光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第44回「望月の夜」かけたることなき妻と娘たち

2024/11/18

長和4年(1015年)――道長の意を受けた源俊賢藤原公任が、帝に譲位を迫ります。

「左大臣と話し合う」として、一旦は二人の意見を退ける帝。

早く帝を譲位させたい左大臣・道長に対抗すべく、様々な策を弄します。

そのひとつが、自身の娘・禔子内親王を頼通の妻とすること。

内親王の降嫁ともなれば断れまいと考えてのことでしたが、嫡妻の隆姫を一途に愛する頼通はこれに抵抗します。

都を出て妻と二人きりで暮らすとまで言い出しました。

かつて道長も、まひろと共にそうすると誓った言葉。あまりに頑強なその抵抗に、道長としても折れるほかありません。

それにしても道長は、同年代の他の人物よりも表情が子どものように見えます。そういうプランで演技を組み立てていると思えるのですが、成熟があまり感じられないのです。

 


誰もが幸せにならぬ縁談

皇太后は土御門に入っておりました。

藤原頼通の抵抗が彼女の耳にも入り、胸を痛めております。

降嫁したとしても、名ばかりの妻になると理解しているのです。それこそ『源氏物語』にもそんな女君は出てきます。

光源氏の妻である女三宮。

その女三宮に恋焦がれた柏木の妻である、女二宮(落葉の宮)。

薫の妻である女二宮。

道長はそういう女君の心境は読み解けなかったのでしょうか。

さらには妹である妍子に対しても、父の策略に使われ酒に溺れる日々だと胸を痛めています。

そもそも妻を娶っても子ができるとも限らない。この婚礼は誰も幸せにぬと断るようにと言い切ります。

まひろは黙ったまま、二人のやりとりを聞いています。

どちらが良質な読者かといえば、断然彰子であると言いきれますね。

自分の心すら開けず、好きな色すら秘めていた彰子が、こうも思いやりにあふれた女君になった。

そのためにあの物語が役立ったのであれば、作家としてこれほどの幸せはないでしょう。

 


妍子は父を見限っている

妍子が、禎子内親王と美しい布地を撫でております。

「けざやかだのぅ」

そううっとりと撫でるこの布地は、宋からの渡来品でしょうか。

そこへ道長がやってきます。

彰子に言われなければ来なかったのでしょう。はぁ……不機嫌な妻や娘に、お高いスイーツを買っていくダメなおっさんのようだ!

大石静先生の冴えざえとした力は、この嫌な男のリアリティぶりにあるといえます。

ただしこれは彼女一人だけではなく、この女性が率いるチームが結集させた知恵の賜物でしょう。

孫の禎子も「おじじ!」と特に言い出すこともない。敦成との反応の差が露骨に出ています。

「父上は禎子が生まれた時、皇子ではないのかと、いたく気を落とされたと聞きました」

妍子は内親王を産んだことに失望していたと蒸し返し、道長が雑に批判しても、容赦なく追い詰めていきます。

「父上の道具として、年の離れた帝に入内し、皇子も産めなかった私の唯一の慰めは、贅沢と酒なのでございます。お帰りくださいませ。私はここで、この子とともにあきらめつつ生きてまいりますゆえ」

毎週、道長にダメ出しをしておりますが、道長って心底謝るというそぶりが見えない。

誠意が感じられないんですよ。本当に腹立たしい奴です。

 

「詐り」はあっても「忠」はない

道長は結局断れないどころか、帝が道長を「准摂政にする」と言い出しました。

道長はここで、父譲りの策を用います。「詐病」です。頼通が重病にかかった、伊周の祟りだと言いふらしたのでした。

『枕草子』で描かれた颯爽たる貴公子像が、怨霊ぶりですっかり上書きされてゆく伊周。

恨むならばドラマでなく、道長を祟ってください。

帝はどうすべきか?

