨が降る

焼きナスや鹿肉をほおばり、お酒を飲んで盛り上がる。

そんなのどかな宴がそれだけで終わりません。

当時のマナーにはこんなことが書かれています。

・一人でなくみんなで楽しく飲もう!

・酔っ払って道をふらふら歩き回るな! みっともないから見られないように暗くなってから帰るか、車に乗ること!

・人の席にある料理を勝手に食べるな!

・状況にあわせて振る舞おう!

現代人にも通じるマナーのようで、それだけで済まないのが当時の御家人

イベントでの暴力沙汰や殺人もありました。

劇中に出てくる凄惨極まりない事件も、レジャーやイベントで発生しています。

上総広常は劇中で描かれた通り、双六の最中に梶原景時に斬られました。

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木曽義高の死後、御所で斬られてしまったのが一条忠頼です。

なぜのこのこ御所まで来たかと言いますと、飲み会があると誘われ、その席で討ち取られました。

何かと危険な時代です。

計画的な謀殺のみならず、宴席でのトラブルが命の危険につながってもおかしくはありません。

イベントでの謀殺は、当然のことながら古今東西嫌われます。こうした催しは本来親睦を深め、信頼しているからこそ成立するもの。そんな安心感を破壊するとなると、視聴者側の精神は傷付けられます。

『鎌倉殿の13人』はそうした史実を用い、視聴者に心理的な打撃を与えることに成功したのですね。

 

おそるべき悪習「旅籠振舞」

流血沙汰には至らなくとも、おそるべきイベントが鎌倉にはありました。

旅籠振舞(はたごぶるまい)――そんな当時の悪習です。

「いざ鎌倉」という言葉が示すように、普段は自領に暮らしていて鎌倉に屋敷がない御家人でも、いざとなれば鎌倉にやって来なければなりません。

訴訟や職務のために出張し、鎌倉に滞在するわけです。支店長が本社に呼ばれるようなものですね。

そうなると宿が要ります。

御家人たちが宿を確保すると、鎌倉の警備担当者たちがめざとくチェックをしています。そして彼らは自分の侍所に戻り、同僚たちにこう告げるのです。

「あの御家人、あそこを宿にしているってよ!」

「よっしゃー、旅籠振舞のチャンス到来だぜ!」

そして彼らは御家人の宿に押し寄せ、こんなことを言い出します。

「ちーっす、旅籠振舞やりますよね!」

「お、おう、楽しんでくれよな、旅籠振舞をさ……」

「いつもあざっす、サーセン!」

かくして御家人は押し寄せた連中を料理と酒でもてなし、引出物まで渡す羽目になるのです。しかも費用は全額自腹で。なんなんだこれは!

地方から御家人が鎌倉までやってくると、その宿泊先に下級役人たちが宿に押しかけ、「群飲」=宴会をするように迫り、「引出物」=お土産まで求める。

これが「旅籠振舞」です。

しかも費用は御家人持ちだ。出張費用だけでも大変なのに、なぜか宴会費用までかかるのです。

現代に例えると、こうなります。

地方から本社に出張した支店長の宿泊先に、本社の社員、警備員、清掃員らが押しかけ、宴会をするように迫ってくる。

しかもお土産まで渡さなければならない。

なお、費用は支店長が支払うものとする。

理解しがたい悪習であり、当時の御家人たちも納得できませんでした。さすがに幕府も禁止令を出したものの、徹底されていなかったようです。

金欠でもう無理。つらい……そんな御家人の本音も当時の文書からはわかります。御家人の経済事情は辛かったのです。

「垸飯役」(おうばんやく)という役目もあります。おもてなし担当、いわば宴会幹事です。

もてなす対象は「傍輩」(ほうばい)、つまりは下級役人でした。

この役目もつらい。本人は宴会に参加できず、裏方にいる。費用は自腹。しかも、相手が要求してよいのです。

「ちょっとー、せっかくお正月なんだし、宴会でもやりましょうよ!」

そう傍輩(使用人たち)が押し寄せてきて、御家人が困り果てたこともありました。幕府は正月三日のみ許可することとしたのでした。

あまりに無茶苦茶な悪習です。

こんなものは別に後世に残さなくても良いと判断されたから、なくなったのでしょう。

上司が部下を労うにせよ、その結果として上司が金欠になったらたまったものではありません。

まとめますと、鎌倉時代の御家人パーティはこうなります。

・メニューは野菜や肉を焼いたバーベキューにディップが添えられたもの

・せいぜいデザートはフルーツくらい

・時と場合によっては暴力沙汰、謀殺も……

・出張して本社に行ったら会費を負担した上で宴会をやらされ、金欠に陥る

いかがでしょう。現代人には耐え難いのではないでしょうか。

ストレスが溜まる時代なのに、その発散手段である宴会ですらこうです。

そんなあまりに過酷な当時の御家人生活に思いを馳せ、現代はまだマシだと思う。

それも歴史を学ぶということかもしれません。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
伊藤一美『鎌倉の謎を解く』(→amazon
細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(→amazon

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