東坡肉(トンポーロー)

中国

エンジョイ流刑!天才・蘇軾の浮草人生に痺れる憧れる 水都百景録

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今度は南国リゾート! 毛虫がウマい!

蘇軾の楽しい流刑ライフも、政治闘争とともに終わりを告げます。

1085年、新法を支持していた神宗が崩御し、幼い哲宗が即位。

実権を握ったのは、哲宗の祖母で摂政となった太皇太后でした。そのおかげで旧法党が復活し、蘇軾もお呼びがかかったのです。

嫌々ながらも中央官界に戻った蘇軾。

すぐさま政治闘争に嫌気がさしてしまいます。口が悪い蘇軾ですから、敵も作りやすかったのでしょう。

そして志願して地方勤務、呼び戻されて中央、やっぱり嫌になって地方、また中央……と、そんな官僚人生を送ります。

そんな中、哲宗の親政が開始されるとまた新法党の時代となりまして。

1094年、再び、恵州(広東省)へ流刑。

さらには1097年、中国最南端・海南島に流されてしまいます。

このとき、蘇軾は62才。同行した家族は三男だけでした。

住民の大半は少数民族の黎族(リー族)です。

食べ物だって全然違う。生活習慣も当然異なります。

流石の蘇軾も参るだろうと思いきや……。

「毛虫うめえ~! 中央官界には内緒だぞ、あいつらにこの美味を知られたら食い尽くされるからな」

なんと、毛虫の味をえらく気に入ったのです。

めげない蘇軾は、官舎を追い立てられても、現地の人と楽しく小屋を建ててそこで暮らし始めます。

海南島での蘇軾は、笠を被り、足下は下駄履きで、酒入りの瓢箪を頭にのせて、昼間っからフラフラしておりました。

こんな変なジッチャンを周囲の人々も面白がり、女子供や犬(!)までもが周囲で盛り上がっていたそうです。

 


もしかして中央に帰りたくなかった?

1100年、哲宗の崩御に伴い、蘇軾は罪を許されます。

その翌年、中央へ戻る旅路において、蘇軾は病に倒れ亡くなりました。

享年66。

そんな蘇軾の作品は高い評価を受け、北宋最高の詩人とされています。

古文の教科書でもおなじみですし、もちろん前述の「東坡肉」も有名ですね。

しかも生き方がこんなに自由なのです。

後世の人々は「蘇軾さんの生き方、最高にクールでロック!」と憧れのまなざしで見ました。

義や国家に殉じる、諸葛亮や岳飛といった生き方ももちろん賞賛に値します。

しかし、それだけではなく、義や国家よりも自分の自由を重んじて、ゆる~い悠々自適ライフを送った老荘思想家はじめ、竹林の七賢、明代の唐寅のような生き方も中国の歴史において絶賛されました。

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蘇軾ももちろん、この悠々自適タイプです。

こういう生き方は確かに理想的で、何よりも楽しそうです。

どんな逆境でもふてぶてしいほどに楽しむ生き方は、確かに憧れてしまいます。

皆さんもこれから「東坡肉」を召し上がるときは、そんな蘇軾の楽しい人生をちょっと思い出して、自由に生きる勇気をもらってみてはいかがでしょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
井波律子『酒池肉林』(→amazon

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