べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第18回歌麿よ、見徳は一炊夢~捨吉の性被害に蓋をせず

2025/05/12

複数の著名な絵師たちの作品とそっくりに描く――そんな謎の絵師である北川豊章。

その正体は唐丸ではないか?と蔦屋重三郎は確信します。

しかし、さっそく会いに行くと、無骨な武士が賭場にいる。このころ博打は禁止されていましたが、真面目に守られていないわけですな。

それにしたって、このむさ苦しいおっさんが唐丸のワケがねぇ。見込み違いか……と眉を顰める蔦重なのでした。

 


まぁさんを居続けにして新作10本書かせるぜ

蔦重が、欲張り版元ぶりを発揮しております。「まぁさん」こと朋誠堂喜三二を捕まえて、10作書かせたいそうで。さすがに無茶振りじゃねえか?

さしものまぁさんも無理だと困惑しています。

どうやら作家の育成は失敗したようで、頼めるのがまぁさんだけのようですぜ。こいつぁもっと引っ張ってくるか、育てねえとな。北川政演とかよ。

頼まれても無理なもんは無理だと困惑する喜三二。書けてもせいぜい3作だとよ。

すると蔦重が秘策を出します。

「居続け」――「流連」や「留連」なんて言い方もありますね。吉原で連泊することです。

キョトンと目が泳ぐまぁさん。そんなもんできるのは限られた上客だけ。しかも、一泊ごとに女郎屋を変えられる。ラインナップは松葉屋、扇屋、大文字屋!

すると姿勢を正してこうきたぜ。

朋誠堂喜三二(平沢常富)/wikipediaより引用

「まぁさん、10作、書けます!」

「ありがた山です!」

かくして交渉成立、さっそく執筆開始でさあ。

昼間から松の井を侍らせて執筆なんてよォ、確かに夢みてえな待遇だよな。一本箸でところてんを食べているところがいいすね。

問題は費用さね。

耕書堂を手伝っているりつが、そんな原稿料を払えるのかと蔦重に聞くと、まぁさんで儲けた分を全部突っ込むつもりなんだそうで。

そこまでして出す意味があるのか?とりつは疑念を抱いておりますが、正月の縁起物だからなんとかしてえそうです。

 


豊章はもう一人いるのか?

りつと蔦重の横では、次郎兵衛がおかしな姿勢で蕎麦を食べています。

二人羽織ですね。半次郎が、羽織の下から笑いながら出てきました。

次の俄(にわか)で、つるべ蕎麦は「二人羽織で蕎麦の早食い比べ」を出し物にするんだとよ。

珍しく半次郎の後頭部が映りますが、ここは要注目ですぜ。

後頭部の下の方にひっそりと髪と、細い髷が残っている。江戸時代は頭髪が減るとこうなるんですな。

剃っちまった方がスッキリするんじゃねえかと思いやすが、剃髪は隠居を示すこともありますんで。半次郎はまだ現役ってことだな。

あまりにくだんねえ練習に苦笑しつつ、蔦重は何か思いつきました。

北川豊章の正体は別にいる――。

次郎兵衛はアホなことばっかしてんのに、重要なヒントを出すよな。

夜になり、狭い家に豊章が帰ってきました。そこには絵を描く捨吉という男がいる。豊章は絵を見て「西村屋さんも喜ぶ」と嬉しそうにしています。

そして今日は「寂蓮さんが来る」と告げるのでした。

 

唐丸だよな、そうだよな

豊章が出ていくと、入れ替わりに誰かが来て戸を叩きます。

立ち上がる捨吉。

「唐丸……唐丸だよな! ははっ、背ぇ伸びたな! いや唐丸って年でもねえな」

蔦重でした。

しかし捨吉は「あの、どちらさまで?」と戸惑っています。蔦重が「覚えていないふりをしなくていいよ」と言っても、こう返してきました。

「覚えていないふりって何言ってんですか?」

「何言ってんですかってお前……」

するとそこへ上品そうな尼僧が提灯を手にしてしずしずと歩いてきます。寂蓮という客のようです。馴染みがきたと相手を帰らせる捨吉。

夜が明けると、名残惜しそうに捨吉の手をとり、笑みを浮かべて寂蓮は去ってゆきました。

捨吉は玄関前に置かれていた『雛形若菜初模様』に気づいてこうつぶやきます。

「これ、あの時のか……」

「あの時のってどの時だよ? 今、あの時って言ったよな? な!」

しらを切る捨丸に構わず強引に家に入ると、蔦重は正体を見抜いたことに満足しています。

蔦重はやることが突拍子もないようで、ちゃんと証拠を集めて理論展開するところがあり、豊章が来る時は持っていないなかった紙を持って出て行ったことも証拠として追及します。

あれは唐丸の絵である。そのうえで何があったのか話して欲しいと訴えるのです。

「俺ぁお前の力になりてえんだよ」

「……何の話をされてんだが分かんねえですけど。俺ぁ好きでこうしているんで」

「好きってお前……」

「俺ゃこの暮らしが居心地いいんですよ」

吉原で生まれ育ったとなりゃ、蔦重も、捨吉が何をしているのかわからないはずがない。そんな彼でも「好きでそうする」と言われたらわかりません。

参ったといわんばかりに顔を逸らし、うちで仕事しないかと持ちかけます。内緒で礼金はずむと言われると、こう返されます。

「やりません。お引き取りくだせえ!」

突き飛ばされてしまう蔦重ですが、ここで見捨てちゃいられねぇ。

「また来るな」

そう言い残し、出ていくのでした。

家から出ると「あんた、捨吉の昔の色かい?」と男から声をかけられます。なんでも捨吉は、男女どっちの客も取るとか。

誤魔化しながらも、「あいつのところに50がらみのお武家さんが来るはずだ」と逆に質問すると、世話をするかわりに商いをさせているのだろうと推察しています。

どうやら捨吉は「人別」(現在の戸籍や住民票のようなもの)がないゆえ、誰かにすがらなきゃ生きていけないようでした。

 


まぁさんの“筆”が止まっただと?

