鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第41回「義盛、お前に罪はない」

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義盛と義村が対峙

過去に襲撃された記憶でも蘇ってきたのか。実衣が「今度こそ死ぬ!」と嫌な覚悟を決めています。

知家が実朝を連れ出す横でも「こんどこそ死ぬ!」と繰り返されます。ったく、なんなんだよ。

そうこうしている内に門が破られ、義盛率いる和田勢が南門から御所へ突入。

待ち受ける三浦義村と対峙しました。

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この場面はなかなか面白い。

日本には中国大陸由来のものがたくさんあるわけですが、攻城兵器はそうでもありません。

お隣・中国では、『三国志』ファンならピンとくる「衝車(しょうしゃ)」や投石車がありましたが、城壁がそこまで堅牢ではない日本では発達してきませんでした。

「城」というと、現代人は天守閣を思い浮かべることでしょう。

昭和時代の映像作品は、時代考証を抜きにして、城跡に犬山城を模した天守閣をやたらと建てていたこともあり、観光資源にはなる一方、歴史理解の妨げになっていました。

そういうイメージが漠然がどうしても頭にあるため、鎌倉時代の城跡や古戦場を知ると、なんだか原始的でギャップがあるかもしれません。

義盛と義村の戦いも、原始的な戦場で展開されます。

兵器も洗練されない生々しさがあるし、殺陣も激しい。

山本耕史さんは流麗な殺陣を演じさせたら日本でもトップクラスだと思いますが、そんな彼が敢えて粗い戦い方をすることに意義を感じます。

今回のこの場面は泥臭さを出しつつ、いろいろ挑戦しています。

屋根の上から矢を放ち、転落する。

火がついて燃えて、水溜まりに転がり込む。

『麒麟がくる』でも序盤のうちに兵士が燃えていて、これはよい作品だと思えました。別に人間が燃える様が際立って好きというわけではありません。

『鎌倉殿の13人』は、高度なアクションが出てきます。

こういうことは負傷させないだけの丁寧な作りをしていなければなかなかできません。そこまで気配りしているとわかって、信じられるのです。

 


髑髏を取り戻す大江広元

北条方は、実朝がまだ御所にいることにして、敵を誘い出す戦術です。

泰時が敵の前に立ち塞がり、声を張り上げる

「鎌倉殿に指一本触れさせるな!」

かくして戦は深夜まで続きます。

その間に八幡宮へ避難した一行。

実衣は御所に火の手があがったといい、燃え尽きてしまうのかと不安がっています。

三善康信は、御台所である千世に向かって「ここにいれば大丈夫だ」と声をかけています。

政子はまたも義時に怒りを見せます。

結局はあなたの思い通りだとチクリ。義時は、戦は大義名分がある方が勝ちだと淡々と答えます。

勝てるのか?と聞かれると、和田についた御家人は皆離れたと義時。

戦っているのは和田義盛の身内ばかりだから勝てる――そう核心をこめて言います。

今回の合戦はなかなか単純な構造と言えます。

戦場が鎌倉だけに、両者が地形を把握している市街地戦ですし、相手の戦い方も理解しているでしょう。兵糧や兵器も大差はない。

となると勝敗は“数”で決まります。

例えば、これが【承久の乱】となると、諸要素で鎌倉が上回っているのですが、地の利は朝廷にありました。

特に京都を流れる川が厄介。

ドラマでは川をどう渡るかに注目しておくと、楽しみ方が広がりそうです。

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実朝がハッとしています。

康信がそれに気付いて「いかがなさいました?」と尋ねると、何でもないと否定しています。

言ったほうがいいと政子が促すと、どうやら政子から預かった髑髏を忘れてきたとか。

あれはもういいと政子が返答するものの、全てはあれから始まった、源氏の証と実朝が悲壮な表情を浮かべ、取りに戻ると言い出します。

すると、文書を取りに行っていた広元がこうきた。

「そのお役目は私が‘」

危険過ぎると政子が止めても、御所の中は知っている、近道を通ればあっという間だと返答します。

広元の覚悟、確信を無駄にはしたくないと思ったのでしょうか。政子が、このことは生涯忘れないと感謝の念を伝えます。

「お任せを」

美酒のように御家人を酔わせる政子には、普段、冷静そのものの広元すら感服するしかないようです。

ここから先、広元の決死行が始まります。

と思いきやこれが結構強い!

