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『光る君へ』感想あらすじレビュー第40回「君を置きて」一条天皇の辞世の真意は?

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第40回「君を置きて」
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「君を置きて」

一条院は剃髪出家し、読経が響く中、死の床にいます。

院は弱々しく、辞世を詠みました。

露の身の
風の宿りに
君を置きて
塵を出でぬる
こと……

泣きじゃくる彰子。

辞世がここまでしか詠まれないことには、意味があります。

このあと、道長と行成が日記を書く場面が入ります。

道長の日記には、こうあります。

霧の身の
草の宿りに
君を置きて
塵を出でぬる
ことをこそ思へ

霧のように儚いこの身が、かりそめに宿るだけのこの世に、あなたを置いて塵となってしまうのか。

一方で、行成の日記は、こうなります。

露の身の
風の宿りに
君を置きて
塵を出でぬる
ことぞ悲しき

霧のように儚いこの身が、かりそめに宿るだけのこの世に、あなたを置いて塵となることは悲しいものだ。

行成は定子の歌と対比していると解釈しています。

煙とも
雲とも
ならぬ身なれども
草葉の露を
それとながめよ

煙にも雲にもならぬ身だけれども、草葉の露を我が身と思って欲しい。

道長は一条院のそばに彰子がいたことも記しています。

一方、行成は定子の歌を踏まえているとする。

つまり、今回のタイトルである「君を置きて」の「君」とは、道長の解釈では彰子であり、行成の解釈では定子となります。

さて、どちらの記述が正しいのか?

となると、性格的に行成ではないかと思う人が多いとは思います。

実際、道長のほうは、聞き間違い、書き間違いの可能性が高いのです。

なにせ道長は「崩御」の「崩」を「萌」と書いてしまうほどのそそっかしさ。

その日記には、あんな済ました顔をして、こう書いているのです。

巳時萌給。

巳の時に萌(崩)え給う。

巳の時には崩御なされた。

もう、勘弁してくださいよ……。行成と実資が真面目に日記を書いていて本当に良かった。

ちなみにくどいようですが、お隣の中国ではこういうことは起こり得ません。

科挙を突破した宋代の官僚は優秀です。

中国の視聴者は、忠実に再現された道長の悪筆に困惑します。科挙の答案は悪筆であると減点されるため、悪筆である官僚もまずいないのです。

そして、この書き間違いより、よほど酷いことも道長はやらかしております。

一条院は、定子と同じ土葬を望んでいました。

しかし火葬にされてしまったのです。

これも道長がうっかりしていたためとされます。

ただ忘れていたのか、それとも定子とのつながりを断ち切りたいから無視したのか。いずれにせよ外道でしょう。

こんなに不敬なのは『鎌倉殿の13人』の北条義時以来に思えます。

隔年ごとに不敬な者が出てくるということは、日本史の構造そのものかと思えてくるほど。

八重の桜』放映時、「朝敵である会津を美化している」という時代錯誤としか思えない批判を見かけました。

そういうことならば、ざっとここ十年をみた範囲で『平清盛』『麒麟がくる』『鎌倉殿の13人』『光る君へ』も、改めて考えると十分不敬です。遡ればさらに増えますね。

彰子とまひろは喪服を身につけ、悲しみに沈んでいます。

まひろはじっと彰子の顔を見つめる。

容姿は父親に似ていても、性格は実はかなり異なる主の顔をじっと見つめているのです。

ちなみに、まひろと道長の関係にも、ひびが入ってきているようにも思えます。

紫式部が道長の「妾」とされる根拠として、『紫式部日記』にある道長のセクハラ短歌があります。

「あんな物語を書いているなら好きモノなんでしょ、エロいんでしょ〜」

「一晩中戸を叩いていたのになんで開けないのぉ〜」

こういうゲスな歌です。

道長は和泉式部にも「おぬしもエロいのぉ〜」とセクハラをかましております。

しかしドラマでは出てこない。

なぜか?

劇中ではまひろと道長の距離が空いているからではないかと思うのですが。

 

双寿丸、賢子と乙丸を救う

そのころ、都では散楽一座が芸を披露していました。

かつての直秀を彷彿とさせる場面。そこへ、いつかの母のように、賢子が乙丸と共に通りかかる。

瓜売りが籠を差し出してきて、乙丸が買い取ります。

と、道から現れた盗人が瓜を奪い走り出しました。賢子は盗人を追いかけ路地裏へ。

盗人を追い詰めたかと思いきや、仲間と思しき髭面の男まで出てきて、賢子を掴みながら「げへへへへ」とチンピラ笑いを浮かべつつ、接近してきます。

このまま拉致されてしまう!

すると今度は一人の青年が現れ、電光石火で悪漢を倒してゆくではないですか。青年は手慣れていて、格闘の心得があるとわかる。

では当時の格闘技はどんなものだったのか?

というと、これがよくわかりません。

相撲も当初は“蹴り”が禁止されていません。

歴史に残る最初の対戦である野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の戦いは、蹴速のキックを宿禰がかわし、足払いで転ばせた上で踏み殺すというハードなものでした。

野見宿禰と角力を取る当麻蹴速 (月岡芳年『芳年武者无類』)/Wikipediaより引用

ですので、青年が華麗な蹴り技を披露するのも、あながち間違いでもありません。

戦国時代も後半になると、古武術の型を用いる必要がありますが、この時代は演者の力量も鑑みて、割と自由にできるかと思います。

『鎌倉殿の13人』のトウも、華麗な格闘術を披露していましたね。

青年を見て「かっこいいー!」と思った方は、その気持ちを大事にしながら先へ進みましょう。

助けられた賢子は、当然のことながら惚れ惚れとしまして、うっとりと相手を眺めています。

「俺の名は、双寿丸」

青年はそう言いながら、乙丸を背負い、賢子と共に家まで送り届けました。

腕っぷしが強いと感心する賢子に、双寿丸が「お前も気が強いんだな」と答えると、乙丸は「姫様に無礼だ!」として相手の頭を殴り、賢子に嗜められています。

賢子たちが家に戻ると、いともきぬも驚いています。

乙丸が背負われていることも衝撃的でしょうが、双寿丸のことがなかなか恐ろしいようです。

賢子はそうでもないのに、いとは品定めするように眺めて、双寿丸に困惑しています。

命を助けてくれたお礼に、賢子は食事を振る舞うことにします。

「こんなにゆっくり飯が食えるなんて」

そうしみじみと喜ぶ双寿丸。

一体どんな暮らしをしているのか?

「俺は、平為賢様んとこの武者だ。下っ端の下っ端だけどな」

男ばかりで、もたもたしていたら食いっぱぐれるそうです。どんな殺伐とした食事の場なのでしょう。

「たんと召し上がって、姫様のことは今日限りお忘れくださいませ」

いとがそう念押ししながら、姫様のお祖父様は越後守で、釣り合わないと牽制します。双寿丸は何言ってんだと戸惑うばかり。賢子も失礼だと嗜めます。

そこへまひろが帰ってきて、不審者を見る目つきで双寿丸をみます。

「誰?」

「あなたこそ、誰なの?」

まひろは異物を見る目になるのでした。

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