こんばんは、武者震之助です。
前回から新章で実質的主役が井伊直政に交替したのですが、そのことでこんな風に書かれたレビューも見かけまして。
「これでは井伊直虎の存在意義が消滅!」
って、流石にこれはないでしょう。
オープニングからして本作は「枯れた花や植物が豊かな土地になって、新たな花が咲き誇る」ことをテーマとしています。
直政の方が大きな花が咲くからと、枯れて土になった直虎世代以前の物語を全否定して「直政を主人公にした方が面白かったのに、直虎を主役にしたのが悔やまれる」と言うのはどうかと思います。
そして、こういった指摘をされるケースの大半が女性が主人公のときであり、書いている方は無意識かもしれませんが
「女ごときを大河ドラマの主役にするなんて」
という古くさい考えが根底に流れている臭いが感じられてしまいます。
今年の主役は、国衆で、しかも女性という、二重のハンデを背負っています。
それでも果敢なチャレンジを続けており、そこが熱狂的なファンを生み出しているのでしょう。
「大河ドラマはメジャーで英雄的な男性が主役であるべきだ」
そんな志向こそ、まさに手垢の付いた考えであり、私は賛同しかねます。
常に挑み、敢えて挑み、新たな道を見いださねば、いかなるキラーコンテンツだっていずれは陳腐化してしまいます。
「ヒロインの存在意義が希薄」という意見に全く賛同できないのには、もうひとつ理由があります。
実は2013年の大河ドラマ『八重の桜』でも同じ批判がありました。
それを受けてなのか。二年後の2015年には「どんな時でもヒロインが主役のドラマ」が作られました。
結果、歴史的なイベントはスッ飛ばして、お菓子作りと恋愛ばかりが描かれるという、トンデモナイ大失敗が繰り広げられました。
主人公の存在意義や目立つかどうかは、「歴史を描くこと」よりもはるかに優先順位は低いはずです。
昨年の真田信繁(真田幸村)だって、終盤まで決して目立った存在とは言えませんでした。
それを踏まえまして、私はもう一度「主人公が目立たなくともいい」と言わせていただきます。
長くなり、失礼しました。
それでは本編へ!
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虎松の井伊再興を知って、しのが怒鳴り込んできた
家康から草履番を申しつけられた井伊万千代と小野万福。
井伊谷では、しのが激昂して南渓和尚に詰め寄っています。
六年間も虎松をかわいがってきた松下源太郎は、ショックのあまり床についてしまったとか。
この六年間、しのは夫婦として、そして家族として幸せだったんでしょうね……それをぶち壊されたと。
ちなみに、にゃんけいは代替わりして、キジトラになりました。先代に比べるとちょっと緊張気味。
「当節は禅僧と書いて人でなしと読むのですか!」
そう激怒するしのに、おとわも同意します。
もう井伊再興はないと決めた以上、独断はやめて欲しいと。
おとわは、しのに頼まれ、井伊再興を諦めるよう、虎松を説得する書状を書くことになります。
ドコにいても才ある者は抜きん出る
一方、万千代と万福は前途多難のようで。
いざ始めた草履番が思いのほか難しいのです。
名前を聞き間違える。
別人の草履を持ってくる……と、初歩的なミス続き。
この草履番の場面は、中腰になるため撮影もなかなか大変だったとか。
額に汗をして駆け回る草履番二人。下積みから頑張れ!
『どうしたら効率化できるのだろうか?』
と万千代は疲労困憊でフテくされます。
そこに本多忠勝がやって来ました。
忠勝は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が草履取りから成り上がった話をして、
「どこにおっても、才覚は人が見ているもの」
と若い二人を労います。
そう言われて明るい気分になる二人。
涼やかだのうと二人とも感心しますが、本当にその通りです。理想の先輩ですね。
手紙を読んだら心が折れてしまいそう……
しかしそこに松下常慶が来ました。
思わず万千代の顔はこわばります。何でもバラしてしまう定評のある奥村六左衛門が、万千代の野望を全て白状してしまったとか。
皆怒っているぞ、と常慶は束になった書状を差しだすのでした。
気まずい様子の万千代です。彼なりに罪悪感はあるのでしょう。
徳川家康が干し柿をほおばっていると、酒井忠次が松下の者が来たと告げます。
忠次は万千代に関して家康を翻意させたいようですが、家康はのらりくらりとあしらい、なかなかうまくいきません。
万千代は立派な草履番になることに夢中で、送られてきた書状を読もうともしません。
万福が「読むくらいはしたらどうか」と勧めますすが、万千代は小姓になるまで読まない、と返します。
今、書状に目を通したら、松下に行きたくなるかもしれないのだと。
考えてみれば万千代は、実父・井伊直親よりも松下源太郎の方が接した時間が長いわけです。
直親は物心つくかつかないかの頃に死別しているわけで。
まだ15才ですから、彼なりに父母が恋しいのでしょう。
万千代を説得せねば近藤も常慶も収まらぬ
井伊谷ではおとわが、近藤康用に詰め寄られていました。
虎松の独断と言っても通じませんし、そもそも生きとったんか虎松、というわけです。
気づかなかったんだ……虎松の生存。
別の子供の遺体でごまかした小野政次の偽装(第31回)をまだ信じていた?
