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その日、歴史が動いた 江戸時代

十三代将軍・徳川家定って何だか可哀想 受験生泣かせの地味ジェネラル

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人間誰しも向き・不向きがあるものです。
しかし、歴史に残るようなお家柄に生まれた人々にとって、そんなものを考慮してもらえた例はごくわずか。健康かつ負けん気が強ければ立ち向かっていくこともできたでしょうが、多くの場合は周囲に押し切られてしまいます。
本日はその中でも、「哀れ」といわざるを得ない人のお話です。

安政五年(1858年)7月6日は、江戸幕府十三代将軍・徳川家定が亡くなった日です。

大河ドラマ「篤姫」では堺雅人さんが演じていらっしゃいましたので、ご記憶の方も多いかと思いますが、改めてこの人の生涯を見てみましょう。

※TOP画像は徳川家定/Wikipediaより引用

 

病気が続き人間嫌い 人前に出るのを嫌がった

家定の父である十二代将軍・家慶は子沢山でした。が、当時の衛生・栄養状態のためか、成人したのは家定だけ。
その家定もやはり病弱で、それに気後れしてか人前に出るのをひどく嫌がったといわれています。安心できたのは乳母の歌橋という女性だけでした。

人前に出るのを嫌ったのは、脳性まひを患っていたから、もしくは痘瘡(天然痘)の痕が顔に残ってしまったからといわれています。
確かに、これだけ病気が続けばコンプレックスで人間嫌いになるのも無理はありません。多分陰口を叩く者もいたでしょうしね。

しかし、いつまでも引きこもってはいられません。
家定17歳のときに祖父である徳川家斉が亡くなると、正式に父の世継ぎになりました。親子の縁が薄い時代・身分であっても、家慶は我が子の出来が将軍職には向かないことはわかっており、一時は徳川慶喜(後の十五代将軍)を十三代に就けようと思っていたようです。
が、「直系の長子相続」は譲れないと考えていた老中たちに反対され、やはり家定が家慶の跡を継ぐことになりました。

 

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外国人にアレコレ言われ、臣下たちからも急かされて

それから十二年後の嘉永六年(1853年)、黒船がやってきた直後に、家慶は亡くなりました。代わっていよいよ家定が将軍の座に就きます。
現代の学生もこの辺から段々ややこしくなってきて悲鳴を上げるところですが、当時生きていた家定も大変どころではありませんでした。
上記の通り元々頑健とはいえない体質だったのに、外国人にアレコレ言われるわ、家臣たちは「上様いかがなさいますか」と急かしてくるわで、気の休まるときなどほとんどなかったでしょう。

そうしたストレスのため、家定の体調は悪化の一途。当然世継ぎを作るどころの話ではありません。

「篤姫」でも取り上げられていましたが、家定は三回正室を迎えています。が、最初の二人は早くに亡くなってしまい、最後に結婚した篤姫は将軍職への重責にあえぐ中での結婚だったので、直に顔を合わせたのもほんのわずかな回数だったと思われます。
篤姫に関しては、「次こそ健康な正室がいい」ということもあって武家の中から選ばれた奥さんでした。

残念ながら、それは結局実を結ばなかったのですが・・・。

黒船ミシシッピ号/Wikipediaより引用

ペリーが乗ってきた黒船ミシシッピ号/Wikipediaより引用

 

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将軍就任後、わずか5年で……

悪循環はまだ続きます。
これまた当然のことながら、幕閣たちは家定の次の将軍を決めるべく動き始めました。
そしてやはり家定自身に指名するよう迫り、これまた重責がかかります。もうやめたげてよお!(´;ω;`)

家定は何とか頑張り最終的には従弟、かつ紀州藩主だった家茂(当時は慶福)を選びました。その直後、このときも対抗候補に挙がっていた慶喜を推した者たちを処分したのが、家定最初で最後の将軍らしい仕事だったといわれていますね。
その翌日、家定は35歳で世を去りました。将軍になってからたった五年後のことです。

身も蓋もない言い方をすれば、「元々病弱な人に無理やり重責を押し付けた上、将軍就任後もこき使った」ことになる幕閣の醜悪さが際立ちますね。

九代将軍・徳川家重も、身体上の問題を抱えていながら将軍の座についていますが、おそらく幕閣たちは家重のときも家定のときも、「我らがお支えしますので」といったようなことを、それぞれの父に対して言っていたんでしょうね。
それなのに、いざ将軍になったら追い詰めまくるとは、やっていることがあべこべすぎます。誰も客観的に判断する人がいなかったんでしょうか。
当時は個人の尊厳という概念があまりないですから、仕方ないのかもしれませんが……。

徳川のラストエンペラー15代将軍慶喜/Wikipediaより引用

また、「もしも」の話になってしまいますけれども、家定が将軍にならず、慶喜が十三代になっていたら、どうなっていたのでしょうね。
少なくとも、家定は趣味の料理やお菓子作りを楽しみながら、もう少しだけ穏やかに生きることができたんじゃないかなと思います。
それが良いかどうかは別として。

長月 七紀・記

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参考:今日は何の日?徒然日記 徳川家定/Wikipedia

 

 





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