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日本史オモシロ参考書 飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた

なんだかモヤッとする「位階」と「官位」の仕組み 正一位とか従五位とか、どんな意味がある?

更新日:

戦国マンガでも日本史の教科書でも、あるいはゲームでも。
歴史コンテンツを手繰っていると「正一位」とか「従四位」なんて言葉にぶつかったコトがありませんか。

いやいや、「ない」とは言わせませんぞ。
例えば豊臣秀吉も従一位(死後に正一位※1)になってますし、徳川家康も同じく従一位(死後に正一位)でした。

まぁ、彼らは「関白」とか「征夷大将軍」という言葉の方が馴染み深いワケですが、ともかく「正 or 従+漢数字+位」の組み合わせは日本史に欠かせない存在でもあります。

これ、「位階」と言いまして、飛鳥時代の大宝律令(正確には大宝令)にて制定されたものです。
貴族の序列を表すもので、RPGで言えばレベルですね。

数字の低い方がレベルが高くなっていて、教科書や参考書にはこんな感じで表が載っていたりします(長くてイヤになりますが、スクロールお願いします)。

①正一位
②従一位
③正二位
④従二位
⑤正三位
⑥従三位
⑦正四位上
⑧正四位下
⑨従四位上
⑩従四位下
⑪正五位上
⑫正五位下
⑬従五位上
⑭従五位下
⑮正六位上
⑯正六位下
⑰従六位上
⑱従六位下
⑲正七位上
⑳正七位下
㉑従七位上
㉒従七位下
㉓正八位上
㉔正八位下
㉕従八位上
㉖従八位下
㉗大初位上
㉘大初位下
㉙少初位上
㉚少初位下

ご覧の通り、最上位の正一位から最下位の少初位下まで全部で30段階。
そもそもこうした位階は「貴族」のお話がメインでして、奈良時代に制定され、平安時代で頻繁に出て来るようになります。

というか言葉自体だけ見れば「官位」の方が馴染み深いかもしれません。
今回は、官位についてザックリ&ジックリ見てみたいと思います。

※1 秀吉は「正一位」と誤記しておりました、謹んでお詫び申し上げます

 

官職」+「位階」で「官位」

まず頭に入れておきたいのは、官位とは「官職」と「位階」を合わせた呼び方だということです。

・官職の「官」
・位階の「位」

「 」の中をタテ読みすると官位になりますね。略語だからわかりづらいのかもしれません。

ではまず、官位のうち「官職」から見て参りましょう(位階はその後で)。

官職とは一体何なのか?
その名の通り「公の職業」のことです。

近現代史では「官」がつくと公務員や国が運営する機関などが連想されますが、だいたいそんなイメージで良いでしょう。
もうちょっと具体的にいえば「日本の伝統的な公務員の分類」というのがわかりやすいですかね。

官職には【二官八省】と呼ばれる分類がされていて、現代に通じる省庁名もあります。

こんな感じです。

◯二官
◆神祇官(祭祀などを担当)……祈年祭や新嘗祭など毎月の祭り事を担当したり、全国の官社(前述の祭を行う神社)を管理する
◆太政官(祭祀以外の国家運営に関わること全てが担当)……今にも通じる実務的なやつで八省に分かれている

太政官の仕事が【国家運営に関わること全て】になっていて、あまりにも多い感じがしますが、そのぶん八省に細分化されています。
特に重要なのは「左弁官局」と「右弁官局」で、それぞれ八省のうちの四省ずつを担当していました。

◯八省
◆左弁官局管轄→中務省・式部省・治部省・民部省
◆右弁官局管轄→兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省

ここまで来ますと戦国大名の通称でもお馴染みの単語がちらほらありますね。
わかりやすい例で言えば石田三成の「治部少輔」でしょうか。
彼は治部少輔とか治部少と呼ばれておりました。

