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【ミケランジェロ】
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左側の方、後姿が「じゃあの」とでも言っていそうな感じで笑える……ではなく躍動感に溢れており、いろいろな意味で面白い絵ですね。
慈悲深いはずの「父なる神」が眉間に三本シワを寄せた不機嫌そうな顔をしているのも、上記の裏事情を知っていると、製作者のストレスが現れているように見える気がします。
ミケランジェロにとっては、心理学でいうところの「昇華」(ストレスや葛藤を芸術など高度な活動で発散し、自己実現を図ること)だったんでしょうか。
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彫刻そのままのような生々しいほどの迫力
同じくシスティーナ礼拝堂の最奥にある「最後の審判」は、ミケランジェロ最大の絵画作品となりました。
実は1533年に依頼されていたのですが、そのときの教皇が直後に逝去。
お流れになっていたところ、それより3代後の教皇が「アレの続きを描いてほしい」と依頼したため再開されたのです。
そのまま忘れられていたら、あそこには全く別の絵が描かれていた可能性もあるんですね……危なかった(゚A゚;)。
もちろん教皇の命令ですから逆らうことはできず、ミケランジェロはそのとき取り組んでいた彫刻の仕事を中断してとりかかりました。
完成したのは再開から5年後のこと。すでにミケランジェロは60歳を超えていましたから、天井画より最後の審判を描くほうが辛かったかもしれません。
とにかく凄まじいまでの描き込みようですよね。
人物の総数は400以上。彫刻がそのまま平面になったかのような、生々しいほどの迫力で、本作品は、賞賛と嫌悪の二つの視線を浴びることになりました。
あまりにも裸体が多いので、主に聖職者から「神聖な場所に裸を大量に描くとは何事か!」とブーイングを受けてしまったのですね。
家族や教皇に振り回され続け
結局、特に目立つものにだけ下着を描き足し、騒ぎは収束します。
ミケランジェロはこの話を聞いて一言つぶやいたとか。
「教皇様はそんなことにお金を使うより、世の中のためにもっとやるべきことがあるはずなのに……」
ま さ に 正 論 。
しかし、そんな意見が歴代の教皇に届くこともなく、1981年の修復までそのままになっていました。
一部は下着つきのままらしいので、もはやミケランジェロが意図していた絵ではなくなってしまっているということですね。
自らの意思で進んだ世界なのに、家族や教皇に振り回され続けたと見ると、世界一の芸術家が何だかかわいそうに思えてきます。
むろん作品の素晴らしさに変わりはありません。それだけは彼の救いとなっていることでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
『図説 ミケランジェロ (ふくろうの本)』(→amazon)