おとわはともかく頭を下げて、虎松を説得するとしか言えません。
まあ、そもそも近藤は井伊に対して不信感がありますからねえ。
おとわを尋ねて常慶もやって来ます。
南渓は留守で、おとわが対応せざるを得ません。
常慶は、家康が松下に戻す気が無いことに立腹。常慶からも虎松の説得を頼まれてしまうおとわなのでした。辛い。
しかし、これには祐椿尼も梅も反対のよう。
井伊の再興は亡くなった者が喜んでいるのではないか、とおとわの説得にかかります。
政次似の猫までニャーンと声をあげています。
松下はただ跡継ぎが欲しかっただけでは、と迫る母の祐椿尼。
しかしおとわはきっぱりと断ります。
ストレスから解き放たれた今川氏真は京都で超元気
このころ、春爛漫の京都では。今川氏真が連歌や舞を楽しんでいました。
京都は素晴らしいと上機嫌の氏真。この優雅さは完全に祖母・寿桂尼の血ですね。
そこへなんと、今川義元の仇である織田信長から書状が。
なんと蹴鞠のスーパープレイを見せてくれ、という依頼です。
いくらなんでもそんなことをしては屈辱的だと家臣は諫めます。
にしても、大名というストレスから解放された氏真の生き生きとした表情よ。これは長生きする顔です。
彼は暗愚でも才能がないわけでもありません。
ただ大名としての適性が低いだけで、文化人としての才能はあふれています。
水を得た魚のような氏真に目頭が熱くなりそうな、謎の感動があります。
この姿を見たら、寿桂尼も苦笑しつつ祖母としては喜ぶのではないでしょうか。
井伊再興はハタ迷惑 誰も望んでいないぞ
万千代と万福はDIYに励み、草履収納棚を作ります。
クールな榊原康政に褒められて得意げな万千代。そこへおとわと常慶がやって来ました。
仕事中とかわそうとする万千代に対し、おとわは説得を続けます。
ハッキリ言ってお前の行動は迷惑、誰も望んでいないのだと。
しかし万千代も真っ向から反抗します。
「うっせーよバーカ! もうテメエなんてただの百姓じゃん! ババアに説教されたくねえし!!」
すかさず嫌味で切り返す直虎。
「誰も望んでいないことをドヤ顔でするのが最近では当主っていうんだ?」
そこへ家康がやって来て、井伊家先代当主・直虎と話したいと言い出すのでした。
万千代は止めようとしますが、家康は聞き入れません。
おとわは「ただの百姓の草履だけどきちんと片付けろよ」と、チクリと嫌味を言うのでした。
家康の真意「万千代を育てるため」だった?
万千代は「勝手に当主をやめたくせにでかいツラしやがって」と怒りにふるえます。
万福は直虎の苦悩を目撃しましたが、虎松はその辺の事情を知りませんからねえ。
思えば直虎と家康の出会いは最悪の状況でした。小野政次が磔にされた第33回放送です。
おとわは、井伊再興など面倒な話、松下や近藤にも顔向けできないから辞めて欲しいと頼みます。
そもそも何故あの子(万千代)の言葉を聞き入れたのか……と聞くおとわ。
家康は今更ながらと前置きしながら、本当は直親や井伊を助けたかった、だが力不足だったのだ、と告白します。
瀬名の願いを聞きたい気持ちもあった、と。
しかし、最大の理由は、もっと現実的なものでした。
万千代を育てるためだったのです。
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