ここで実資が「奥の手」を授けます。

「敦明親王を東宮にすることを条件として譲位する」というものです。

帝は、実資の顔は見える、声は聞こえる、そなたこそ忠臣だと喜ぶのですが……問題は、公卿たちがそう呼ばれても喜ばない状態のように思えます。

公卿たちには、人間としての最低限の倫理観すらないようにすら思えてくる。

それでも大事に至らないのは彼らが武力を放棄しているからでしょう。こうして、この時代に積み残された数多の課題は、暴力をまったく厭わない武者の世で解決へと向かいます。

『鎌倉殿の13人』では、源頼朝が忠義も何もない武者たちに呆れ果て、これからは忠義の時代にせねばならないとぼやいていたものでした。

そうはいっても、忠義が絶対的に根付くまでには、かなりの時間がかかるものでした。

「お上、きれいな月でございますよ」

そう膝に帝の頭を乗せて語りかけているのは、皇后の娍子です。

しかし帝はもう月すら愛でることができません。帝の耳には、愛する娍子の啜り泣く声が聞こえてきます。

「泣くな。朕が譲位する時は、敦明が必ず東宮となる」

そう語りかけますが、娍子は無欲で素直な女性に見えます。

権力など欲していない。ただただ、目の前にいる帝の愛だけを求めているように思えて……悲しい場面です。

 


後一条天皇即位

長和5年(1016年)、大極殿において後一条天皇の即位式が執り行われました。

この大河ドラマで日本の天皇即位式を放映することには、実は、中国からも熱い目線が注がれています。

中国では廃れた伝統が日本にのみ残っていることもあるのだとか。

冕冠(べんかん)を見られる機会は本当によいものです。色彩感覚も素晴らしい。

日本人の伝統的色彩感覚は、江戸時代後期以降のものが強く残っています。順次公開されている『べらぼう』の衣装が該当します。

ただし、あの色彩感覚は幕府の禁令や江戸っ子センスが濃厚ですので、それ以前まで遡る色を見る機会というのは実に貴重なもの。

今年の大河ドラマは色彩設計がしっかりしていて、まさに眼福といえます。

道長は幼い後一条天皇の摂政として、名実ともに国家の頂点に立ちました。

さぁ道長政治がいよいよ始まる。

もう二度と「思うようにできていないんだ」と泣き言は言えませんぞ!

しかし気になるのは、国母である彰子の方が、道長より目の光が強く見えるのです。成長著しいのはどうにも娘の方に思えます。

「我が家から帝が出るなんて」

ある夜、穆子は娘の倫子に、一族から帝が出たことを喜んでいます。

「道長様は大当たりだったわ」

しみじみとそう言う穆子。彼女が夫の反対を押し切ってまで、強く勧めたからこその縁でしたね。

「我が家から帝が出るなんて……」

そう同じことを繰り返す母に、倫子はもうお休みになるようにと勧めるのでした。

丁寧に老いを描き、彼女の出番はこれで終わりだと伝えてきます。

それにしても、倫子も変わりました。

穆子は娘の恋心のために婚礼に賛同したのではなく、権勢狙いだったとわかります。

まだ夫への恋心が残っている倫子であれば傷ついたかもしれませんが、彼女は割り切っています。

頼通が勧められた内親王降嫁にせよ、子作りだけ割り切ってすればよいと笑顔で言ってましたね。その子作り要員に自分がされていたたことすら、振り切ったように思えます。

 

為時は出家を決意する

藤原為時の家では、すっかり老いぼれたと為時がしみじみとしています。

孫の賢子も立派に育った。

まひろも内裏で重んじられ、いとには福丸もいる。

そして「そろそろ出家したい」と言い出すのです。余生は、ちやはと惟規の菩提を弔いつつ過ごしたいそうで。

ききょうの父・清原元輔のように老いても地方赴任したり、実資のように生涯ほぼ現役の人もいるとはいえ、それはごく少数派。

為時の姿こそ、当時の貴族の楽隠居ですね。

賢子は出家したら寺に行くのかと尋ねますが、そうではなく、在宅出家にするそうです。

それで「出家」と言われましても……と思ったら、賢子が「それでは何も変わらないではないですか」と突っ込んでいます。

「じじが遠くの寺に行ってしまった方がよいのか?」

為時がそう聞き返すと、賢子は否定します。すると為時はずっとじじのそばにおらず、母上のように内裏にあがってはどうかと勧め、よい女房になりそうだと太鼓判を押します。

夜、まひろの前で半生を振り返る為時。

官人に向いておらず苦労をかけ通しだったと振り返っています。

そのようなことはない、越前での誠実な仕事ぶりに感銘を受けたとまひろが言い、改めてこう付け加えます。

「父上、長らくご苦労さまでございました」

「うむ」

思えばこの父と娘も色々あったものでした。

 

