ヘンリー8世

ヘンリー8世/wikipediaより引用

イギリス

ヘンリー8世の離再離再婚でぐだぐだ~イングランドの宗教改革500年

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メアリー、プロテスタント処刑するってよ

ヘンリー8世はアン・ブーリンとの結婚後、念願の男児が生まれずに王妃を処刑してしまいます。

ガチャを引くような感覚で王妃と結婚、離婚あるいは処刑を繰り返すヘンリー8世に、周囲も流石に呆れ果てました。

ヘンリー8世としては「女なんかが王様になったら、内戦が起こってまた薔薇戦争みたいなことになる」と警戒していたのです。

チューダー朝はただでさえ正統性が薄いのですから、この懸念は当然のものでした。皮肉にも、彼の王女たちはしっかり者で王権強化に成功することになるのですが。

そうしてやっと得た王子のエドワード6世ですが、若くして崩御。

跡を継いだのは、キャサリン・オブ・アラゴンの娘であるメアリー1世でした。

メアリー1世/wikipediaより引用

メアリー1世からすれば、自分の母を離婚するために生まれた英国国教会なんて、許せるわけもありません。

しかも彼女は母の祖国スペインに愛着があり、結婚相手もスペイン国王フェリペ2世です。

メアリー1世は上品で優しい人柄でしたが、反逆者に対しては容赦なく、スペインに関すると熱狂的に、宗教のこととなると見境がなくなる性格でした。ヤンデレ?

「他の国では対立した教徒を焼き殺すっていうけど、イングランドではどうかと思うな」

愛する夫のフェリペ2世が止めても、メアリー1世はじゃんじゃんとプロテスタントを火刑にした結果、「血に飢えたメアリー」というありがたくない異名をとってしまうのでした。

 


エリザベス、エドワード6世の体制を戻すってよ

崩御の間際、メアリー1世は無念の思いを噛みしめながら、異母妹エリザベスを後継者に指名しました。

生まれてすぐさま母が処刑され、姉からは投獄され、辛酸をなめてきたエリザベス1世。

彼女は宗教政策においても、石橋を叩いて渡る性格でした。

「女王陛下は、立派なプロテスタントでもなければ、熱烈な教皇主義者というわけでもない」

メアリー1世のあとを継いだエリザベス1世が即位すると、世間の人々はそう評しました。

どちらか一方に肩入れして、姉メアリー1世のような轍を踏むのはごめんなのです。

姉が宗教政策にかまけている間に政治がおろそかになったこともあり、彼女は政治重視の姿勢を打ち出しました。

とはいえ、まったく宗教政策に手を付けなかったわけではなく、エドワード6世の体制に戻しました。

かくしてイングランドは基本的に英国国教会の国となったのです。

1570年、エリザベス1世は教皇から破門されました。

とはいえ、この時代では破門にさほど大きな意味はありません。

1077年の「カノッサの屈辱」では、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が教皇に赦しを乞いましたが、そんな時代ではないのです。

そもそもエリザベス1世は、両親の結婚すらカトリックからは認められていません。

カトリックの考え方では、彼女はイングランド女王ではなく「ヘンリー8世の愛人が産んだ庶子」に過ぎないのです。

今さら破門されても、さして落胆もなかったことでしょうし、想定内でしょう。

しかし、想定内イコール安全というわけでもなく……。

 


エリザベス、メアリーを処刑するってよ

イングランド国内にはまだカトリックが潜伏していました。

さらにイングランド国内には、母国を追われたスコットランド女王メアリー・スチュアートがとらわれています。カトリックはエリザベス1世をイングランド女王としては認めておらず、メアリーこそがふさわしいと考えていました。

メアリーを生かしておけば、担ぎ上げられかねない。彼女自身も謀叛を企んでいる。

けれども処刑したらしたで、カトリックを刺激してしまう。

エリザベス1世は迷った挙げ句、メアリーを処刑しました。

が、このことが大国スペインを刺激してしまいました。

フェリペ2世は1588年無敵艦隊を派遣してきたのです。

このときスペイン側は、イングランド国内のカトリックに呼応した蜂起を支持していました。

もしも無敵艦隊を打ち破れなかったら、イングランドは相当な危機にさらされたことでしょう。

エリザベス1世はこうなると寛大な政策を続けるわけにもいかず、カトリックすなわち反逆者として厳しく取り締まることになりました。

問題はカトリックだけではありません。

従来のプロテスタントでは生ぬるい、徹底した改革を求めた「ピューリタン」も、女王と対立します。

エリザベス1世はピューリタンとの闘争にも勝利をおさめ、英国国教会の体制を打ち立てたのでした。

ヘンリー8世の離婚再婚問題に端を発したイングランドの宗教改革

グダグダとした経過をたどりながらも、改革のきっかけとなった結婚で誕生したエリザベス1世の代でやっと決着を見ました。

教義より前に改革があったイングランド。かなり特殊な経過をたどったといえるでしょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
森田 安一『図説 宗教改革 (ふくろうの本/世界の歴史)』(→amazon

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