男の子の成長を願い、鯉のぼりと共に飾られるのが“武者人形“の甲冑ですが、実はこれ、なかなか日本的だったりします。
滝を登る鯉(龍)のように、立派な武士のように……と込められる親の願い。
同じ東洋でも、中国語圏や韓国では
「科挙に合格できますように」
「状元(科挙の主席合格)になれますように」
といったように、学問、つまりは“文”の頂点だった科挙が験担ぎに用いられていて、“武”に重きが置かれるわけではありません。
かつての日本は、中国大陸をロールモデルとしてきたはずなのに、どこでどう目指す道が異なったのか?
日本に文士(文官)は存在しなかったのか?
ここで注目したいのが2022年に放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』です。
源頼朝が成立させたばかりの鎌倉幕府では、文士も大いに重用されました。
むろん武士あっての政権ではありましたが、そもそも政務の運営なくして政権の維持など不可能ですから、文士たちもまた重要視されたのです。
では、その後は?
武士と文士の差は?
本稿では、日本史ではあまり聞き慣れない、だけど重要な「文士」たちを確認してみましょう。
※以下は科挙の関連記事となります
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文官制度の不備:血筋重視の歴史
「文武百官」という言葉があります。
内外政を司どる文官と、軍事を司どる武官。
彼らが勢揃いして、国家に仕える官僚が揃った様をあらわす言葉であり、文官は学び、武官は武芸を磨く――かつての日本は中国のそんな姿を学んだはずでした。
しかし、実態はどうだったか?
例えば『源氏物語』は当時の貴族社会が反映された作品ですが、そこでは主人公である光源氏の教育方針が周囲の者たちに驚かれています。
光源氏は、長男の夕霧が12歳で元服した際、六位という低い官位を任命させ、さらには大学で学ぶようにしたのです。
名門の父を持つ子であれば、いきなり四位を得てもよいはず。
しかも大学で勉強とは!
と、今では真逆ですが、当時の大学は「勉学でしか出世できない下級貴族が行くところ」と認識されていて、周囲が光源氏の厳しい教育方針に驚いたのですね。
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こうした風潮に対しては、みなさんも疑問を感じることでしょう。
下級貴族たちが大学でマジメに勉強する一方、生まれついてのボンボンたちがいきなり高い位を得るとは何事か。
実力よりも血筋を重視する世界なんてあんまりだ。
しかも、仮に血筋が良くても、その途中の政争に敗れれば、出世ルートを外され苦難の道を歩むしかない。
それが平安時代の貴族社会でした。
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遣隋使や遣唐使を派遣してきた日本は、前述の通り、中国をロールモデルとしました。
しかし、実力よりも血統を重んじるという風潮は、中国を手本にできていません。
他ならぬ中国でも、魏晋南北朝は血統の時代だったものです。
上品に寒門なく、下品に勢族なし。
上流貴族に貧乏人はいないし、下級貴族が出世することはない。
そんな言葉が苦々しく語られ、弊害の打破が求められ「科挙制度」が導入されたのです。
科挙が導入されたばかりの唐代までは、それでも貴族重視でした。その気風が宋代以降、実力重視の傾向となってゆきます。
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実は日本でも科挙制度を導入しながら結局は定着しませんでした。学の面でそれを補うようにして大学が設置されましたが、結局は血筋がものを言う世界。
あなたが、もしも賢い下級貴族だったらどんな気持ちになるでしょう?
どれだけ真面目に勉強したって、自分よりアホな名門のボンボンが上司になる。
ストレス溜まるわ、やってられん!
と、なるのが普通の感覚ですよね。
実際、不満で爆発寸前の人は当時から存在していました。
武力と戦乱の世から苦い教訓を得た中国
『三国志』において人気の高い人物といえば、諸葛亮、字は孔明があげられます。
彼が現代日本に現れるマンガ『パリピ孔明』も人気ですね。
では日本人はずっと彼のことが好きだったのか?
というと実はそうでもありません。むしろ江戸時代は、こんな川柳が詠まれています。
煤払(すすはらい) 孔明は 子を抱いて居る
みんなが大掃除をしているのに、アイツは子守だけして体をろくに動かさねぇ!
そう突っ込まれているのです。
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一方、中国での諸葛亮人気は不動です。
読めば泣いてしまう『出師表』は名文とされ、教材や書道の題材としても人気でした。
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そして日本人が「怠惰だ」として突っ込んだ「体を動かさない点=文官であるところ」が、中国では高く評価されています。
「文官が忠義を尽くす、しかも戦においては強い! 嗚呼、これぞ理想ではあるまいか!」
羽扇を持ち、甲冑を身につけず、馬にすら乗らない、あくまで文官の佇まい――そんな知恵に強いところが、諸葛亮の際立った美点であり、理想像とされたのです。
なぜ、そんな考え方になったのか?
理由はあります。
中国は、武力の暴走による戦乱の世から、苦い教訓を学んできました。
「シビリアンコントロール(文民統制)」の大切さを噛み締めてきたのです。
そして……。
武ばかりに頼ることはよろしくない、文官と武官ならば文官が優位であるべきだ、という考えが定着したのです。
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