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『光る君へ』感想あらすじレビュー第40回「君を置きて」一条天皇の辞世の真意は?

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第40回「君を置きて」
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中宮は「左大臣の仰せのままに」とはならない

藤壺でこのことを聞かされた中宮は、なぜ一言もなく東宮を敦成にしたのか!と怒りを炸裂。

道長が「帝の仰せだ」と押さえ込もうとすると、中宮は「帝が病でお気持ちが弱ったところにつけ込んだ」と疑念を募らせ、父にキッパリと逆らいます。

帝の考えだと再度言われようが、中宮は信じない。彼女に対して、敦康様を次の東宮にすると仰せであったと反論するのです。

さらに中宮は本質を突いてくる。

敦成は第二の皇子で四歳なのだから、まだ先はあると言い切ります。

中宮は流石に鋭い。問題の本質はまさにそこなのです。

問題は皇子自身でもない。ゆえにそこは問題ではない。

皇子の祖父として道長が確実に権力を握りたいからこそ、介入してきました。

当時はもう不惑の四十を過ぎれば、いつ亡くなっても不思議はありません。

道長も歳をとり、父・兼家が強引に花山院を追いやった焦燥を理解できるようになりました。

彼は変わったのです。

中宮が皇子の年齢を持ち出すことで、道長の卑劣さが炙り出されます。

「父上は、どこまで私を軽んじておいでなのですか!」

中宮はさらに自分自身を軽んじている父に怒りをぶつけます。これはその通りで、道長は娘の怒りすら理解できていない。

何を言っているんだ、我が子が東宮になって嬉しいんじゃないのか?

敦康が愛おしいと言っても、実母でもないだろうに……。

その程度の理解で娘を見ていそうに思えます。

敦成だけでなく、敦康も元服まで守り育て、母だと思ってきた。二人の皇子の母であると訴える中宮。

道長にとって帝の血を引く孫は二人でも、中宮にとって帝との間の子は三人なのです。しかも、この縁は敦康親王を藤壺に置くことで帝を呼び寄せたい道長の策あってのことでした。

唐突に父に軽んじられ、怒りが止まない中宮。脳裏には妹である妍子の「私たちは父の道具だ」という言葉もよぎっているのかもしれません。

帝に考えを変えていただく――そう言いながら出て行こうとする中宮の袖を、道長が握ります。

「政を行うのは私であり、中宮様ではございませぬ」

そう頭を下げて出て行く道長。

その様子をじっと見つめていたまひろに対し、中宮は泣きじゃくりながら訴えます。

「藤式部……何故女は、政に関われぬのだ……」

かつて中宮は無口でした。

「仰せのままに」と何事も受け止めていたのに、今はこうもはっきりと反論し、食い下がるようになりました。

ここの嘆きは重大深刻かつ、このチームが一番言いたい核心のように思えます。

彼女たちは学ぶ機会があります。知識はあるのです。字を習うことすらできない、知識を身につける機会すらない女性とは違います。

じゃあ満足か?というと、そうではない。

得た知識に似合うだけの力を持てない。奪われている。軽んじられている。

そのことへの生々しい怒りがそこにあります。

このチームはこれが言いたいからこそ、この題材を選び、矢玉が飛んできても耐えられる、大石静さんを脚本家に迎えたように思えます。

ものすごい場面だ。そう見ていて背筋が伸びるほど、メッセージ性が高く、鋭い場面でした。

 


道長か 彰子か?

道長とまひろが別の場所で柱に寄りかかり、何か考え込んでいる様が見えます。

中宮は猜疑心が強いところがあり、一度気になると考えがまとまらないので、敢えて受け止めていたのではないかと思います。いったん覚醒すると手強いのです。

そうした性格はまひろも似ています。道長の言葉に不信感を覚え、宮の宣旨に尋ねておりました。

まひろの猜疑心は、道長、そして自分自身にも向けられているのかもしれません。

源氏物語』への感想と共に、ききょうの意見をぶつけられたことがあります。その後、まひろが思い出していた相手の言葉は、主である定子に命を賭けるという思いでした。

ききょうはああも忠義に生きているのに、まひろはどうなのか?

あのときから、まひろの中では、道長か、中宮か、秤にかけられているように思えます。

若い頃の自分だったら許せない、そんな悪徳政治家に堕ちてゆく道長か?

漢籍を読み、政に目覚め、それに参加できないことを悔しがる中宮か?

理想の主は、自分の命を賭けたい相手は果たしてどちらなのか?