蔦重が思案しながら店に戻ると、松葉屋とふじ、次郎兵衛がいます。なんでも、まぁさんの“筆”が止まっちまったんだとよ。

「書けてねえってことですか?」

蔦重がいうと、次郎兵衛はこうきたぜ。

「そっちの“筆”じゃないよ。腎虚になっちまったんだよ」

ここで稲荷ナビが「男性特有の病のこと」とすかさず説明します。“かの”小林一茶翁も恐れていたってよ。

なんでここで小林一茶が出てくるんでえ、ってか?

いや、適切な人選だと思いやすぜ。彼は還暦を目前にして娘ほど歳の離れた妻を娶り、交合回数を日記に記してんでさ。

だもんで稲荷ナビが「かの小林一茶翁」と言った時点で、わかる人にはわかるんでやんす。

今回はそういうサイトと思えない範囲で、あくまで日本史トリビアとして、可能な限り攻めていきますんで。

ここで松葉屋も半分おもしろがったような口調でこうだ。

「かわいそうに、この世の終わりみたいな顔しちまってよォ」

「まぁさんにとっちゃ上の筆どころじゃねえですね」

蔦重は真面目くさった顔で気遣っておりやすが、まぁ吉原者としちゃ、そうなったら商売上がったりなもんですからね、対策はありやす。

医者の診察を受けるまぁさん。

「大事ないですよ。まぁ少しお控えになれば戻りましょう」

よかったね、まぁさん。まぁさんは若い頃から遊んでいたため、そのぶん人より早くダメになっちまうのかと悩んでいました。

医者も周りも心配しすぎだと笑い飛ばしながら、薬を処方してきます。

黄精やら一粒金丹も飲んだとまぁさんが答えると、「体質に合わせた処方だ」と医者は出してきます。

「先生の薬は80の爺さんまで元気にしちまったんですよ」と蔦重。

半信半疑のようで薬湯を一息に飲み干すまぁさん。

かくして松の井に連れられて出ていくまぁさんでした。

まぁさんがいなくなったところで、松葉屋が何の薬なのか?と尋ねると、ただの眠り薬だそうで。

本当に治るのか?と松葉屋が心配そうに聞くと、休めば治ると医者はいたずらっぽく請け負います。

ま、要するに使いすぎだもんね。

「これで治らなきゃまことの腎虚。どうしようもありませぬ」

そう言い残しながら、医者も出ていくのでした。

 

自らを罰するため、早く死ぬために

いねと二人きりになると「色は男も女も疲れさせるものだ」と蔦重がしみじみ。

こればかりは江戸時代に限ったことではなく、実際に身体への負荷は大きいものなのでしょう。酒と色は寿命を縮める二大悪とも言われます。

蔦重の言葉を、花魁出身かつ松葉屋女将であるいねは認めます。

だからこそ男は腎虚、女は早死に、「地獄商い」と呼ばれる。

ただし、松葉屋が馴染みの医者をちゃんと備えているのは、なかなかしっかりした経営状態ということですな。あの医者はおそらく堕胎も行うのでしょう。

蔦重が続けます。

「好きでこの商いをする人はいねえじゃねえですか。根っからの好色とか。男が身を売るなら話は違います?」

「戯作か何かのネタかい?」

いねから不思議そうに聞き返され、ごまかす蔦重。その上で「体を売る暮らしが好きだって人はいますかね?」と重ねて聞きます。

いないとは言い切れないと前置きしながら、いねが続けます。

「たま〜にいるのは、罰を受けたい子だね」

自分のせいで色(恋の相手)が死んだり、親が死んだりした女郎の中には、自分が酷い目に遭うのは当然だと思ってしまう子がいる。この職業も好きだ、ありがたいと言い出すのだと。

「自分なんて早く死んじまえんばいいんだ、って言ってたねぇ」

それを聞いて蔦重はこうつぶやきます。

「早く死んじまえばいい……」

唐丸の言葉を思い出しています。

こうした状態は「セルフネグレクト」とも呼ばれます。

性的被害を受けた方が露出度の高い服装をしたりしていると、「あんな目に遭ってなぜそうするのか?」と批判を浴びることが往々にしてありますよね。

それどころか性的に奔放になることもある。

あえて自分を辛い目にあわせて、虐待して、被害は大したことがなかったと思い込むようにする。そんな悲しい心理状態はあるのです。

 

好色の化け物、羅刹のいねが斬る!

その夜、まぁさんは松の井の隣で眠っていました。

松の井に作品を褒められてうっとりとするまぁさん。すると、まぁさんの股間から大蛇がむくむくと鎌首をもたげ、暴れ出すではありませんか!

この異変は、なんとまぁさんの類稀なる好色の気が化け物を作ったのだと説明が入る。いったい、どういうことでぇ……化け物退治は根から断ち切るしかないって!

「おいね!」と松葉屋が言うと、彼女は刀を大上段に構え、こう来ました。

「私がやるよ! こりゃ殿方にはきつい仕事さ」

低い声でそう言われ、まぁさんは弱々しく止めようとします。

蔦重が「まぁさん!」と抱き止め、松葉屋は「居続けは続けていいですからね!」と言い、松の井も「何があろうとお世話しんすから!」と声をかける。

かくしてまぁさんの大蛇は一刀両断――いねの気合いは羅刹のようで……と書きやしたが、理解されにくいんでないかと思いますんで、野暮ですが解説でも。

羅刹=悪魔や悪鬼のこと

羅切=男性特有の器官切断のこと

「羅切」という言葉は時代ものだと時折見かけたモンですが、最近はどうですかね。こういう伝統は語り継いでいきたいもんすよね。

性犯罪者を罵倒するときも「あんな野郎は羅切にしちまいな!」といえばスッキリしますぜ。

このアホな夢も、実はなかなか教養はあるんすよ。

蛇というのは色欲と結びつけられやすく、北東アジアでもそうした伝承はあります。

中国ならば『白蛇伝』。そして日本は安珍清姫伝説ですね。

伝土佐光重画『道成寺縁起』/wikipediaより引用

まぁさんの大蛇は、実際は夢でした。

夢とはいえ、この羅切を予告映像でも流していたのかと思うと、じわじわ何かが込み上げてきますわな。

目覚めたまぁさんが嘆き「これも夢だったりしねえかなぁ」とぼやいていると、こうきました。

「これも夢? 夢枕で、夢から醒めてもまた夢?」

こうしてアホな夢のおかげで、新作青本アイデアが生まれたようです。

しかし……この人、武士としての本業はどうなっているんですかね……。

 

