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【青天を衝け第1回感想あらすじ】
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発声と演技指導、演出への懸念
私はドラマの関係者・専門家ではありません。
それでも昔の兵法家のように、陣太鼓の打ち鳴らし方から異常を察知する程度の耳は持っていると思います。
そのうえで指摘させていただきますと、本作は発声と演技指導に違和感があるのです。
方言をこなすだけで精一杯で、感情があまり入っていないように思えることがひとつ。
反対に抑揚がつき過ぎていて、おかしいと思えるところもある。たとえば秋帆は牢内で一人、子ども相手にあそこまで抑揚をつけて語るものなのかどうか?
役者のくせ、個性がそのまま出ているのでは?
こう書けばよいことのようで、あまり統一されたプランがないように感じられます。特に子役やエキストラの統一性が取れていない。
もうひとつ、軍事教練でカメラがかなりブレていました。狙ったと言うよりも、ミスのようにも思えました。
要は、本作は何かが噛み合っていないように感じるのです。
やたらと走り回る演出やラブコメ初恋など。
全体的な演出が10年ぐらい前のトレンドを追いかけているのでは?
海外作品と比較すると、その古さに衝撃を受けています。
水戸藩の人間は、果たして責任感が強かったのか?
すごくクリーンアップされた水戸藩の人物像でした。
たしかに『麒麟がくる』の明智光秀だってそうだった、とは言い切れません。
幕末以降は現在の政治体制にも継続している部分がありますし、国境を跨いで状況も複雑ですが、それにしても水戸藩を美化しすぎる方向はどうなのか。
たしかに水戸藩は、領内沖に外国船が来ていて、危機感を募らせてはおりました。
ただし、多かったのは捕鯨船。
むしろ自国の漂流民が多く、それが海禁令のせいで引き取るのも難渋していた。
「せっかく日本人を助けて帰国させようとしたのに、そもそも船が近づけないよ!」
こんな嘆きもありました。
そのあたりをすっ飛ばして、外国船が砲艦外交をいきなりしていたような誘導は、歴史修正という懸念を感じます。
斉昭が嘆いていた――水戸藩が理解されない――という理由にしても、いささかキレイに描かれすぎではありませんか?
徳川慶喜が「そっか、厳しい教育で慶喜は立派になるんだね!」と思えないところが厳しい。
斉昭は大奥で性的暴行を起こして嫌われるわ。
慶喜は江戸引揚の軍艦に妾を連れ込むわ……。
そういう身から出たサビがたいへん多い、それが水戸斉昭なのですが、まるで幕府がついていけないかのように描くあたりに、悪質なものを感じます。
斉昭が悲しそうに「上様に理解されない!」と言っても、自業自得という気がします。
本作では『八重の桜』の慶喜像が最高値のまま更新されない予感がしてきました。
思考回路に漢籍はあるのか?
姉・なかと栄一が並んで学んでいました。
どういうことなのかちょっと理解が難しい。
男女七歳にして席を同じゅうせず――そういう概念はドコへ行ってしまったのでしょうか。
『八重の桜』では、そのへんを扱っていました。いや、同じ脚本家さんの『あさが来た』でも、そうだったと思いますが。
あ、6歳だからセーフか。そういうことか。
『青天を衝け』タイトルの意味は? 渋沢の漢詩が由来の2021大河ドラマ
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