これはまひろだけでもなく、行成も迷っているように思えます。彼の場合は道長と帝が秤に乗せられています。

まひろの秤を比べてみると、道長側には恋愛感情が加算されます。

それでは中宮側は?

若い頃の自分自身、本質であると思えます。青く、まっすぐで、不正義が許せなかった頑なな自分です。

成長して世に出ると共に、そんな青臭い理想論だけでは生きていけないと、人は本質を忘れ、曲げて生きていくようになります。

公任は器用に曲がり、実資はなかなか曲げらない。

本質が柔らかい斉信や道綱は、葛藤そのものがそもそも存在しません。

しかしさらに歳をとり、自分は千年も生きる松ではないと悟ると、一周回ってしまうことがあるもの。

理想を忘れて名声だの富だの求めて、それでほんとうによいものだろうか?

そう迷い、本質を取り戻すことを選ぶ人物もいます。

大河ドラマでは『麒麟がくる』の明智光秀がそうでした。

あの光秀は大きな国を作り、朱子学を実現する世の中にするためには、まずは強力な力がいると悟り、織田信長の家臣となりました。

それでもたまに本質がのぞくと、信長の強引さに嫌気がさしたような顔を浮かべていたものです。

自分を曲げてでも、信長に従っていた。ところが信長と話が通じなくなってきたあたりで、不器用だった原点回帰をしたあまり、本能寺へ向かってゆきました。

さて、まひろは?

今回のまひろは、台詞が少ないというところも『麒麟がくる』の光秀を彷彿とさせます。

あの作品は、主演の長谷川博己さんが無言の芝居があまりに多いと脚本家の池端俊策さんに嘆いたそうです。

表情だけで葛藤を見せられるからこそ、難易度の高い脚本が回ってくるのでしょう。

吉高由里子さんだからこそできると信じきった上での展開だと私は思います。

 


譲位 そして践祚(せんそ)へ

東宮は帝と対面のため、清涼殿を訪れます。

東宮の後ろには下襲の裾をもつお付きの人もいました。こういう再現が見られるところに、大河ドラマの意義があります。

「朕は譲位する。東宮であるそなたが践祚(せんそ)せよ」

そう告げられ、どこか嬉しさを隠しつつも承る東宮は、良き帝になることを誓います。

そして帝は「東宮は敦成にする」と付け加えました。

やや動揺を見せながらも事態を理解する東宮。

本音をいえば、自身の子である敦明を東宮にしたいところでしょうが、そこは何も言わず、玉体を労るように告げ去ってゆくのでした。

東宮は、妻の妻の娍子(すけこ)に語ります。

敦康親王を退けた左大臣はさすが抜け目ない――。

それを聞いた娍子も、左大臣とは仲良くなさった方がよいと助言。

東宮は理解を示しつつ、ようやく私の世になると感慨を深めています。公卿をまとめ、政を進めるうえで左大臣との協力は欠かせぬと理解しているようです。

そのうえで、孫の敦成が東宮ならば、譲位を迫ってくるとも予想しています。

「言いなりにはならない」

そう宣言し、今の帝とは違うと語る東宮。果たしてどうなるのか。

そして話し合いから11日後、譲位となり、25年に及ぶ一条朝は幕を閉じたのでした。

三条天皇の御代となり、敦成が東宮となります。

まだ幼い東宮に挨拶する道長。

彰子は力の限り東宮様を支えるように命じつつも、どこか距離が空いたように思えます。

そのころ敦康親王は無念だと語っていました。

姉の脩子内親王はこれも宿命かと受け止めようとしている。敦康親王も致し方ないと諦めの口調です。

しかしききょうだけは、強い口調で「まだ帝になれないと決まったわけではない!」と反論。

このさき何が起きるかわからないと引き下がりません。

しかし敦康親王は、もはや達観したようで。父の姿を見ていると帝の苦労はよくわかる、穏やかに生きて行くのも悪くないと力の抜けた様子です。

気晴らしに狩りでもしないか?

隆家がそう誘うと、敦康親王は「殺生はせぬ」と断ります。敦明親王とは逆の考え方ですね。

そしてそれを聞いた隆家は思わず笑い出します。あの優しい姉と先帝の子であれば、殺生なぞせぬと悟ったのでしょう。

そうした隆家の悟りだけではなく、朝廷の人々とは違う者たちがいることも脳裏の隅にでも置いておきたいところ。

ききょうだけは、そんな優しい敦康親王に、納得ができていないように思えます。

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