公任、道長に諫言する

後一条天皇の御代が始まりました。

幼い帝の背後に道長が座り、どう答えたらよいのか囁く体制になっております。

実資が租税の減免を願い出ている国には使節を遣わすべきだと奏上すると、道長は「遣わさずともよい、租税は減免せよ」と囁いています。

帝はそのまま返す。

減税とは、一見よいことのように思えますが、実資は納得できていないようでして。

凶作による減免であれば確かに良いことでしょう。しかし、派遣されている国司が横暴であるような事態もあるのかもしれません。調査は必要に思えます。

それでも道長は政治改革に取り組んでいるようで、急激に変えては人がついてこないと藤原顕光から苦言を呈されています。

その場にいる藤原公季もいまひとつ政治的見解は見えてこない。道綱は座っているだけ。

道長は「考えは改めて陣定で聞く」と告げるのでした。

しかし、道長の陣定への参加はアリバイであると周囲には思われているようです。

実質的に独裁であっても、形ばかりの話し合いの場などを設けて、名目的には独裁でないように見せつける姑息な手段は古今東西あるものです。

公任はそれを見抜いているのか。道長に諫言しました。

「陣定で皆の意見を聞きたい。それがなければ政はできない。道長の中では筋が通った考え方なのだろう。だがはたから見れば欲張り過ぎだ。内裏の平安を思うなら、左大臣をやめろ」

「摂政と左大臣、二つの権を併せ持ち帝をお支えすることが、皆のためでもあると思ったが……それは違うのか?」

「違うのだ。道長のためを思うて言うておる。考えてみてくれ」

ここで公任が頭を下げて出ていくと、道長は考えています。

何度もさきの帝に譲位を促したが、今度は俺がやめろと言われる番なのか……。

やっとお気づきになられましたか。それですよ!

ここでの公任は、前回の実資と似た趣旨のことをしております。

ただし両者の性格には違いがあります。

公任は正面から諌める「正諫」。

実資は遠回しにチクチク諌める「諷諌」。

道長は回り道をすると「意味がわからぬ」になってしまうから、正面突破が効くようです。

古い友人である公任が噛み砕いて説明することで、彼なりにやっと理解できたようだ。

 

道長の思いは果たして引き継がれるのか?

まひろが「手習」まで執筆に励んでいると、道長が暮れの挨拶と称してやってきます。

そしてそのうえで、摂政と左大臣を辞めると言い出します。摂政になってからまだ一年にもなっていないのではとまひろが驚くように言うと……。

「摂政まで上っても俺がやっておっては世の中は何も変わらぬ」

愕然とし、頼通に摂政を譲るのかと問いかけるまひろ。認める道長。

まひろは「頼通様にあなたの思いは伝わっているのか」と問いかけます。

「俺の思い?」

「民を思いやるお心にございます」

鈍感さを発揮する道長と、やや苛立つまひろ。

「ああ……どうだろう」

そこを引き継いでいないのですか!

まひろも諦めたようにこう言います。

「たった一つの物語さえ、書き手の思うことは伝わりにくいのですからしかたございませんけれど……」

「俺の思いを伝えたところで何の意味があろう。お前の物語も人の一生はむなしいという物語ではなかったか? 俺はそう思って読んだが」

まひろが絶望しているようにも思えてくる。

為時との会話と比べてみましょう。

為時は不器用ながら、越前の民の暮らしをよくしようと、贈収賄がはびこる構造を変えようとしていたものです。

為時は民を思う心と聞かれれば、漢籍を引用して答えられます。だからこそまひろは、それを彰子に教えることもできました。

道長には、そういうものが何もないうえに、フィクションを怠惰の言い訳として持ち出しました。

まひろは困惑しつつ、まるで自らに言い聞かせるよう、こう言います。

「されど道長様がこの物語を私にお書かせになったことで、皇太后様はご自分を見つけられたのだと存じます。道長様のお気持ちがすぐに頼通様に伝わらなくても、いずれ気付かれるやもしれませぬ。そして次の代、その次の代と一人でなせなかったことも時を経ればなせるやもしれません。私はそれを念じております」