捨吉は身を捨てていた

蔦重が、唐丸の使っていた矢立を手にして、それをじっと眺めています。

耕書堂の手伝いに来ていたふじもまた、その様子をじっと眺めてから声を掛け、家に帰ってゆく。

どうしても諦めきれないのです。

「あんたはどうしたって、死なない鬼の子だからね!」

そう叫ぶ女の声。

「捨吉ってえのはおめえかい?」

そう囁く男の声。

捨吉の「はい、はい」と答える虚な声が重なってきます。

そんな醒めぬ悪夢のような声のあと、薄暗い捨吉の家の前で、底抜けに明るい蔦重の声が響きます。

「お邪魔山〜!」

蔦重が目にしたのは、半裸のまま布団でうつ伏せに倒れた捨吉の姿です。

あわてて駆け寄り無事を確かめる蔦重。

「おい、大事ねえか? どうした? 押し込みでも入ったか?」

「気を失っちまったんだと思います。荒いのが好きな客がいて」

そういうと素早く起き上がる捨吉。

着物の背には髑髏のついた杖を持つ僧侶の姿が……一休骸骨を連想させますね。

一休骸骨/wikipediaより引用

「お前まずいだろ、んな客! 一歩間違ったら死ぬぞ!」

「平気ですよ。向こうも塩梅は心得てるし」

そう帯を締めながら言う捨吉。こういう男色を売る陰間としては、前髪がない捨丸は歳がゆきすぎました。

となると女客か、女や子ども相手にはできない際どいことをしたい客を取らねばならないのです。

「あのよ……この暮らしがいいのは早く死にてえからか?」

「聞いてどうすんです、そんなこと」

「俺ぁ、お前がいなくなって悔やんだんだよ。いざとなりゃどこの誰だか分かんなくて。何でもっとしつこく聞いとかなかったのかって」

これが蔦重の後悔です。

実は瀬川にも言えることでして、彼女が「あざみ」になる前が何なのか、うつせみからふくに戻った場合とは異なり、はっきりとしておりません。

「瀬以」は「瀬川」ありきに思えますので、あれが元の名前ともいえない。

 

捨吉の生い立ち

捨吉は生い立ちを語り始めます。

彼のおっかさんは夜鷹だったそうで、彼を堕胎しようにもできなかったのだとか。

『北国五色墨 てつぽう』喜多川歌麿/wikipediaより引用

「何で生まれてきたんだ。食ってくのもやっとなのに」

そう言われながら育てられ、彼の育ったような場所では、7つを過ぎたら客に売られてしまう。

逃げ出そうとした幼い捨吉は、母にこう言われたものでした。

「いいかげん、てめえの食い扶持くらい稼ぎやがれってんだよ!」

捨吉はそんな凄絶な過去をこう振り返ります。

「いてえし、くせえし、散々だったけど、金を稼げばおっかさんの機嫌がよくてね」

ここでさらにおそろしい場面が入ります。酒を飲みながら、母が子にこう言うのです。

「いい子だねぇ。お乳でも吸うかい?」

「出てくるの、お酒じゃないの」

「試してみるかい?」

そう戸惑う捨吉を抱き寄せる母親。

これは狂気の沙汰のようで、性的な接触を通してしか愛情を確認できないほど、歪められてしまったのでしょう。

『山姥と金太郎 盃』喜多川歌麿/wikipediaより引用

しかし、そんな母もすぐに機嫌が戻ってしまうのだとか。

捨吉は淡々と続けます。

「その日もヤスがてめえの稼いだ金でよその女を買ったって当たられて」

身を売って稼いだ金が、別の男によって、別の女に回ってゆく。性と搾取だけの人間関係が見えてきます。

「ヤス」とは捨吉の母のヒモ――あの向こう傷の浪人のことでもあります。

 

鳥山石燕との出会い

「その日」も母にぶたれて大きなたんこぶができていた――捨吉は、不思議な老人に出逢いました。

枝で地面に絵を描いているのです。

何を描いているのか? そう問われた老人はしげしげと眺めてこう返す。

「おめえ、三つ目小僧か?」

尾形月耕『月耕漫画』「三つ目小僧」/wikipediaより引用

鳥山石燕でした。

蔦重も知る「妖(あやか)し絵」を得意とする絵師です。

烏山石燕『画図百鬼夜行』/wikipediaより引用

石燕は妖しを描いていました。

彼にしか見えない何かを彼は描く。それでも石燕は「いいからお前も描いてみろ」と言ってくる。

捨吉は見えないものを描くことはできないので、石燕の絵を真似しました。

それがめっぽう楽しい。見て写すことに夢中になった捨吉に、石燕はこう声をかけます。

「三つ目。おめえ、うちに来ねえか? ちゃんと絵をやってみねえか?」

「いく!」

そう元気よく答えた捨吉ですが、彼の母がそれを許すはずもありません。

錯乱し鬼のような形相で叫びます。

「何言ってんだよ! 誰のおかげで、あんた誰のおかげでここまで生きてきたと思ってんだよ! これからはあんたがあたいを食わす番だろ!」

悲しいかな、この母は身を売ること以外、金を稼ぐ術を知らない。

人生にささやかな楽しみを見出す捨吉を見て、裏切られたと思ってしまったのでしょう。

 

母から逃れてきた唐丸

それからしばらくして「メイワク火事」が起きました。

崩れた家の中にいる母に足を掴まれる捨吉。人を呼んでくるから離して欲しいと訴えても、母はこう言うばかりでした。

「てめえだけ助かろうってハラだろ! あんたはどうしたって死なない、人の命を吸い取る、そういう子だからね! 鬼の子だからね!」

このままでは死ぬ。捨丸はおっかさんに殺されると思い、やっとの思いで逃げました。

「おっかさんを助けて」とは言わずにそうしたのです。

それどころじゃなかったというのは言い訳で、逃げ出したかったのだと語る捨吉。

とはいえ、そのうち自分のしでかしたことが怖くなってしまった。もう何もかも、しまいにしたくなった。そもそも生まれてきたのが間違いだった。そう思うようになってしまった。

