呉三桂/wikipediaより引用

中国

女のために国を捨てた明の将軍・呉三桂~男は今も裏切り者と罵られ

「呉三桂って知っている?」
「ああ、あの“冠を衝く一怒は紅顔の為なり”、女のために国を裏切った奴な」

こんな風に言われてしまい、流石に呉三桂も気まずくなってきました。

彼は呉偉業に大金を送り、
「あなたの作品から“冠を衝く一怒は紅顔の為なり”を削除してもらえませんか?」
と頼み込みました。

しかし、呉偉業は「知らんがな」と無視。それもそうでしょう。
呉三桂は「女のために国を裏切った最低の奴」として、バッチリその名を歴史に残してしまうのでした。

 

「三藩の乱」を起こすものの、今更遅いよ!

時は流れて1673年。
清では、国の成立において特に功績のあった三人の漢人武将を「藩王」に封じていました。
その三人とは以下の通りです。

・呉三桂
・尚可喜
・耿仲明

この三藩が強大化することを憂えた康煕帝は、藩の廃止を決断。これに反発した呉三桂は、ついに挙兵します。
尚可喜の子・尚之信、耿仲明の孫・耿精忠もこれに呼応しました。

これを「三藩の乱」と呼びます。

しかし三藩はあっけなく破れ、残すは呉三桂のみとなりました。
呉三桂は辮髪を切り、「反清復明」を唱えます。三十年遅すぎるっちゅーの!

1678年には大周王朝と建国し、初代皇帝を名乗ります。とはいえ、そんな彼にまともについて来るのは親族と一部の軍人くらいです。

「何を今更、バッカじゃねーの!」
明を復活したくてたまらない漢人からも呆れられ、陳円円のために裏切った時以上の醜態をさらし、彼は即位から半年もしないうちに「崩御」しました。

呉三桂の「皇后」は、張氏という女性でした。
彼女は夫の死後も生き延び、1699年に亡くなったようです。

それでは陳円円はどうなったのでしょうか。

彼女の生涯は謎につつまれています。
反乱鎮圧軍が踏み込んできた時に自害したとも、あるいは女道士として出家したとも。

いずれにせよ、「あの美女のせいで国が滅びた」と言われながら生きてゆくのは、彼女にとって辛いものであったことでしょう。
「お前のために国を裏切ったよ!」
と呉三桂に言われたら、感動どころかドン引きしたのではないでしょうか。

呉三桂の武将としての経歴を見ますと、なかなか優秀だったと思われるふしがあります。
しかしそんな強さも、裏切りで台無しにされてしまいました。

清からすれば、裏切った将軍というのは当初こそ使い物になるものの、泰平世のとなればもてあますもの。
古くから言われていたように
「狡兎死して走狗烹らる」(ずる賢い兎が死んでしまったら、猟犬もいらなくなるから食われてしまう=敵が滅んだら、功績ある将軍も粛清対象になる)
を地で行くルートを転落してしまうのです。

 

悪名を背負わせた詩文の力

呉三桂に同情の余地はありません。
ただ、陳円円は何もしていないのに明を滅ぼした原因に数えられてしまう、気の毒な女性ではないでしょうか。

呉三桂が敵に降伏したのは、明朝が彼のような将が何らかの期待ができないほど腐敗していたからだという一面はあります。

腐った国に尽くすよりも、仕切り直した方がよい。
実際に彼は清においても出世を遂げておりますから、そこに先見の明はあります。

ただ、そうした呉三桂の目論見は、キャッチーな詩文によって消えてしまう。

「陳円円目当てで国を売った最低の男」
そんなどうしようもない汚名だけが残されてしまう。そしてその汚名に苦しめられたからこそ、反旗を翻したのかもしれません。

呉三桂と陳円円の物語とは、文学が持つ力がどれほど大きいのか。そう示しているように思えてならないのです。

文:小檜山青

【参考文献】

『裏切り者の中国史 (講談社選書メチエ)』(→amazon link

 



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