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仏の顔も三度まで 南無阿弥陀仏は一度だけ 前田慶次は二度現れる【戦国boogie-woogie vol.111】

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25万の大軍を率いて九州を制圧した秀吉が、後に肥後国の統治を任せたのは佐々成政だった。
そもそも佐々は、秀吉と対立し、小牧長久手の戦いでは合戦を長引かせるよう命を賭して家康に直訴したほど。
しかし、嘆願かなわず遂に秀吉に屈服すると、その後は首を斬られることはなく御伽衆として秀吉の側に仕え、ほどなくして始まった九州討伐で活躍し、肥後国を与えられたのだった。
そして、まもなく起きた肥後国の国人一揆。
反乱はすぐに鎮まることなく拡大し、これを鎮圧するため羽柴政権は立花宗茂や毛利輝元、鍋島直茂など、錚々たる西日本のエリート軍団を送り込む。
いよいよ追い込まれた佐々は、どうなるか……。

 

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権力者のお寒いダジャレは暴力だ

戦国ブギウギ20160416-1
◆いつからだったのでしょう。「人たらし」と知られた人心掌握の神様みたいな秀吉が、残虐な一面を見せ始めたのは。
権力にとりつかれた者の定めなのか。低き身分から成り上がった者の限界なのか。
そりゃ身近にいる石田三成まで一緒に周囲から嫌われますわな。

 

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仏の顔も三度まで 南無阿弥陀仏は一度だけ

戦国ブギウギ20160416-2
◆佐々成政の切腹は、すなわち秀吉の冷酷な性格が表沙汰になった最初の事件かもしれません。
その前に鳥取城や三木城で極悪すぎる所業を重ねてるじゃん!
というツッコミも最もですが、それでも身内には優しかったのが秀吉の特長。
まぁ、同じく九州遠征で大ゴケした仙石秀久は、小田原遠征で復活を認められておりますので、単に好き嫌いなのかもしれませんね。自身のことを小馬鹿にしている佐々のことは嫌いだったのでしょう。

 

文武両道? いえ、私は「武」の方の前田慶次です

戦国ブギウギ20160416-3
◆前田慶次が2人いた――。
というのは荒唐無稽な話でもなく、例えば片倉小十郎や雑賀孫市などは、この名前が2代以上で使われたこともあります。
前田慶次も、「東北の関ヶ原」と呼ばれる「長谷堂合戦」で華やかな武功を挙げて、その名が知られておりますが、通常の生まれた年から数えると、このとき68歳というムチャクチャな設定になってしまいます。
が、2代目だったとしたら、若さ溢れてこの頃からまさに脂が乗る頃。てなわけで、前田慶次2人説が記されているのが下記の書籍になります。よろしければ一読を。

 

成政の熱いエピソード「槍の先の水湧き」

戦国ブギウギ20160416-4
◆前田利家と佐々成政は、北陸でのライバルでした。
「槍で地面をつついたら水が湧き出て」という逸話の真偽の程は不明ながら、富山では依然として成政人気は根強く、実際、「成政酒造株式会社(明治27年創業)」という酒蔵もあるほどです。
お酒、飲んでみたいすね……。

 

(来週へ続く)

漫画・アニィたかはし
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