そんな捨吉にとって、吉原はまるで夢のようなところでした。

蔦重は「ひでえ」と言っていたけれど、彼にとってはそうではない。ここで唐丸としてやり直したかったのだと。

これはここまでの描写からも推察できます。

松葉屋では松崎という女郎が堕胎の後、寝込んでいる場面がありました。堕胎させるにせよ、それなりのケアはしています。

捨吉は荒っぽい客を取っていたからこそ気を失っており、蔦重はそれを見て押し込みと誤解した。その上で死にかねないと怒りました。

吉原でもちゃんとした女郎屋は、あまりに手荒だと出禁にするのです。

吉原の禿は7つくらい。まだ客は取らされておりません。

そして、新之助との足抜けに失敗したいねが語った最底辺の地獄も見えてきます。

捨吉にとって吉原が未知の世界であったことをふまえると、彼の母は別の岡場所にいた可能性が高いでしょう。

そして夜鷹になるしかなかった。

彼女は身を売るしか金を稼ぐ手段を知りません。足抜けをするなり、年季を終えても、他に金の稼ぎ方を知らねば、夜鷹になって落ちぶれるしかない実例ですね。

いねに「吉原から抜け出しても夜鷹にでもなるしかない」と聞かされたからこそ、うつせみは和算の本を読み、知識を身につけておりました。

百姓の女房として生きる上で、その知識は役立っているはず。

同時にいねは「相手は博打打ちでもするしかない!」と言いました。

稼げない武士である豊章は博打で一発逆転を狙い、捕まえた捨吉に身を売らせて生活をしています。

新之助もこうなっていたかもしれないのです。

つまり、捨吉の地獄のような人生は、底辺の世界ではありふれた典型であったとわかります。

 

お前が生きてえなら、いくらでも手を貸す

そんな終わることのない地獄から、吉原にいれば抜け出せるかと思っていた捨吉。

しかしそこへヤスがやってきて脅しをかけてきた。

ヤスは、彼が母を見捨てて逃げたことを知っていました。

朱子学が徹底されていた江戸時代では、避難の際に親を捨てて立ち去ると「不孝」として処罰されます。

そんな怯えもあるうえに、ヤスはまた捨吉を搾取しようとしてくる。それを終わらせようとして、捨吉はヤスとともに川に飛び込んだのでした。

それでも「どんだけ悪運が強えのか」と捨吉。

彼は死なずにヤスだけが死にました。

「俺を助けたいみてえなことを言ってたけど、助けちゃいけねえんだよ。俺みたいなゴミは。さっさとこの世から消えちまった方がいいんだ」

そう噛み締め、自分に言い聞かせるように語り終えた捨吉。

蔦重はこう言います。

「そうだな。俺ゃお前のこと助けらんねえわ」

そう言われ、振り向く捨吉。

「けど、お前が生きてえってんなら、いくらでも手を貸すこたできんぞ。俺は死んで償いてえのにこいつに無理やり生かされてんだって。ごうつくな本屋に見込まれて、無理やり絵、描かされてんだって。その言い訳にはなれる」

そう言いつつ立ち上がり、横に座る蔦重。

それでも「俺、人を」とつぶやく相手に蔦重はこう言います。

「まぁそうなんだろうけどよ。俺ゃお前が悪いとは思わねえ。死んだやつらにゃ悪いけど、お前が生きててよかったとしか思えねえんだよ。ってことはよ、お前に石投げんのは別のやつの役目ってことだろ? 俺の役目はお前を助ける。俺は、お前を助ける」

相手の目を見据え、微笑んでそう語りかける蔦重。

涙が捨吉の目に滲みます。

蔦重は、あの矢立を差し出し、握らせました。

矢立(筆と墨壺を一つの容器に収めた筆記用具)/wikipediaより引用

 

地獄を抜け出して、二人で駆け抜ける

あの火事の日、捨吉の母はこう叫んでいました。

「あんたはどうしたって死なない、人の命を吸い取る。そういう子だからね、鬼の子だからね!」

そこに蔦重が走ってきて、彼の手をとりました。

「べらぼうめ! 何考えてんだ! 行くぞ!」

二人で走り、彼は救われました。

あのときのように、二人は川縁を走り抜けます。命をもう一度救われて、思い切り駆け抜けてゆくのです。二人の間にはあの矢立があります。

予告でも使われたこの場面は、今後、何度も何度も出てきて、視聴者の情緒をグチャグチャにすることでしょう。

もひとつ、余談でも。

苦界から抜け出せたようで、そうできていない夜鷹と、浪人のヤス。

この二人はうつせみ改新之助との、鏡像のようにも思えます。もしも一度目の足抜けが成功していたら、二人が辿った道かもしれません。

先週の展開をみて、二人にはこういう趣旨のことが言われておりまして。

「あの二人が百姓になって一安心かもしれないけれども、噴火や飢饉という“バッドイベント”がこれからある、森下先生を舐めんなよ!」

昔のこととはいえ、あれだけの犠牲者が出たことを「バッドイベント」扱いをするのはいかがなものかと思います。あっしゃー、むしろ飢饉の慰霊碑の前で、ちぃと手でも合わせたいもんですが。

それに敢えて悪いことをじっくり描くのは、意地悪でも尖った作風でもなく、歴史を扱う作家ならば良心的な姿勢でしょう。

世界大戦のようなことでも悲恋の背景扱いする人がおりますが、歴史ドラマをみてファンをしていて、身についたのがそういう姿勢だとすれば嘆かざるを得ません。

ついでにいえば、そういう悲惨なことが起きる上で、光ある種は蒔かれています。

ふくは和算を学んでいる。新之助は義侠心と忍耐強さがある。そして源内譲りの熱い魂がある。

となると「義民」の二文字が浮かんできますぜ。

「義民」とは、民の暮らしが厳しい折、自らの命を賭してまで救うべく立ち上がるもののことを指します。

新之助を演じる井之脇海さんは、森下佳子さんから「前半は情けなくとも、後半は格好良い」と聞かされているとか。

てえこた、あの二人はやはり義民になるんだと思いやすぜ。とてつもなくかっこいいじゃねえかよ!

