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【四鏡(大鏡・今鏡・水鏡・増鏡)】
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大鏡
第55代・文徳天皇の即位~第68代・後一条天皇まで、十四代の天皇と朝廷の歴史が描かれています。
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白河天皇は第72代ですから、後一条天皇の時代からだいたい30年ほど後に書かれたと考えていいでしょう。
他の鑑物は大鏡を手本として、似たような形式で書かれたようです。
なぜ「鏡」とつくのか?
というと、「鏡のように物事をありのまま映し出す書物」という意味だと思われます。
三種の神器の一つとして「八咫鏡(やたのかがみ)」がある通り、古代において鏡は神聖なものとして扱われました。
現代では物心つく頃から「鏡は便利な”道具”である」と認識しますが、大昔の人々は鏡に像が映る原理がわかりませんから、不思議なものだったんですね。
さて、その名を冠するからには、大鏡には本来、恣意的なものを含まずに書かなければなりません。
といっても時代が下ると「鏡」の字がついていても、「えっ、マジで?」みたいな記述があったり、重要な出来事がスッ飛ばされたりしています。
作者はハッキリとはわかっておらず、候補者も藤原氏・宇多源氏・村上源氏など、絞りきれず。
描写力に優れている様子から、かなり文学的才能の高い人だったらしきことはうかがえます。
特に、菅原道真が大宰府への左遷に遭うくだりなどは、和歌や漢詩が多く引かれていて、作者の気合いがこめられている……ような気がします(個人の感想です)。
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他には、藤原公任(平安時代のマルチアーティスト)の失言から始まる笑い話や、藤原道長が栄華を極めていく様子なども詳細に書かれています。
今鏡
第80代・高倉天皇の在位中、嘉応二年(1170年)頃に成立。
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中身は、後一条天皇(第68代)~高倉天皇(第80代)までの十三代が描かれていますが、政治的出来事よりも儀式や学問・芸術のほうが詳しく記載されているのが特徴です。
これは、今鏡が「紫式部に仕えていた老女から聞いた話」という建前で書いているからだと思われます。
紫式部自身ならともかく、その下の層となると、政治の細かな動きよりは儀式や芸術のほうが興味深かったでしょうし、関わる機会も多かったはずですからね。
こちらもやはり作者はわかっていません……が、藤原北家の一員・藤原為経ではないかという説が有力になってきています。
出家後は「寂超(じゃくちょう)」と名乗ったため、こちらで書かれていることもあります。
私見ですが、建前や“かな”の多さなどからすると、女性でもおかしくはなさそうです。
この「今鏡」と、後述する「増鏡」はウィキソースで読めるのですが、明らかに漢字とかなの比率が違います。
『土佐日記』の例もありますので、断言はできませんが……。
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