せいぜい筆か扇しか持っていない文士じゃなかったのかと戸惑います。わからん、なぜ大江広元はこんなにも強いのか。

とはいえ、演じているのが栗原英雄さんだと思えばどうでもよくなってきますね。渋すぎます。

一歩遅れて入ってきた義盛たちは、鎌倉殿の不在に気づいて「しまった!」と慌てるしかありません。

 


ウリンは大鎌倉殿だ

北条泰時が酒を飲みつつ、敵が退却したことを確認。

苛立ちを隠せず、憤慨します。

畠山の時といい、なぜ御家人同士が戦わねばならぬのか。

弟の北条朝時が、最後の戦いだと励ますと、平盛綱も太郎の勇猛果敢な戦いぶりを誉めています。なんなら酔っていた方がいいのかもしれないと語っていると、泰時は倒れて寝てしまいます。

当時の酒は今より度数が低く、しかも甘い。この程度で倒れる泰時は飲んではいけないほどの弱さです。

朝が来ました。

和田勢は由比ヶ浜まで撤退し、体制を立て直していました。

今ではビーチリゾートの印象が強い鎌倉の浜辺。

そんな印象がついたのは海水浴という概念が西洋から導入された明治以降で、それ以前はむしろ古戦場です。大量の人骨が発掘されてきました。

大河によって明かされる、本当は怖かった鎌倉。なんだか気分が悪くなるから絶対に行きたくないという意見も耳に入りますわな。

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義盛は、巴の前で今後の見通しを語っています。

ウリンは八幡宮にいる。相模の連中もくる。北条三浦を蹴散らしてやる。

だから、そう心配そうな顔をするなと声をかけると、そういう顔だと巴が返す。

義盛は、北条に代わって執権になる、なんならいっそのこと鎌倉殿になっちまうか、そしたらお前は御台所だと言い出しました。

しかし、義盛が鎌倉殿になった場合、ウリンはどうなるのか。

鎌倉殿の上、大鎌倉殿だと言い出します。

義盛は、何も考えていないようで、重要かもしれません。

義時は鎌倉殿という権威を傀儡化することで権力を握ろうとする。大鎌倉殿なんて発想にはならない。

そして鎌倉殿の上には別の権力がある。

朝廷です。

鎌倉殿が自分の権力に疑念を感じたら、頼れる力が西にはあります。

こうして由比ヶ浜で一息つく義盛に対し、義時は己の権力掌握に余念がない。

和田に加勢するためやってきた、西相模の御家人、曽我、中村、二宮、河村。

彼らが和田軍に加勢することがないよう、「鎌倉殿の御教書が欲しい」と実朝に訴えます。

「和田はどうしているのか?」

実朝がそう尋ねると、由比ヶ浜で軍を立て直していて、もしも加勢が加われば不利になってしまう、だからこそ鎌倉殿の花押が必要だと義時が迫ります。

すると、三善康信がおずおずと懸念を表明し始めます。

もしも花押を入れた御教書を出してしまえば、北条と和田の争いではなく、鎌倉殿と和田の争いになってしまうのではないか?

義時の狙いはそこでしょう。だからこそ、実朝に一層強く迫ります。

「和田は御所を攻めたのです。これを謀反と言わずして何というか」

それでも御教書を出せぬと訴える実朝に対し、義時は心理的な揺さぶりで応じます。

西相模の御家人たちが和田に加勢すれば、さらに戦は大きくなってしまう。敵の数が増えればそれだけ死者も増える。鎌倉は火の海となるけれど、それでよいのか。

「それを止めることができるのは、鎌倉殿、あなただけなのです」

義時だけでなく、さらには広元も参加して、協力を訴え、追い詰められてゆく実朝。さてどうなるのか……。

 

民家を壊して板を盾にせよ

泰時が盛綱から水をかけられ、二日目の出陣――相手の和田勢は矢をともかく放ってきます。

弓術は当時の武士のシンボル。

強者揃いの和田軍、もってこいの展開なのでしょう。

一方、泰時らは、盾を構えジリジリと漸進するしかありません。

と、ここで弟の朝時が、矢に当たって負傷したフリをして、軍列から離れます。何処へ向かうのか。

義盛は、西相模の援軍が寝返ったと義直から聞き愕然とするしかありません。

鎌倉殿の命令だと言われても、北条の策に決まっていると義盛。

力攻めしてウリンを奪い返すのみだと言い切る。

泰時は段葛(だんかずら・鶴岡八幡宮の参道)を越えたい。といっても無闇矢鱈と突撃しては、和田軍の矢で狙い撃ちにされてしまう。

と、ここで泰時は民家を壊し、塀や板を集めるように言い出します。

隣にいた平盛綱はギョッとしています。民に迷惑をかけるとは泰時らしくない。しかし……。

「仕方ないだろう。これは戦だ」

そう割り切ります。かくして作戦決行!

「あれはなんだ?」

敵が驚いています。皆で頭上に板を担ぎ、盾としながら進んでいます。

「段葛を越えたら一気に突き進むぞ!」

そして、ジリジリと敵を圧してゆくのです。

泰時は【承久の乱】で見事な指揮をしますが、その前振りのように思える展開です。

決断力があり、他の者を励ますことができる。

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理想的な将であり、その器は父を超えるかもしれません。こういうできる人物ぶりを坂口健太郎さんは当然のようにこなしていて、素晴らしい。

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