江戸中村座初演『東山桜荘子』の錦絵(歌川豊国)/wikipediaより引用

 

ふじ、唐丸のために「人別」を取る

駿河屋では、一本箸を使いふじがところてんを食べています。

すると、あのお馴染みの衝撃音。階段落ちすね。蔦重が駿河屋の親父殿を怒らせたんだな。

ふじは向き合う相手に手で断りを入れ、ところてんを静かに置いて立ち上がります。

「あいつを養子なんて、何で俺がそんなことしなきゃなんねえんだよ!」

蔦重はそんな親父殿に平身低頭してます。

「今日まで俺が生きてこられたのは親父様のおかげです。どうか、親父様の慈悲をあいつにいただけねえでしょうか」

「あんなワケあり戻せっかよ!」

「もう何もねえと思うんでさ。見かけも変わってるし、そもそもみんな死んだと思ってるし。誰も気づきやしませんって」

捨吉のことですな。

ちっと「死んだはずだよお富さん」という歌で知られる歌舞伎の『与話情浮名横櫛』を思い出しちまったけど、ありゃ嘉永年間なんでこの時点でそれはねえな。

すると「ん」とふじが書面を渡してきます。

「四郎兵衛でもらってきたさ」

なんと人別をもらっていたのでした。

駿河屋はそれでも「だめだ、だめだ!」と止めようとします。彼としちゃ吉原に何かあったら困るわけよ。

するとふじは、ダンッと音を立てて階段を踏み締めます。

「な、何だい……」

さしもの親父も、この女房にこうやられちゃあ、頭が上がらねえんだな。

「重三郎はあの子をずっと待ってたんだよ! そんな大事な子なんだから、何があってもなんとかするんじゃないかね」

「……んなこと言ったってよぉ!」

これには親父もタジタジだ。ま、この女房の気風のよさに惚れ直しているところもあっかもしれんけどね。

「分かるよ。あんたは大事に思ってんだよね。重三郎も、吉原も」

そう理解を示し、なんとか収める。

ふじはまるで大菩薩の風格があるぜ。惚れるぜ!

蔦重が目を潤ませて「おっかさん」と呟き、人別を掲げて一礼します。

ありがてえ、ありがてえことだよ!

じっと静かに見守って、息子の気持ちを読み取ってきた。まさしく慈母ですなあ。

 

三人の義兄弟がかくして生まれる

そのころ耕書堂にはあの博打打ちの豊章が来ていました。

捨吉を取り返そうとしてゴネている様子。次郎兵衛が止めようとしていると、そこへ颯爽と蔦重が帰ってきて、こう言い切りました。

「そいつは俺の義理の弟なんで。“勇助”っていって。義兄さん、覚えてねえすか。女郎の死んじまった玉野の子で、駿河屋の養子にいた」

「ああ〜! いた! いた気がする!」

そう曖昧に答える次郎兵衛。

「絵がうめえやつでねぇ。豊章先生の絵を見て、これは“勇助”の絵じゃねえかって思ったんでさ」

畳み掛ける蔦重。

でまかせだと食ってかかられると、あの人別を出して見せます。豊章が「本当なのか?」と尋ねると、捨吉は言います。

「しかとは思え出せねえんですけど、“勇助”って呼ばれたらなんだか懐かしい心持ちが……」

そして懐に人別を入れると、蔦重は捨吉の肩を抱き、声をかけます。

「少しずつ思い出していこうな、勇助。今まで義弟が世話になったようで、心よりお礼申し上げます」

そうそつなくいなすと、相手はこうきました。

「じゃあ、仕事くれ!」

なんなんだ、おめえさんよ。なんでも博打で負けがこんでいたそうで、青本作家として食い扶持を稼ぎたいそうで。

「書けんすか?」

「そこは俺に、賭けてみようぜ」

そう請け負う豊章。ほんとに大丈夫なのかい。

ともあれ、この人別の再利用により、喜多川歌麿生年との整合性という要素も埋めてきましたね。

『桃園結義』喜多川歌麿/wikipediaより引用

 

「歌麿」がかくして生まれた

捨吉はこのあと、蔦重に「早速迷惑かけちゃったね」と声をかけます。

敬語もなくなり、甘えが出て、素直になって、以前の口ぶりが戻ってきたじゃねえか。

「なんでえ。探してたのは物書きだったんだから、うまくいきゃ飛んで火に入る夏の武士ってとこよ」

それでも捨吉は人別のことが心配なようです。元の持ち主が戻ってきたらどうするのか。

親父様に耐えきれなくて出ていったんだから戻ってこねえと蔦重は断言。

「俺……人別なんて初めてだ」

感慨深げに捨吉が言葉を漏らすと、蔦重は画号を提案します。

「でよ、歌麿ってなぁ、どうだ?」

最初は歌丸でどうかな?と思ったものの「丸」でなく「麿」にすれば公家の出だと噂が立つと言い出します。

そうしたらいつの間にか、京の偉い絵師の落とし胤(だね)という噂が立つ。「まろの子やないか!」とお公家さんが言い出し、ついにはお内裏に絵を描くことになると蔦重は語ります。

人別がないことを逆手に取ったホラだねえ。これを聞いた捨丸は笑います。

「そんなにうまくいくわけあるかよ」

すっかりあのころの笑顔になった。そう思ったのか、蔦重はハッとします。

「俺な、お前だけじゃなく、誰も助けられなかったんだよ。花魁も。源内先生も。お前助けることで救われんのは……俺でさ」

脳裏に浮かぶのは瀬川や源内先生の笑顔です。

思わず目頭を抑える蔦重。

「歌麿。あの時の約束、守らせてくれ」

ここで相手の目を覗き込み、こう誓う蔦重。

「お前を、当代一の絵師にする。だから死ぬな。俺のために生きてくれ」

「義弟(おとうと)が、義兄(にい)さんが言うことに逆らうわけにゃいきませんね」

こうしてとびきりの義兄弟がここに生まれたのでした。

 