「そうか……ならばお前だけは念じていてくれ」

「はい」

バイオリンの響きが美しく奏でられ、まひろと道長の表情が映し出されます。

これがなかなか怖い。

『源氏物語』は、黙って当惑していてその様すら可愛らしいと評される女君が、本心は激しい嫌悪感や憎悪すら目の前にいる相手に抱いていることも往々にしてあります。

この美しい映像と音楽に酔わされてしまうけれども、まひろの内心はどうなっているのやら。

 

倫子の依頼

するとそこへ倫子がやってきます。

「お二人で何を話されていますの?」

「政の話だ」

そう道長が返すと、倫子は「政の話を藤式部にはなさるのね」と返しています。

前の会話をある程度は聞いていたのでしょう。流石に気まずいのか、まひろは目が泳いでいる。道長は皇太后の考えを知っておかねば政はできぬと言い訳をします。

しかし倫子は笑っていない目でこう言います。

「そうでございますわね。藤式部が男であればあなたの片腕になりましたでしょうに。残念でしたわ」

道長も認め、まひろも畏れ多いことだと言うのでした。

それにしても、倫子もなかなかおそろしいことを言い出しました。

このドラマでの彼女は、若い頃のまひろを知っています。父譲りの漢籍教養を掲げ、倫子たちにはわからぬ道理を説いていたまひろのことを。

若い頃のまひろには政治参加を願う気持ちがあった。その原点に戻るよう、促したようにも思えなくもありません。

道長が去ると、倫子は頼みがあると言います。

清少納言が『枕草子』を残したように、道長の華やかな生涯を書物にして残したいと言い出します。

しかしまひろは答えられず、倫子は今すぐに答えなくてよろしいと微笑みます。

「考えてみて」

そう言われ頭を下げるまひろ。

ききょうに「光だけでなく影も書くべきだ」と言いながら、道長大絶賛物語なんて書けるわけもなさそうに思えます。

『栄花物語』が該当するのでしょうが、これは作者が諸説あり、教養ある貴族女性であるとまでしか判明していないとか。

さあ、どうなるのか。

最終盤にきて、また面白くなってきました。

 

摂政頼通の時代が始まる

かくして藤原頼通が後一条天皇の摂政となりました。

さて、ここでちょっと考えたいことでも。

道長の「民を思う心」は口先だけだと考えることにしまして、業務の引き継ぎはどうだったのか?彼の日記『御堂関白記』からうかがうことができる。

しかし、この日記が雑でいい加減なものです。藤原実資や藤原行成の日記と比べると劣ります。

とにかく細かい実資は、道長に対しては批判的なところもあったとはいえ、頼通はかなり好意的に見ています。頼通も実資の知性を大いに頼りにしていたのでした。

儀式次第といった細やかな面では、実資こそ頼通にとって頼りになる先人であったことでしょう。

さて、そんな実資と頼通は、平安ブロマンスに関与していないわけでもありません。

ともかく細かい実資の日記には、頼通と烏帽子も被らず抱き合って、性的に興奮していたと解釈できそうな夢の話が出てきます。

さしもの実資も、目覚めたあとは困惑してしまい、恥ずかしかったとか。

実資と頼通は一体どういう関係なのか。

男色の歴史を踏まえる上で気になる夢の話とされてきました。

ただ、そうしたニュアンスは抜きにして、有力者と抱き合うほど親しいということは瑞兆であるとして書き記したのではないかと解釈されることもあるとか。

実資と頼通を見ていると、どうしてもその日記を思い出してしまいます。

僭越ながら皆さんもそうなるよう、ここで記しておきました。

 