石田三成/wikipediaより引用

そもそも大宝令下での治部省は戸籍の管理などを行う省でしたが、戦国時代には形骸化しており、要は箔付けのために臣下に付けられたものです。

秀吉の出世に伴い三成も
官職=治部少輔(治部省の中で2番目に偉い人)
位階=従五位下
となっておりました。

そういや三成の盟友・大谷吉継は刑部少輔で「刑部」と呼ばれてましたね。

他の各省がそれぞれどんな仕事をしていたのか?
と、これは、さすがに長くなりすぎですので、後日あらためて見てみたいと思います。

 

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誰がどのくらいエライのか

では、位階とは何なのか?
これは前述の通り「誰がどのくらいエライのか」という序列のことです。

正一位から従八位下、そしてその下に大初位上~少初位下まであり、だいたい話題になるのは従四位下から上です。

なぜなら従四位下よりも上のランクになると、
【天皇の日常生活の場である清涼殿に上がることができる】
からです。

つまり、政治の表舞台に名前が出てくる可能性が高くなるわけですね。

例えば、江戸時代の大大名も従四位上もしくは従四位下が多いです。
もちろん将軍家や御三家・御三卿はもっと上の位ですし、江戸幕府の歴代将軍は軒並み正一位になっています。

日本史で「身分が高い・低い」という話になった場合は、概ね「位階」を指すと思っていいでしょう。

 

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位階と官職は関連性がある「官位相当制」

ただし、位階は、前述の官職とも関連性がありまして。
どの位階だと、どの官職につけるのか? ある程度組み合わせが決まっています。

これを【官位相当制】と言いまして、もちろん例外もありますが貴族が中心だった平安時代は特に重要でした。

なんせ、自分に一番最初にどんな位階が授けられるか、というのは後の出世に大きく響くワケです。
そしてそれは家柄によってスタート地点が大きく異なりました。
父親やそれ以前の世代の身分によって、子孫が初めてもらう位階も異なるのです。
これを「蔭位制(おんいのせい)」といいます。

わかりやすい例ですと、親王の子供は「従四位下」からスタートします。
前述の通り、江戸時代ならば数十万石以上の大名がもらう位階を、親王の子供に生まれれば成人になった時点で貰えてしまうのです。

さすが皇族という感じですが、これが更に一世代下ると、スタートは「従五位下」となります。
序列的には「従四位下-従五位上-従五位下」なので、一世代変わるだけで二段階も位階が下がってしまうことになりますね。

他にも条件はあるのですが、ややこしくなりますので割愛させていただきます。

 

源氏の息子・夕霧は、本来なら従四位下からでOKだが

この辺に関しては源氏物語の夕霧がわかりやすいでしょうか。

光源氏の息子・夕霧は六位から始まりました。皇子である光源氏の子供なので、本来なら従四位下から始まってもいいし、光源氏の権威からすればもう少し上でもいいくらいです。
しかし、光源氏は親王宣下されておらず、順当にいけば夕霧は従五位下からのスタートが妥当となります。

結局、光源氏自身が「息子には生まれ持った身分に甘えず、学問を身に着けて自力で出世してほしい」と考えたため、夕霧はさらに下の六位から始まっています。光源氏、意外と教育パパですね。

作中には「六位」としか書かれていないので、正六位なのか従六位なのかよくわからないのですが……。
ちなみに正六位下の場合、明経博士(みょうぎょうはかせ)と呼ばれる大学寮の教官がもらう位階と同等になります。初任とほぼ同時に夕霧が大学寮に入ったことを考えると、「先生と生徒が身分的に同じ」という奇妙な状況だったことになりますね。

上流階級では、生徒のほうが身分が上というのも珍しくありませんけれども。

 

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極位極官のため五摂家しか関白になれない

皇族以外の貴族は、概ね従五位下から始まり、家格や状況に応じて出世していきます。

最も影響を与えたのは、やはり家柄でした。
その家で代々世襲している官職を元に、出世の限界が決められていて、これを【極位極官】といいます。

よく「道長の子孫である五摂家しか関白になれなかった」という話がありますが、これは五摂家の極位極官が正一位・関白だったからです。そして、それ以外の家の極位極官は関白より下なので、関白にはなれない……というわけです。

職業選択の自由がある現代からすると「生まれで頭打ちが決まるなんてヒドイ」と感じられるかもしれませんね。
でも、家族経営の会社や、総理大臣の就任順などを見ると、現代も似たような世界が……ゲフンゲフン。