まぁさんの“息子”も完全復活した

さて、夜の吉原を大文字屋の誰袖が、花魁道中で歩いてゆきます。

瀬川の凛然とした雰囲気とはちがい、触れたら落ちそうな、こぼれんばかりの色香が振り撒かれてゆく。

牡丹の花弁のような唇が少し開くと、真珠のような歯がチラリと見えるところがたまらない。男殺しの魔の淵のように見えてきまさぁ。

さて、まぁさんは絶好調でふざけた話の『見徳一炊夢』を仕上げていました。

アホみたいな話とはいえ、漢籍故事の「邯鄲の夢」を下敷きにしてんだな。夢から醒めたらまた夢とはどうやって思いつくのかと問われ、こう返すまぁさん。

「まぁ、一言でいやぁ、息子のおかげかねぇ」

「ハハ、息子さんの。息子さん、近頃お加減は?」

「それがよぉ! 近頃めっきりやんちゃになっちまって、とんだ放蕩息子だぜ!」

そう語るまぁさん。こんなセリフの書かれた台本を渡されたら、ある意味困るんじゃねえか。

でもまぁさんがこう語るのも納得よ。なにせ、あの誰袖が、今夜まぁさんの相手をするんだから。

「次はうちだと聞きんして」

ここでまぁさんを迎えにきて微笑む誰袖は、あどけない幼女の無邪気さと、花魁の色香を持ち合わせたとんでもねぇ天女ぶりだもんな。

「んふ、どうぞ、兄さんもご一緒に」

そう蔦重に言っちまうあたりがなんとも危なっかしいけどよ。

蔦重はそんな誰袖はあしらいつつ、まぁさんに新作を頼んで去ってゆくのでした。

『松葉屋内市川』喜多川歌麿/wikipediaより引用

 

上様も夜更かししているようだ

舞台は江戸城へ。

田沼意次が徳川家治に人事案を発表していると、あの真面目な上様があくびをしてしまう。そしてこうきやしたぜ。

「すまぬ。お鶴と夜更かしをしてしもうてな」

笑い声をあげる意次。

「お励みのこと、何よりでございます」

渡辺謙さんがなんだかセクハラオヤジじみたことをされておりやすが、ある意味、史実準拠かもしれねえんで。

意次はイケメンで大奥でも人気抜群。色がらみでさまざまな噂が立てられた人物でもあります。

田沼意次/wikipediaより引用

これも彼の悪評を高める一因なのですが、なまじ足軽あがりですので、生々しい人脈を駆使していかなければなりません。

となると、妾の親族だの、そうしたものまで使わざるを得ないんですな。それが膨れあがってしょうもねえゴシップが生まれんでさ。

もうひとつ。

まぁさんの好色は、スケベ武士のモンであって、大蛇の化け物にゃあなりやせん。夢とお笑いで済む。

しかし、将軍ともなるとそうはいきません。

10代・徳川家治は淡白で、男子が家基しかいないことが問題でした。

徳川家治/wikipediaより引用

11代・徳川家斉は旺盛すぎて幕府が傾くほど。父である治済に輪をかけて子沢山でした。

将軍の血を引く子となると、その辺に放り出すわけにもいかない。男子だろうと女子だろうと、ちゃんとした縁談が必須となります。

それには、金がかかるわ、仕事が増えるわ、幕閣が疲弊することになる一因となりました。

2027年『逆賊の幕臣』予習にいきます。興味ない方は飛ばしてくだせえ。

徳川家斉の度を超した好色は、幕府倒壊の遠因にも繋がります。

水戸藩に男子が途絶えたということは、前回の放送で言われました。これは幕末へ向かう中、再現しまして8代藩主・ 斉脩が若くして男子を持たぬまま亡くなります。

となると、ここは家斉の子から藩主を迎えたほうが良いと考えるものも水戸家中には出てきます。

しかし斉脩には部屋住みの弟がいます。

この弟君こそ藩主とすべきだとこれに反対運動が起こり、地理的に近いということもあってか、水戸藩士が江戸までのぼって運動を展開することになります。

この集団が、幕末の水戸藩を揺るがす天狗党の前段階となります。

そして生まれたのが9代藩主・斉昭です。

徳川斉昭/wikipediaより引用

このことから斉昭とその側近は、自分たちがパワフルに行動すれば幕府に物申すことができると学習してしまいます。

黒船来航で幕閣が疲弊している中、斉昭がこのパワフル政治介入をますます盛んにしたせいで、情勢が掻き乱される最悪の事態となった。

例えば阿部正弘は、事態を打開せんと広く意見を募集しているんです。

「言路洞開(げんろとうかい)」路線です。

すると吉原の忘八がこんな意見書を送ってきます。吉原あげて大宴会して異人をもてなし、土産も渡して酒を飲ませて浮かれさせて、そこを不意打ちにしちまえばいいじゃねえかと。

まぁ、忘八の発想になりゃそうなるし、自分たちなりに考えたんなら努力はわかりますよね。それを聞いて史料が残っているのも面白いんですよね。

問題は、ここからなんです。

近年発見された書状によると、斉昭もこの忘八とさして変わらぬ騙し討ちを提言してきたのだとか。

しかも、忘八なら即座に却下できても、御三家当主の提言とあってはポーズだけでもなんとかしないとならない。幕末はつれぇよ。

そして、阿部正弘がストレスのあまり亡くなると、名門井伊家の出身、大老という重みある役目に井伊直弼が就任します。

ますます暴れる斉昭に苛立った直弼が【安政の大獄】で大鉈をふるい、斉昭を処罰すると、水戸藩士はまたもパワフル政治介入を暴力を伴ってまで実行に移します。

桜田門外の変で、井伊直弼を殺害してしまったのです。

「桜田門外の変」を描いた浮世絵・月岡芳年/Wikipediaより引用

さすがに、これはやりすぎ! この事件のせいで幕府権威は大きく損なわれました。

大名一個人という単位で考えると、薩摩よりも、長州よりも、土佐よりも、水戸がはるかに幕府崩壊に影響を与えているんですな。

これも元を辿れば、家斉子息の後始末が関係している。

幕末の問題の原点は、辿っていくと大体が『べらぼう』の時系列あたりまで遡れるものが実に多いのです。

そして、この井伊直弼に抜擢されるのが『逆賊の幕臣』主役となる小栗忠順です。

アメリカから戻ってきたら、自分を引き立てた井伊直弼が討たれていた――なんて大変な役回りだったのか。再来年は小栗忠順の奮闘に期待しましょう。

話を『べらぼう』に戻しやすぜ。ここで衝撃的な知らせが入ります。なんとお知保の方が西の丸で毒をあおったのだとか。上様宛の書状が届けられます。

 