威子の入内を強引に押し通す頼通

さて、そんな頼通の摂政就任を土御門の面々が祝っております。夫の隣で微笑む愛妻の隆姫は本当に愛くるしいですね。

謙遜して皆の力を貸して欲しいというと、藤原教通はそんなことでは父上にいいようにされてしまうと言います。

倫子が父上あってのあなた方だと控えるようにと諌める。

と、威子が兄上のお役に立ちたいというと続きます。

頼通がすかさずこう答えます。

「そうか。では早速だか威子、入内してくれぬか?」

思わず驚いてしまう威子。

帝は十歳、彼女は十九歳。年齢差もあり困惑していると、倫子が「帝も数年すれば大人になられる」と微笑みます。

倫子も彰子の入内を拒んでいたころから変わったのです。

帝が大人になるころには、私は三十近くになると威子が拒否するように言うと、妹の嬉子が「私が入内する」と言い出しました。彼女は帝と一歳差なのです。

しかし頼通は、嬉子には嬉子の役目があると即座に否定。

威子は嫌がりますが、倫子は帝が一人前になるのを待ち、最初の女子となり、帝のお心をしかとつかむようにと言い、それが使命だとまで言い切りました。

威子は抵抗するも、結局、翌年の春には入内するのでした。

それにしても頼通は、自分が嫌な結婚をさせられそうになったら全力で拒んでおいて、妹はそうするわけですか。隆姫と微笑みあったあとでこれですか。

つくづく「宇治十帖」を連想させる展開です。

老いた光源氏は陰険でどうしたものかと思わされてしまいますが、それでも「宇治十帖」の薫と比較すれば相対的によかったのだと痛感させられます。

道長と頼通は、光源氏と薫のように思えてくる。

要するに、代を経るごとに人品が下り坂なのです。まひろの願いとは逆になるわけです。

 

闇を共に歩いてきた二人

三条院は危篤となり、病床にいました。

「闇だ……」

娍子と敦明親王が枕元にいます。

「闇でない時はあったかのう……娍子、闇を共に歩んでくれてうれしかったぞ」

「お上、お上はいつまでも、私のお上でございます」

そう返す娍子。三条院の目から涙が一筋伝うのでした。

なんと悲しい生涯でしょうか。

時勢に翻弄された三条院は42歳で世を去りました。敦明親王は父という後ろ盾を失ったことから、自ら東宮の座を降りるしかありません。

かくして道長の孫である敦良親王が東宮となるのです。

 

一家三后

それから一年――。

彰子は太皇太后。

妍子は皇太后。

威子は中宮。

三つの后の地位を、道長の娘三人が占めるという事態になりました。

この夜、威子が中宮となったことを祝う宴が土御門にて開催されております。

三人の后に礼を言う道長に対し、彰子をのぞく二人は冷たい目を向けている。

妍子は「父上と兄上以外、めでたいと思っておる者はいない」とまで言い切りました。

道長はこれをとりあわず、「頼通ものびのびと政ができる」と続け、感謝の言葉を告げます。

応じるのは彰子だけです。

このあとの宴では、頼通と教通の兄弟が舞っています。

直衣布袴という大変気合を入れて再現した衣装を見に纏う道長は、宋磁で酒を飲んでいます。

ここも各人が細やかで、道綱は何も考えていない。

実資は居づらさがありそう。

倫子と彰子は穏やか。

妍子は飲酒のピッチが早い。

宴の主役であるはずの威子は険しい顔。

斉信は軽薄感がやや滲むものの、公任は何か複雑なものがありそうな顔。

俊賢は道長に全てを賭けて勝負に勝った誇らしさがある一方、慈悲深く理想主義者の行成はどこか複雑な顔です。

そこへまひろもやってきて、座ります。

道長は実資に、摂政に盃を勧めるように頼みます。

かくして太閤となった道長から勧められた酒が座を回ってゆきます。

ここで回されてゆく磁器は博物館では見られるものの、実際に誰かが飲んでいる様は目にすることがまずできません。それを叶える大河ドラマの意義を感じます。

道長は裾を引きつつ実資に声をかけます。

「今宵はまことによい夜だ。歌を詠みたくなった。そなたに返の歌をもらいたい」

「私のような者にはとてもとても」

そう謙遜する実資ですが、道長は「頼む」と言います。

 