当時の社会でも、「由緒正しい公家以外が極位極官を飛び越えることは好ましくない」とされていました。

例えば、戦国時代は皇室も公家もお財布事情が厳しかったので、多額の献金を行って位階や官職をもらう大名が多々いました。
しかし、公家が代々世襲してきたような官職や、親王がやるべき官職までは基本的にもらえていません。

官位や極位極官の制度は、公家たちの最後の砦というか、心の拠り所というべきものだったわけです。
教科書ではあまり語られませんが、こういうときの公家の粘り強さってスゴイですね。

 

信長が名乗った上総介にはどんな意味がある?

とはいえ、何事にも例外はつきもの。この場合の数少ない例外が大内義隆です。
あまりにも献金が多かったためか、従二位・兵部卿という大名屈指の高位に登っています。

兵部卿とは、兵部省=現代の防衛省のような仕事をしていた役所の長官(卿)のことです。
実はこれ、本来は親王が他の役職と兼務すべきものとされていました。
義隆については後半生が注目されがちですが、ノリノリだった頃の権勢のほどがうかがえます。

また、戦国時代にやたらと官職名を名乗る大名がいたのは、朝廷に献金して任じてもらった場合と、勝手に自称したケースもありまして。
両方とも「武家官位」と呼ぶのでややこしいですね。

前者の例は大内義隆、後者はありすぎて書ききれないほどありますが……有名どころだと、若い頃の織田信長が「上総介(かずさのすけ)」を名乗っていました。

イラスト・富永商太

上総は親王任国といって、親王でなければ国主になれないとされ、他の地方とは別格の扱いを受けていたところです。
ここだけだと信長が野心満々だったようにも見えますね。

ただし、「介」は長官である「守(かみ)」の部下です。
さらに、親王任国の場合は親王自身が赴任することはなく、中央から介が派遣されていました。現地の最高責任者というわけです。

この辺を総合して考えると、「信長が上総介を名乗ったのは、次代の皇族の補佐を務めたいという意思表示」と解釈することもできるわけです。
まあ、信長が皇室をどう思っていたのかはまだ確定できていませんし、他の要素もたくさんあるので、断言はできないですけどね。

 

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官位についてのマトメ

だいぶややこしくなりましたが、官位について無理やりまとめると

・官位は「官職」と「位階」を合わせた呼び方である
・家によって頭打ちが決まっていた
・それを飛び越えられたのは戦国時代、かつ金の力くらい
・皇族は別格だけど世代に影響される

という感じでしょうか。

官位相当制の表もウィキペディア先生や歴史手帳などに出ていますが、受験をお考えの方はそこまで覚える必要はないでしょう。
エンタメ目線で
「好きな歴史上の人物の官位が、全体的に見るとどの辺のエラさになるか?」
みたいな視点で楽しむのが良さそうです。

 

神社にも「神階」という序列があった

余談ですが、実は神社にも「神階」という位階が決められています。
例えば、伏見稲荷大社は最高位である「正一位」です。ここから転じて、お稲荷様のことを正一位と呼ぶこともあります。
夏目漱石の「草枕」の最初のほうにも「正一位 女に化けて 朧月」なんて句が出てきますね。

「お稲荷様が正一位なら、伊勢神宮はどうなるんだ?」
と思った方もおられるかもしれませんが、ここでもやはり「別格」というものが存在します。

天皇に位階がないのと同じように、皇祖神には格付けできないんですね。
同様に、三種の神器の一つ・八咫鏡(やたのかがみ)のプロトタイプとされる鏡を祀った日前神宮(ひのくまじんぐう)と國懸神宮(くにかかすじんぐう)も、位階を超越した立場とされています。

年始に初詣をされる方は、並んでいる間にその神社の位階をググる先生にお尋ねしてみるのも良いかと思います。
神様だって、自分のことに興味を持っている人間にはご利益を与える気になる……かもしれませんしw

長月 七紀・記




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参考:国史大辞典「位階」「官職」「蔭位」 神階/wikipedia

 






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