鱗形屋の店仕舞い

蔦重が、須原屋市兵衛から「鱗形屋が店を畳む」という知らせを聞かされます。

江戸生まれの本屋がまたひとつなくなると嘆く須原屋。

「鱗の旦那がいなくなるのか……」

蔦重も暗い顔をしておりますが。

ここで『吉原細見』の板木も売っちまったと指摘されるところが、どうみも引っ掛かります。

たしか買おうとしていたのは西村屋与八であり、

初代西村屋与八/wikipediaより引用

止めたのは二男の万次郎でした。

花は枯れても種は蒔かれているのかもしれませんぜ。

 

MVP:喜多川歌麿

唐丸が喜多川歌麿であるというのは、わかりやすいヒントが複数あったと思います。

染谷将太さんが歌麿役という時点で凄いことになりそうだという予感があったことは、事前予想の記事でも書いておりやす。

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歌麿の描く絵は、美しいだけでなく、身を売るものの哀愁も滲んでいるものもあります。

彼自身の人生はドラマの創作にせよ、そうせざるを得ない人々の哀しさを知っていて、それを描いた人だと思えたものです。

春画も実に味があり、どこか哲学的なものがあるとすらされます。

ただの天才売れっ子絵師というだけでなく、吉原を舞台にする意味まで、哀愁まで載せてこなければならない。

そんな高い要求に、この歌麿像は応えてきたと思えます。

それだけでなく、さらに大河の歴史に残る大きな一歩を刻みました。

見えなくされてきた男性の性被害者の声を残したのです。

日本史では、他の文化や宗教圏とは異なり、同性愛が強い禁忌とされてこなかったとされます。

同性愛で関係を持つ人はいたわけであるし、性虐待の被害者も男女双方にいる。

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それなのに、いなかったことにされるか、あるいはお笑いネタにされるか、BL(ボーイズラブ)だのなんだの客寄せに使われるか、そういう酷い状況でした。

しかし、こういうことをしていると、傷ついた人の心は癒されないどころか、余計に傷つけられてしまいます。口を塞がれてしまいます。

2023年『どうする家康』は、BLだのなんだの喧伝し、耳を噛んだり、まだ幼い竹千代を信長が相撲で投げ飛ばしたり、何を考えているのかと私は苛立っていたものです。

ジャニーズ問題が燃え盛った直後に何も反省していないのか?と驚愕したものですが、NHK局内、大河チームでも怒髪衝天している人はきっといたのでしょう。

そのひとつの答えが、今回見られたと思えます。

捨吉の辛い境遇を、誰一人として笑い話にも、堕落の証にもしない。

苦しみ傷ついてきたことを否定しない。

「好きでこの仕事をしている」と捨吉に言われたら、いねに聞きに行って、どうしてそうなるのか蔦重は確認する。

そして彼を決して否定せず、ただ、生きていてよいのだと寄り添う。

時代劇であるのに、サバイバーへの寄り添い方は現代の知見が反映されています。

お見事です。

 

「歴史総合」時代へ対応した大河ドラマへ

2022年より「歴史総合」が新科目として登場しました。大河ドラマもこれに対応してきていると思えます。

2024年『光る君へ』は、歴史総合で扱うよりもはるかに前の時代です。

そうはいっても、日本と中国の狭間に生きる人々の存在を再認識させました。

歴史総合は近世以降を中心に学ぶだけではなく、日本史の枠を出る範囲もカバーしています。

そういう観点からすればあのドラマは対応できていました。

周明はじめ歴史に名を残さなかった人物に焦点が当てられています。

彼は親から対馬の海に投げ捨てられ、死んでいたはずの存在。それが国と国の狭間で生き、歴史の狭間で命を落としていったことが描かれたのです。

まひろが九州までくだり、刀伊の入寇に出くわす展開はかなり強引でした。

それでも周明のような歴史の狭間に消えた存在を再生させるという意義を踏まえれば、私は大いにありだと思います。

こうした範囲は地理的なものだけでなく、身分にも及びます。

歴史に名を残した為政者や有名人だけでなく、庶民がどう生きて歴史を築き上げていったか。

見なかったことにされる被害者や犠牲者を、どう再検討するか。

2020年『麒麟がくる』の時点で、駒を通してそんなアプローチはされてきました。

これも別に歴史総合やBLM運動からやってきた近代の流行ともいえず、「江湖」や「野史」「稗史」として伝統的にあったことなんですけどね。

2025年『べらぼう』はそこに正面切って取り組むから、実に新しいアプローチなんですな。

 