望月の歌

かくして皆が注目する中、太閤道長は歌を詠みます。

この世をば
わが世とぞおもう
望月の
かけたることも
なしと思えば

この歌を聞かされたあと、まひろ、彰子、妍子、威子、倫子の表情が映し出されます。アップになるのは女性だけです。

「そのような優美なお歌に返す歌はございません」

と実資が説明を続けます。

元稹(げんしん)が菊の歌を読んだとき、白居易は深く感じ入って返歌せず、元稹の歌を唱和した――これをふまえ、皆で唱和しようと呼びかけるのです。

ちなみに、この元稹と白居易は、6回放送の際、「漢詩の会」で道長が選んだ作品にも関係があります。

白居易が元稹に対して詠んだ漢詩を、まるでまひろへの恋心に重ねるように書いたものでした。

かくして男たちが望月の歌を唱和し出します。

男の声だけがこの歴史的な場面にあったように思えそうで、まひろの顔がここで多く映し出されます。

唱和せずとも、まひろは思い当たることがあったと思います。

今の帝となる皇子が生まれたあと、まひろはこう詠んでいたものです。

めづらしき
光さしそふ
さかづきは
もちながらこそ
千代もめぐらめ

まひろの目からみた道長は、銀の月光を浴びて光り輝いています。

これが「光る君」なのでしょうか?

まひろの胸には、二人の逢瀬の夜に見た月も思い出されています。

 

MVP:三后

いったい藤原道長の何がすごかったのか?

ひょっとして道長ではなく、周りの女性がすごかっただけではないか?

そんな風に思える場面でした。

それなりに一条帝と愛を育むことのできた彰子を除いては、不満げな顔であるところも圧倒的。

この二人の后の人生は、満ち足りたものかというと、そうではありません。むしろ家の都合で翻弄されてしまいます。

思えば道長はまさに「守株待兎(しゅしゅたいと)」であり、いわば二番煎じがうまくいくだけで、斬新なことはしておりません。

彰子の入内にせよ、定子という前例を踏襲しただけに思えます。文学で帝の心を掴む策にしても『枕草子』という先行事例がありました。

それを繰り返した結果が「三后」です。

実資も日記に記すほど異例のこととはいえ、どうしてそうなったのか?と分析すれば、道長自身が偉いからとは言い切れないでしょう。数多くの幸運が重なったといえる。

父が長寿で十分に出世したこと。藤原行成はこの時点で躓いてしまいました。

兄二人が夭折したこと。

そして倫子が安産体質で、男女それぞれ多く産み、彼女自身が長生きしたこと。当時はこのことそのものが奇跡的であり、実資もこの時点で躓いています。

ここまでは幸運でも、彰子のように娘が皇子を産み続けねば、この政治は続きません。

実際、完璧な成功例は彰子で終わってしまう。

こうして冷静に考えると、やはり道長ではなく、

安産体質で男子を産めた倫子と彰子が素晴らしかったのではないか?

と思えてくるのです。

それを絵として出してくるこのドラマは素晴らしい。

先週、まるで生きた雛人形のように思えた道長と倫子の夫妻。

しかし倫子は距離を空け、座り直しました。

そして今週の三后では、満足げであるのは一人だけ。

女性の幸せって、何だっけ?

これが幸せに見えるの?

そう問いかけているようにも思えます。

そしてここで望月の歌を詠む道長をどこか霞ませているのが凄まじい。

実際にすごいのは、道長でない誰かなのでは?

ここまで彼を上り詰めさせた女君たちだったのでは?

そう訴えかけてくるように思えます。

うっとりとしたまひろは、それを打ち消すようで、そうとは思えないのもおそろしい。

倫子目線に立ってみると、こうです。

公私混同不倫女ごときが何を満足な顔をしているのか?

道長に栄光をもたらしたのは倫子が産んだ娘たちであり、どう足掻いたって、まひろが叶うわけがない。

倫子が満月ならば、まひろは星。

月明星稀(げつめいせいき)――月の前では星の光など霞むだけです。

そしてそのまひろにせよ、来週は道長を見限るようにも思えます。

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【参考】
光る君へ/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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