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『光る君へ』感想あらすじレビュー第44回「望月の夜」かけたることなき妻と娘たち

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第44回「望月の夜」
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後一条天皇即位

長和5年(1016年)、大極殿において後一条天皇の即位式が執り行われました。

この大河ドラマで日本の天皇即位式を放映することには、実は、中国からも熱い目線が注がれています。

中国では廃れた伝統が日本にのみ残っていることもあるのだとか。

冕冠(べんかん)を見られる機会は本当によいものです。色彩感覚も素晴らしい。

日本人の伝統的色彩感覚は、江戸時代後期以降のものが強く残っています。順次公開されている『べらぼう』の衣装が該当します。

ただし、あの色彩感覚は幕府の禁令や江戸っ子センスが濃厚ですので、それ以前まで遡る色を見る機会というのは実に貴重なもの。

今年の大河ドラマは色彩設計がしっかりしていて、まさに眼福といえます。

道長は幼い後一条天皇の摂政として、名実ともに国家の頂点に立ちました。

さぁ道長政治がいよいよ始まる。

もう二度と「思うようにできていないんだ」と泣き言は言えませんぞ!

しかし気になるのは、国母である彰子の方が、道長より目の光が強く見えるのです。成長著しいのはどうにも娘の方に思えます。

「我が家から帝が出るなんて」

ある夜、穆子は娘の倫子に、一族から帝が出たことを喜んでいます。

「道長様は大当たりだったわ」

しみじみとそう言う穆子。彼女が夫の反対を押し切ってまで、強く勧めたからこその縁でしたね。

「我が家から帝が出るなんて……」

そう同じことを繰り返す母に、倫子はもうお休みになるようにと勧めるのでした。

丁寧に老いを描き、彼女の出番はこれで終わりだと伝えてきます。

それにしても、倫子も変わりました。

穆子は娘の恋心のために婚礼に賛同したのではなく、権勢狙いだったとわかります。

まだ夫への恋心が残っている倫子であれば傷ついたかもしれませんが、彼女は割り切っています。

頼通が勧められた内親王降嫁にせよ、子作りだけ割り切ってすればよいと笑顔で言ってましたね。その子作り要員に自分がされていたたことすら、振り切ったように思えます。

 


為時は出家を決意する

藤原為時の家では、すっかり老いぼれたと為時がしみじみとしています。

孫の賢子も立派に育った。

まひろも内裏で重んじられ、いとには福丸もいる。

そして「そろそろ出家したい」と言い出すのです。余生は、ちやはと惟規の菩提を弔いつつ過ごしたいそうで。

ききょうの父・清原元輔のように老いても地方赴任したり、実資のように生涯ほぼ現役の人もいるとはいえ、それはごく少数派。

為時の姿こそ、当時の貴族の楽隠居ですね。

賢子は出家したら寺に行くのかと尋ねますが、そうではなく、在宅出家にするそうです。

それで「出家」と言われましても……と思ったら、賢子が「それでは何も変わらないではないですか」と突っ込んでいます。

「じじが遠くの寺に行ってしまった方がよいのか?」

為時がそう聞き返すと、賢子は否定します。すると為時はずっとじじのそばにおらず、母上のように内裏にあがってはどうかと勧め、よい女房になりそうだと太鼓判を押します。

夜、まひろの前で半生を振り返る為時。

官人に向いておらず苦労をかけ通しだったと振り返っています。

そのようなことはない、越前での誠実な仕事ぶりに感銘を受けたとまひろが言い、改めてこう付け加えます。

「父上、長らくご苦労さまでございました」

「うむ」

思えばこの父と娘も色々あったものでした。

 


公任、道長に諫言する

後一条天皇の御代が始まりました。

幼い帝の背後に道長が座り、どう答えたらよいのか囁く体制になっております。

実資が租税の減免を願い出ている国には使節を遣わすべきだと奏上すると、道長は「遣わさずともよい、租税は減免せよ」と囁いています。

帝はそのまま返す。

減税とは、一見よいことのように思えますが、実資は納得できていないようでして。

凶作による減免であれば確かに良いことでしょう。しかし、派遣されている国司が横暴であるような事態もあるのかもしれません。調査は必要に思えます。

それでも道長は政治改革に取り組んでいるようで、急激に変えては人がついてこないと藤原顕光から苦言を呈されています。

その場にいる藤原公季もいまひとつ政治的見解は見えてこない。道綱は座っているだけ。

道長は「考えは改めて陣定で聞く」と告げるのでした。

しかし、道長の陣定への参加はアリバイであると周囲には思われているようです。

実質的に独裁であっても、形ばかりの話し合いの場などを設けて、名目的には独裁でないように見せつける姑息な手段は古今東西あるものです。

公任はそれを見抜いているのか。道長に諫言しました。

「陣定で皆の意見を聞きたい。それがなければ政はできない。道長の中では筋が通った考え方なのだろう。だがはたから見れば欲張り過ぎだ。内裏の平安を思うなら、左大臣をやめろ」

「摂政と左大臣、二つの権を併せ持ち帝をお支えすることが、皆のためでもあると思ったが……それは違うのか?」

「違うのだ。道長のためを思うて言うておる。考えてみてくれ」

ここで公任が頭を下げて出ていくと、道長は考えています。

何度もさきの帝に譲位を促したが、今度は俺がやめろと言われる番なのか……。

やっとお気づきになられましたか。それですよ!

ここでの公任は、前回の実資と似た趣旨のことをしております。

ただし両者の性格には違いがあります。

公任は正面から諌める「正諫」。

実資は遠回しにチクチク諌める「諷諌」。

道長は回り道をすると「意味がわからぬ」になってしまうから、正面突破が効くようです。

古い友人である公任が噛み砕いて説明することで、彼なりにやっと理解できたようだ。

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