嘉禄三年(1227年)6月18日、島津家の初代当主・島津忠久が亡くなりました。
島津家というのは「鎌倉以来の名家」と呼ばれる家の一つですが、こうやって改めて数字で見ると、歴史の長さが伺えますね。
忠久にたどり着く前の経緯もかなり古く、元をたどれば渡来人の秦氏だと言われてます。
彼らが帰化したのは3世紀あたりのことなので、鎌倉時代の時点でも既に1000年程度経過。
もはや帰化云々のレベルじゃないですね。
ちなみに、長宗我部元親で知られる四国の雄・長宗我部氏も秦氏の系統だといわれていますね。
今回は、島津忠久の生涯を振り返ってみましょう。
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ルーツは京都 藤原北家に仕えていた!?
島津氏の直接の先祖は、惟宗忠康(これむねのただやす)という武士だという説が現在やや優勢のようです。
彼は藤原氏の中で最も栄えた藤原北家(藤原道長を輩出)に仕えていた人で、他には惟宗広言(ひろこと)の子だという説もあります。
つまり、島津氏の直近ルーツは京都にあるんですね。
忠久の母親が、源頼朝の乳兄弟(頼朝の乳母である比企尼の娘)だったため、頼朝が関東で挙兵して京都へ影響力を持つようになると、その縁で出世していきました。
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どうでもいい話ですが、この「乳兄弟」という関係がからむと、まさに「男の友情」という感じがして燃えますね。
後者はフィクションですけども、『鎌倉殿の13人』で言えば木曽義仲と今井兼平や巴御前もそうなりますね。
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そうした縁で源氏方についた忠久は、平家追討軍にも加って褒美として伊勢をもらいました。
伊勢というとまず伊勢神宮が思い浮かぶ方が多いと思いますけれども、実は清盛の系統の平氏が代々領地としていた場所です。
そのため「伊勢平氏」と呼ばれることもあります。
敵の縁の地を与えられたということは、忠久がかなり高い評価を受けていたことを示唆していますね。
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九州へ赴任当時は都と地元を行ったり来たり
その後、藤原北家の領地の一つだった日向国島津荘という場所に国替えを命じられ、ここから島津の名字を名乗るようになりました。
江戸時代に島津家から二人の御台所(将軍の正室)が出ていますが、このとき藤原家の後裔である近衛家の養女になったのは、こういう縁が代々続いていたからなんですね。
ものすごく単純に考えると、500年越しのおつきあいということになります。すげぇ。
とはいえ忠久は、すぐに九州へ移ったわけではなく、しばらくの間は九州と都をたびたび行き来していました。
領内へ本格的な館を造って移住したのは、領地をもらってから約10年後、建久七年(1196年)のことです。
この頃は、まだまだ鎌倉幕府の形が不安定な時期でしたので、奥州合戦にも参加したり、頼朝上洛のお供を務めたり、あまり領国に落ち着いたという感じではなかったようですね。
その代わり、立て続けに任官を受けているため、やはり頼朝からの信頼は上々だったことが伺えます。
しかし、頼朝の死後、忠久に大きな不幸が降りかかりました。
忠久も巻き込まれて危うく殺されるところだった!?
かつて源平の戦いでは馬を並べて戦った比企家の面々が、北条家とトラブルを起こし、滅ぼされてしまったのです。
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建任三年(1203年)に起きた、比企の乱もしくは比企能員の乱と呼ばれる事件ですね。
比企家から二代将軍・源頼家の側室が出ていたことから、いわゆる後宮政治がもつれて起きたものだったのですが、忠久も同類と見なされ、九州の領地を全てボッシュートというイヤな予感しかしない罰が下されました。
しかも運の悪いことに、当時の忠久は領地の一つ・大隅(現・鹿児島県)にいて、知らせを受け取るのがずっと遅れてしまっています。
そのため、事の次第を確かめに上洛する際、地元のお寺に「どうか無事に戻ってこられますように」と願文を収めていったとか。
反乱者の縁者と見なされる理由があるとはいえ、全く関与していなかったことで咎められて命も危ういとなったら、神仏にすがりたくもなりますよね。
その後しばらく京都で仕事をしていたことで、幕府からは「アイツは命まで取らなくてもいいだろ」と見なされたようです。
ここで忠久がコロされてたら、島津家のその後も九州の情勢も……なんなら明治維新の西郷隆盛や大久保利通にも大きく影響していたでしょうね。
というか、きっと生まれてきませんね。歴史IFなお話でごめんなさい。
話を元に戻しましょう。
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