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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第23回「瀬名、覚醒」】
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性癖と妄想をありのままに流せる、その一点だけは度胸があると思いますよ。
なんせ、これを真顔で見ていて、恥ずかしくならないなんて凄まじい。
そうそう、そのへんの花屋で買ってきたことが丸出しのお花は、季節と合っていますか?
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どうする呪いのアイテム兎ちゃん
瀬名の出番は基本全部いらないと思います。
それを三週間も引っ張るって正気の沙汰でしょうか。
今回の視聴率が10.2%で、この先はもうどこで二桁を割るか、注目点はそこだけになってます。
◆松本潤、NHK大河「どうする家康」第23回10・2% 瀬名は信康に秘めてきた夢を打ち明ける(→link)
兎の彫刻の造形もどうなんでしょう。なんだか嘘くさいんですよね。
しかも思い出のアイテムになって、これを見るたび瀬名を思い出すことになるらしい。
持っているだけで災いを招く特級呪物になりそうだ。
どうする狂気
何か起きたとき、わざとらしく雷鳴を鳴らす演出がもう聞いてられません。
赤ん坊の泣き声もおかしい。
わざとらしく子どもを抱いてその場にいる五徳はなんなのか。侍女に預けるなりできるでしょう。
そしていざ何が起きたと思ったら、不届きものを斬った、だってさ。
棒読みだし、脚本に入り込めていないのが痛々しく伝わってくる。
「わしに逆らう奴は斬る!」
はぁ? だから何いってんの?
もうね、この陳腐なセリフが、まったくもって狂気ではありません。ホンモノを表すなら、例えばこういうオプションがあるでしょうよ。
・生皮を剥ぐ
・釜茹でにする
・吊り上げて切り付ける(アンコウの吊るし斬りという)
・生きたまま弓矢鉄砲の的にする
・生きたままミノを着せて着火
・馬に縛り付けて引き摺らせる
・生首にして、抱えて歩く。あるいは寺に投げ込んでくる
真栄田郷敦さんのお父上・千葉真一さんが映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』でやってましたよね。捕らえてきた敵組織の組員(川谷拓三さん)を木に吊るして、銃の的にする。一度見たら絶対に忘れられない強烈なシーンでした。
狂気を表現するなら、陳腐なセリフなどに頼らず、これぐらいやってください。で、信康は、悲鳴を聞きながら酒でもカーッと飲んじゃいましょう。
というか、『仁義なき戦い』シリーズなど例に出さずとも、『麒麟がくる』の生首箱詰めっていう貴重な前例がありましたよね!
『鎌倉殿の13人』では、ご近所さんに挨拶する感覚で人を川に引き摺り込んでぶん殴ってたでしょ!
本作は、一体どこの乱世なのか。戦国時代どころか部活動の感覚であり、笑止千万とは、まさにこのこと。
いや、こんなことになっておきながら、千代をホイホイ呼び出す瀬名は狂気でしたね~。
アホなのに、セキュリティゼロで策を弄する方がよほどぶっ壊れてます。
どうする唐の滅敬
滅敬の正体が穴山梅雪だった――。
これは『鎌倉殿の13人』において、泉親衡の正体が源仲章だったような作りなのでしょう。
しかし、無理があるので箇条書きにまとめたいと思います。
・泉親衡と滅敬では、重要人物との接触頻度が違う。無理が大きい
・聞くところによれば、武田家臣団は予算の都合上、メンバーが圧縮されているとのこと。それもあってか「よほど人材がいないのだな」とむしろ悲しくなってくる
・過去に家康が「唐」と言ったら、信長と秀吉が「明だしww」と小馬鹿にしてきた。あれはなんだったのか?と改めて腹が立ってくる
・明人の医者はこんな服装ではありません。日本人が妄想したコスプレ中国人アルね。セリフも「アル」って語尾につけたらどうですか?
ほんとうに『平清盛』の美点は引き継がず、欠点だけは拡大して継承してくるんだよなぁ。
明人の衣装くらい調べようがなかったんですか。なんなんですか、このコスプレ。やる気が全く感じられません。見ていて苛立ちばかりが募ります。
もうウケ狙いで『ストリートファイター』の春麗コスプレでもさせたらいいのに。
中国史の要素を出すなら、日本史要素だけをやっていればいいわけじゃないですよね。
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』ではできていました。ついでに言えば朝ドラ『らんまん』の『本草綱目』関連も問題がありません。
いっそ、小島毅先生にでも考証を頼んでみたらどうですか?
瀬名とは結局何だったのか?
覚醒したと言われても結局何なのか?
そう苛立った方もいるかもしれませんが、答えのヒントはあります。
◆《NHK大河「どうする家康」》脚本・古沢良太が語った松本潤と有村架純の今後と、頼りにする“実力派俳優”(→link)
以下の部分です。
古沢 今回、僕がすごく描きたかった人物のひとりです。これまでは悪女として語り継がれてきました。傲慢な女で怪しげな男と浮気していたとか。息子・信康(細田佳央太)の奥さんが織田信長の娘・徳姫で、嫁・姑の仲が良くなかったとも言われています。少しネタバレになっちゃうんですが、瀬名は数奇な運命をたどることになります。通説では今挙げていたような「悪女」エピソードが背景にあったとされますが、どれも真偽が定かではなく近年は別の見方も出ています。僕にはそんな卑近なことで家康があんな決断を下すとは思えない。「本当はこういう人だったんじゃないですか、瀬名さん」という気持ちで書いています。
最後の一行「本当はこういう人だったんじゃないですか、瀬名さん」に凝縮されていて、この思考は『レジェンド&バタフライ』の帰蝶と全く同じ。
要するに、俺の考えた最強の萌える嫁にしたということでしょう。
このような、自分の萌え要素をてんこ盛りにすればよいという発想は一体どこからきたのか?
ネットでは、こんな意見を見かけました。
「瀬名って、『麒麟がくる』の駒と同じで平和を推すキャラでウザいよねw」
こういう意見も、自分が萌えるかどうか、そこで一点突破しようとしているように思えます。
しかし考えてみてください。
駒は戦火に巻き込まれ、両親を失い、自分自身も間一髪のところを救われました。そんな経験をした女性が戦のない世を望んだとしても、何もおかしなことはありません。
それをケチつけるのだとすれば、故中沢啓治氏が『はだしのゲン』を描いたことに対し「原爆ダメとかサヨクないい子ならではの綺麗事、お花畑だよねw」と言い放つようなものではありませんか。
一方で瀬名は、それなりの武士の娘で、夫は戦国大名です。偽善じみてくるのは仕方ない。そこは脚本でどうにかすべきなのでしょうが、このドラマの脚本に何を期待できるというのか。
確かに、登場キャラの経験や立場の差を全く考慮せず、萌えるかどうかのスペック一点突破をする見方はありますよ。
ただし、視聴者なりネットニュースなりが乗っかかるだけならまだしも、作り手自らそれをやったらイカンでしょうよ。
『鎌倉殿の13人』のとき、三谷幸喜さんは女性を描くことを苦手だと意識しており、積極的に女性の意見を取り入れました。彼は自分の好みよりもリアリティを重んじた。
今年はそれがない。萌える要素を盛りに盛っていけばいいと思っている。
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