「番組の一部に性の表現があります」というテロップについて

このテロップは、まだ大河ドラマは発展途上だと思えました。

「性の表現」であれば、初回からずっとつけ続けるべきだという意見があり、私もそれには賛同します。

あくまで推察ではありやすが、性的同意が取れていないということかもしれませんぜ。

HBOの『ゲーム・オブ・スローンズ』から考えてみましょう。

あれはそもそも成人指定がされてはおりまして、性的な表現は随所に出てきます。

それを承知した上で問題視されたものとして、性的同意がないまま行為に及んだ場面があげられます。

吉原女郎は一応契約範囲内であるのに対し、幼い捨吉は強引に客を取らされている。そこが一線を越えたということかもしれません。あるいは捨吉の年齢も考えられます。

ま、まぁさんの腎虚がらみという可能性もありやすが。

羅切は「殿方にはつらい表現さ!」ってことかもしれねえなぁ。

そこを踏まえ、次のような意見には賛同できかねます。

「女郎は美化して描いているのに、男が被害に遭ったら取り上げるのは男尊女卑の証拠だ!」

唐丸の過去は悲惨だとしつつ、女郎の苦労、妊娠、性病、暴力的な搾取はないと言い切るSNS投稿を見ました。

しかし、それは全てあるでしょう。

捨吉の母は、そもそも望まぬ妊娠をしているし、暴力的な搾取のなかで人間性までおかしくなっています。

こういう投稿や打ち切りハッシュタグに同意するものは、固有名詞が間違っていたり、見ていないと断言していたり、見ていても見落としが多い傾向があります。

叩くこと、強い言葉で批判してスッキリするか、バズることが主目的に入れかわっているんですね。

投稿する方も、さほど江戸時代の文化文芸に興味ないまま生きてきたのでしょう。

そこに興味を抱くと、どうしたって吉原や女郎の扱いをどうするのか、向き合わないといけなくなります。

特に女性ともなれば、セクハラじみたからかいを受けつつも、調べて自分なりに考えていて、苦労も伺えるわけなのですが。

そういうことで悩まずに「大河で扱うとはけしからん!」と仲間内でエコーチェンバーを形成をしているのかもしれません。

どんどん過激できつい主張になっているし、論点をずらしてでもなんとしても叩きのめしたい、攻撃性の高さが滲んでいます。

いくら根にある思想が立派でも、必要以上に攻撃的で、対象を知りもしようとせず叩くことは、何も生み出さないと思います。

女性の権利を大義名分にして、攻撃や承認の欲求を満たしたいように思える。

次に叩ける格好のものが見つかれば、すぐにそちらへ移動するのでしょう。

 

総評

大河の感想を誰がどう何を言っても、知ったこっちゃねえってのがあっしのスタンスですが。

でも気になるこた、あるんすよ。

まず、唐丸の正体論争について。これはわかりやすく歌麿だと導線が引いてあると思いました。

でも、こういう意見はある。

「いかにも歌麿ぽいけど、これは“匂わせ”、“ひっかけ”だよ」

そういうSNS投稿と作家の技術を混同するもんではないと思うんですよ。

森下佳子さんは手堅い作風かつ歴史が好きなので、そこまで大きく無茶なこと、意外な展開はしない。むしろ安定感があると思います。

そういうただのウケ狙いと意外性だけで史実を捻じ曲げるのは、出来の悪い歴史もののむしろ悪い要素です。

徳川慶喜は実はいい人であるとか。

お市と淀殿の恋した相手が徳川家康であるとか。

そういう演者やそのファンへの目配せを奇想というメッキで誤魔化した創作とは別物でしょう。

これでいくと東洲斎写楽も展開は読めてきて、謎の人物をあえて引っ張るスタイルにはしないと思います。

まず史実をつなぎ合わせてどうするのか考えるというのが、森下さんの作風でしょう。

そういう手堅さが持ち味だと思っておりますので、SNSでのウケ狙いのような、ただ意外なだけというストーリー展開はしないと思うのです。

写楽の正体についても色々な推察出ておりますが、確定している説で来ると私は踏んでいます。

一捻りあるとすれば「喜多川千代女」でしょうか。

歌麿の別名義、弟子、あるいは妻という説もある女性絵師で、挿絵のみを手がけている。知名度が低いながら、公式ガイドに紹介が出ております。

今までずっと薄々思っておりやしたが、このドラマの作風は山田風太郎に近いと思えます。

山風もぶっとんだ作風とされますが、要素と要素をかなり緻密に組み立ててプロットを練ってきます。ユニークな特徴がいくつもあるんです。

しかしそのせいで、評価が下がっているかもしれないところはあるんですね。

山風の持ち味のひとつは、下ネタで笑いをとりにくるところです。

今週のまぁさんのアホそのものの下ネタは、あまりに酷い捨吉の境遇だけでは辛かろうという配慮に思えましたし、山風らしいんです。

そしてもうひとつ、「エロい」とされることを扱う点。

司馬遼太郎を読んでいるというと「えらいね」と言われるのに、山風を読んだというだけで「エロいね」と苦笑されるというのは、よくある話でした。

そもそも好きな作家の名前にあげない方がよいと思えることすらあった。

露骨にバカにされたり、そんなもの読むならこっちを読めと司馬遼を勧められることもありましたね。

大河の原作だって、司馬遼はあっても山風はないです。

でも、山風の「エロ」って、悲惨なことがほとんどです。

エロに耽溺した悪役は羅切も含めて大抵酷い目に遭う。そのエロの場面だって、サービスどころか虐待や搾取であり、それを批判するニュアンスもあるのです。

でもそういうことを説明しようにも、本題に入る前に打ち切られることが往往にしてある。

真面目な人とほど、むしろ話せませんでした。

今にして思うと、何かおかしな隠蔽が社会全体にうっすらとあったと思えるんですよ。

性的な虐待を問題視することすら、サービス、エロや堕落とされることすらあったものでした。

それこそかつては、真面目な人やエリートこそ、そういう態度を取ることも往々にしてありました。

女権を訴えていた女性議員が、吉原視察の際、見ないようにそそくさと通り過ぎていったなんて話は耳にしますわな。

でもそうしてきたことで、世の中がよくなってきたとも思えない。

それが、今は大きく変わっている。

ここまできた。性的搾取を隠すのでもなく、客寄せにするのでもなく、悲惨なことだと描き切った。

捨吉の境遇は悲惨です。

しかし、ありふれた話だったと思います。

今回の展開で『鬼滅の刃』の「遊郭編」を連想する感想もありました。それだけありふれていて、典型的な話ということです。賑わう江戸には、ああいう地獄がぽっかりと穴を開けていたということです。

このドラマの制作チームは、吉原を美化されているという批判に、どこか覚悟ある対応がありました。

将来振り返ったら足りないことは出てくるだろうけれど、現状で精一杯こなしているからには、批判も作品を磨く砥石として受け入れるという潔さがあるのでしょう。

確かにテロップの是非やなにやら、ちょっと説明不足のことはあります。

でもそれも次に活かせるでしょうし、世の中に風穴を開けることがまず大事だと思いますんで、私はともかく今後も期待していますぜ。

来週についてちっといえば、万次郎に要注目ですね。

唐丸と万次郎のその後が示唆させたことで、最終回までの伏線がしっかりと見えてくると思います。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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