麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第29回 感想あらすじ視聴率「摂津晴門の計略」

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摂津晴門の小芝居

幕府内の政治が如何ほど腐敗しているか。

摂津晴門と寺社の結びつきが見えてきます。高僧たちが足利義昭に直訴に来ています。

「恐れ多くも公方様の御前ぞ」

晴門はそう言い、金子を差し出されても受け取るわけにはいかんと怒鳴りつける。その上で何事も恨みがましきことではいけないと言い出す。

典型的な【トーンポリシング】です。

訴えの内容や正義の所在ではなく「なんか感じ悪いよね〜言い方もっと考えろよな〜」と絡んでくるやつですわ。

高僧は訴えます。

織田信長様にこうしてお願いするしかない、我らの窮状をお察しくだされ!

こちらの寺では襖戸を全て召し出され、寺の形を留めておらず、悲嘆に暮れているとか。

「何卒、お返しいただきたく!」

うーん、信長には届かない訴えかも。

信長は宗教そのものに疑念がある。神様っているかわからない。仏様と襖絵って関係あるのかよ。そう言いかねない信長には通じない理屈だ。

じゃあ、義昭は?

「公方様、かかる訴えを直々にお耳に入れねばならぬ我らの苦衷をお察しくだされませ!」

義昭はもう悲しそうな八の字眉になりそう。

そこにいるだけで、雨に打たれた犬のようにどこか悲しい。これぞ、滝藤賢一さんの存在意義だなぁ。

高僧はさらにこう訴える。このままでは都中の寺社が信長を恨み、恨みの矢が公方に向かう。このことをいかが思し召されるかと問われ、義昭は困り果てます。

信長殿はわしの上洛を叶えてくれた恩人。此度のことも、我が身を案じてのこと。それを今更よせとも言えぬ。

そう困り果て、ある意味最悪の決断をしてしまいます。

信長殿とて、いつまでも京にいるわけではない。いずれ岐阜に戻るであろう。

その折を見て、各寺の品々を少しずつ返すのにやぶさかではない。京都には織田の家臣たちが数多残る。一度に返せば角が立つ。目立たぬようにじゃ。そういうソフトランディング案を出しました。

摂津晴門は名案だと言い、かつて興福寺一条院門跡であられた公方様のお言葉じゃと太鼓判を推します。

「そうであろう?」

そう念押しをされて、高僧は納得を見せる。

「ははっ、一縷の望みが見えた心地がいたします」

この高僧、発声がいいと思っていたらベテラン声優・緒方賢一さんでしたか。納得です。

見ているだけで霧が晴れるような、高度な演技合戦です。こういう名前もない役まで、めっぽう本作はうまい。

そして義昭は、また悪いことを言い出す。摂津晴門に「あとはよしなにはからえ」と言ってしまうのです。

このあと、晴門は金子の袋を持ち、ニタリとするのでした。

 


権限の分散システムを機能させないと……

義昭は悪人でもないけれど、いろいろとやってはならんことをした。

最大最悪の要因は、家臣に丸投げしたこと。リーダーとして厳しく目を光らせねばならない立場なのに、そうしない。となれば組織は腐敗あるのみ。

ダメなトップあるあるをやらかしています。

ちなみにこういう政治腐敗構造は、本作でも皆が貿易したがっている明朝の宿痾でもありました。

初代皇帝・洪武帝がなまじ皇帝権限を強くしすぎたため、業務量が大変なことになる。決裁だけでオーバーワークになるのです。

そうしてオロオロしてしまう皇帝に、側近や宦官が「代わりに我らがいたしまする」と囁き、政治がどうしようもなく腐り果ててゆく。

宦官が悪いというよりも、政治システムに欠陥があるのですね。これは現代でもありえる構造でしょう。

信長とも比較しますと……彼はなんでも自分でやりたがる。インテリアまで選び、城の工事までやろうとする。だから信長がよい――という単純なものでもありません。

では誰がベストの答えを見せてくるか?

それは今後、徳川家康の言動片鱗に見えてくることでしょう。

なんだかんだで家康は、太平の世を固めました。先人のトライアンドエラーを横目で見ながら、彼なりの最善を見出すのでしょう。創業と守成の違いをきっと見せてくれる、そんな風間俊介さんに期待だ!

徳川家康
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義昭の夢を叶える資金は?

そんな義昭は、一転して笑顔になってどこかへやってきます。

待たせたと謝っているのは、なんと駒でした。

駒はお待ちしている間に、お団子を一皿いただきましたと挨拶をします。その程度のお菓子を出せるぐらいのお金は流石にあります。

当時は糖分=財力。駒にとってはおいしい息抜きでしたね。

うまかったか?と聞いて、相手の答えに喜びつつ、よう来てくれたと義昭ははしゃいでいます。

そんな義昭の用件は、駒にこれからの都作り計画をお披露目することでした。

重い病の者を収容する施薬所を作る。池を作り、花を植える。表門には貧しい者をもてなす、古の悲田院の如きものを作ると言い出します。

誰でも入れる。貧しい子どもから年老いた者までそうできると義昭は言う。要するに【鰥寡孤独(かんかこどく)】ですな。

鰥=61歳位以上、配偶者と死別した男

寡=50歳以上、配偶者と別れた女

孤=16歳以下の親がいない子ども

独=61歳以上、子どものいない者

昔は実力主義で、困っている人を見捨てていたという誤解もありますが、そんなわけがありません。古代だろうが国家はそんなぶん投げ方してません。平安時代にはこういう救済対象者が定められていました。

