天才軍略家義経

源義経(右)と源頼朝(ただし最近は足利直義とされる肖像画)/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

なぜ義経の強さは突出していたか 世界の英雄と比較して浮かぶ軍略と殺戮の才

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源義経:安徳天皇を入水させた“武士“らしからぬ戦術

そして源義経です。

孫子』を活用していた曹操は、個人的武勇を誇示した張遼を「将の為すことではない」と嗜めました。

曹操は自分の護衛を務めた典韋(てんい)や許褚(きょちょ)をこよなく愛していたものの、将には個の力に頼った英雄的活躍を求めていません。

そんな曹操からおよそ千年を経た日本では、まだまだ素朴な個人的戦闘力をもとにした合戦が行われていました。

「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」

こんな名乗りは、まさしくその象徴と言えるでしょう。

『鎌倉殿の13人』では、山内首藤経俊が矢に名前を書いているのが印象的でした。

そのせいで、源頼朝を裏切って攻撃までしたことが後に判明するため、現代人からすれば「一体何をしているのか?」と疑念を覚えるかもしれません。

しかし当時の感覚なのでしょう。

敵にせよ、味方にせよ。こんな強弓の使い手がいるとは! そう栄誉になると意識してこそ、自身の名を矢に記したのでしょう。

名誉と不名誉は紙一重です。

義経の父である源義朝は、奇襲や闇討ちを「恥ずかしいことだ」として藤原頼長に却下されることが往々にしてあります。

正々堂々と戦うのではなく、背後から襲い掛かること。

一ノ谷にせよ、屋島にせよ。

後世の脚色された義経伝記ならば輝かしい勝利そのものですが、当時の感覚からすれば相当な困惑があったことでしょう。

壇ノ浦の戦い】での平家は、安徳天皇を船に乗せていました。

帝のおわす、いわば聖戦であるにも関わらず、義経はおそろしい戦術を展開します。漕ぎ手に攻撃を仕掛けたのです。

帝のおわす前で、非武装の者を殺す――。

確かに効果はありました。

漕ぎ手を失った船は翻弄され、平家軍には絶望が広がります。

理屈が全く通じない連中が向かってくる! 捕らえられたら何が起こるかわからない!

まるで猛獣、怪物、あるいは現代人にとっての宇宙人のような、得体の知れない存在がそこにいるのです。

フィクションでは、幼い安徳天皇を抱えた二位尼(時子)が凜然と突き進む姿が描かれがちですが、ワケのわからない化け物を目にして、そんな大胆な行動が出来たかどうかわかりません。

いずれにせよ、あまりのことに安徳天皇は抱えられて入水してしまいます。

結果【壇ノ浦の戦い】は、源氏の勝利で終わりました。

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しかし、こんな“卑劣”な勝利をおさめたからこそ、不穏な情勢が芽生えます。

源頼朝は、帝が溺死し、三種の神器を海に落とされることまで想定していたかどうか?

帝は出家でもさせてしまえばよい。三種の神器のことは全くわけがわからない。平家は確かに悪い。問題があった。

されど、ここまで虐殺される必要はあったのか?

そう疑念を抱かれたからこそ『平家物語』が痛ましく語られたともいえましょう。

義経はフェアプレー精神を欠く、オーバーキルの天才と言えます。

奇跡といえば聞こえはよい。

後世の人々は義経の悲劇性をクローズアップして、美しくしてきた。

しかし原点回帰をすれば結論は異なる。

義経は、ルール無用の残虐さを用いて敵を殺傷する。

彼もまた、乱世の姦雄だったのです。

 


天才軍略家は理解されない

三代目将軍・源実朝が非業の死を遂げると、都では「平家に対しあれだけの悪事をしたのだから当然」という声が溢れたと言います。

哀愁感に満ちた『平家物語』でも、残酷に殺されてしまった者たちへの想いが凝縮されています。

これほどの涙を流させ、悪評を流布した一因に、壇ノ浦での悪夢のような殺戮もありました。

源義経のルール違反として、那須与一「扇の的」があげられます。

扇の的を射る与一の姿までは、美しく優雅、フェアプレー精神があります。

しかし、それを讃えるために舞っていた老人まで射殺するとなると、ドス黒い後味の悪さが湧いてくる。

源義経のルール違反は、味方からですら危惧されていました。

そんな義経は、一体どこで戦術を身につけたのか?

「鬼一法眼伝説」があります。陰陽と兵法に通じた法師から『六韜』(りくとう)という兵書を授かったというものです。

もしかして何らかの手段で『孫子』でも入手したのかと考えたくもなりますが、そうでもないでしょう。

『孫子』には、こう書かれています。

将、軍に在れば君命も受けざる所有り。

前線の将軍は君命であっても受け入れられないことはある。

つまり、原則としては君命が上位にあることが前提です。

頼朝と義経の不和には、義経が頼朝の「君命」を無視していることがあります。

だからこそ梶原景時が報告したのでしょう。義経は兵法の常識すら破っていると思えるのです。

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自分の子孫を残すことが生き物の本能であり、それが戦の原動力であり原理となるのか。と問われたら、決してそうではないでしょう。

大昔から敵を倒すことに特化した「殲滅(せんめつ)の天才」がいます。

たとえば獲物を獲るとき、あてもなく動物を待ち続けるより、効率的に取り組んだ方がいいのは当たり前ですよね。

そのために、風向き、日の傾き方、足音、風の音、匂いなど、ありとあらゆる要素から動物の行動法則を見い出し、効率的に狩る――そんな天才狩人は少数ながら人間の集団に存在しました。

人間同士が争うようになると、そうした天才が殺戮に才能を発揮します。

しかしその天才の流儀が伝染し、真似し続けていくと危険です。

ゆえに天才は往々にして排除されるのです。

天才が切り拓き変えた世界を築いてゆくのは、別の才能の持ち主が担うことです。

義経には先天性の才能があった。

彼が何を考えていたのか。

それこそ孫子やら曹操のように兵法書にまとめていれば別でしょうが、それはできません。

後世、彼を美化して美しい悲劇の英雄にしたせいで、余計に実像がわかりにくくなりました。

彼の天才性や、悲劇の物語はもう再生産しなくてもよいでしょう。

いかに彼がおそろしかったか。そのおそろしさゆえに滅びたのか。『鎌倉殿の13人』ではその恐怖感に挑むのではないか?と期待しています。

壇ノ浦の海で、まさかこんなことになるとは思わなかったまま、“化け物”から逃れるため、海に飛び込む平家の女性たち。

震えながら流した涙のことを視聴者が想像して、わかることもあるのでしょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
小島毅『義経の東アジア』(→amazon
佐藤信弥『戦争の古代中国史』(→amazon
渡邉義浩『三国志運命の十二大決戦』(→amazon
石原孝哉『ヘンリー五世』(→amazon
マシュー・ホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon

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