理想の施設を作りたい……そう願ってきた義昭。大和国に作りたかったものの、そんな話は夢じゃと笑われたそうです。

「だが今ならできるやもしれぬ。わしは将軍じゃ。命じれば土地くらい手に入る」

そう言い切るのですが、医者にせよ、働くものにせよ、集めるには金がいるのです。それは悩みだそうです。

金がなければ小屋ひとつ建たん。今の幕府には、そのようなゆとりがない。城も織田信長の才覚に頼るしかない。

「金がないのじゃ」

義昭は現実逃避をしている。

いろいろな人が出入りするものを作るというけれど、セキュリティはどうするつもりなのか? 将軍が施しをする前には、治安の安定が必要なのです。

順番がおかしい。本当に将軍が強力で、威光が及ぶのであれば、金だってなんとかなる。金の方から集まって来るかもしれない。

駒はそんな義昭に、はじめから多くはおやりになれない、悲田所を一つ作ってみてはどうかと提案します。

それならいかほどお金がかかるか?

1000貫!(1億5千万円!)

その値段でできるのかと駒は言う。義昭が驚き大変だと言っても、駒は前向きなのでした。

 

駒の下剋上

東庵は、何やら自宅でゴソゴソしております。

ここの動きだけでユーモラスであるところが、堺正章さんの本領発揮です。

そこへ駒が帰ってきて、こう言い切ります。

「先生、今懐にお入れになったものをお出しになってください」

東庵は、見られたかと苦笑いしながら「あっ、誰かがこんなに」なんて言いながら銭を取り出します。

駒は、東庵が時々行き先も言わずに出かけることから、また双六仲間ができたのかと案じていたのでした。

それに対し東庵は苦しい言い訳をする。

丸薬作りで自分の仕事が減って、手元が不如意なのだとか。だから駒が生活費を渡しているそうです。駒が完全に会計を握るような立場に逆転してしまいましたね。

駒はここで貯金の金額を確認します。

今はだいたい200貫ほどだとか。大金だけど、1000貫にはまだ足りない。

駒はここで、今井宗久の助言を思い出します。

今井宗久
信長に重宝された堺の大商人・今井宗久~秀吉時代も茶頭として活躍す

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仕事場をもっと広くする。労働者を5倍増やす。そうすれば商いもうまくいく――。

東庵がそんなに稼いでどうするのかと聞くと、1000貫貯めると言い出す駒。蔵が3つ建つ大金だと東庵は驚いています。

「将軍様から大層良いお話を伺ったのです」

駒はキッパリと言い切りました。

彼女の話がなかなか面白くなってきましたね! 金儲けに消極的だったけれども、目標を設定されて俄然やる気が出てきました。

そしてこのお金の描写がおもしろい。

経済とは権力と関係がある。

駒は東庵に対して、下剋上を果たしました。

現在においても男女の賃金格差は深刻ですが、結局のところ権力の問題なのでしょう。女の下剋上を、男は許したくない。

もうひとつ、駒は登場からかなり年月が過ぎました。

当時の結婚適齢期は過ぎている。それでも恋愛の気配すらなく、結婚を考えてもいないようです。

結婚は女の本能でも、根本的な欲求でもなく、経済的な理由ゆえにするものだとも解釈できませんか。駒は光秀への淡い憧れ以来、そういう感情を見せません。

恋愛に溺れず、技術と知識で金を稼ぎ、目標達成に邁進するヒロイン――いよいよ大河の新時代が訪れていたようです。

 


前関白・前久との出会い

光秀が工事現場にいると、少年が何かを渡してきます。ここから先、光秀の行動に注目です。

光秀が草履を履いて歩く足元が映るのですが、ここも唸ってしまった。

不思議なことに、足の指まで綺麗に見えた。芯が入っているように見えた。

そうして光秀が歩いていくと、舞う女たちがいます。軽業師もいる。

こういう芸能考証は非常に大変で、この数秒のためだけによくやるものだなぁと思います。技術継承ですね。

そこへ、伊呂波太夫がゆらりと登場。結いあげた髪に油が光るようで、髷がよくお似合いで、今週も妖艶な姿です。

光秀は太夫がこんな文を寄越すとはゆくゆくのことと言い出す。

つまらく策を弄したと自嘲的な伊呂波太夫に、光秀は会わせたい方は誰かと聞きます。

近衛前久です。

三好一党との繋がりを疑われ都から姿を消していたものの、お戻りになられているとか。

光秀は困惑しつつ、自身が義昭様の側に仕える者だと懸念します。

しかし伊呂波太夫は、それゆえ、会うていただきたいと言うのですが……。

実は、その場で鼓を打っていた者が近衛前久でした。この装束の本郷奏多さんもいいですねえ。

前久は、光秀に、鼓の心得があるか聞いてきます。光秀は叔父・光安から手解きを受けたと返します。

ほほう、あの光安叔父がそんなことを。

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