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その日、歴史が動いた 島津家

「耳川の戦い」前編 島津vs大友が死闘を尽くした九州の関が原!

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だいたいどこの地方でも、節目になった戦いがあります。
東海であれば桶狭間、中国は厳島、東北では人取橋ですかね。関東は秀吉の小田原征伐まで群雄割拠状態だったので例外ですが。
今日と明日は九州の命運を分けた大きな戦の話です。

天正六年(1578年)の11月11日、耳川(みみかわ)の戦いと呼ばれる大きな戦の前哨戦がありました。

場所は現在の宮崎県中央部にあたり、当時の九州は三国志状態でした。

一つは泣く子も黙る薩摩の(鬼)島津家。
一つは長崎近辺で見事成り上がった竜造寺家。
最後の一つは、九州北部で名家として知られていた大友家です。

他の家はこのうちのどこかに守ってもらったり仕えたりして存続を図る様相で、耳川の戦いのきっかけも、宮崎県の伊東氏という小さな勢力が大友家へ助けを求めてきたことから始まっております。

キリシタンなのに肖像画は法衣の大友宗麟さん(Wikipediaより)

キリシタンなのに肖像画は法衣の大友宗麟さん(Wikipediaより)

 

「キリストの楽園を」大友宗麟

南からやってきた島津家に領地の半分を奪われてしまった伊東家は、ひとまず背後の大友家へ助けを求めます。
「取り返していただければ、アナタに領地を半分差し上げます!」という家臣になるも同然の約束つきで。
竜造寺家にも突っつかれてあちこちの領地を失っていた大友家の当主・大友宗麟は、これを好機とばかりに受け入れました。
ここだけだと一見「宗麟いい奴じゃん」なんて思えますが、彼には彼で黒い思惑がありました。
当時宗麟はキリスト教にどっぷり漬かってしまっていて、「キリスト教徒の楽園を作ろう!場所は日向がいいな!」なんてお花畑計画を実行しようとしていたのです。
そこへわざわざ取っ掛かりになりそうな土地をくれる人が出てきたのですから、これは話に乗らなきゃ損というわけです。
が、主君が「デウス万歳!」でも家臣全員がキリスト教徒というわけではありません。
そのため、このアホな出兵に嫌々参加している武将もいました。
当然士気はイマイチですし、武将同士の仲もこじれます。
これが大友軍の命取りになってしまうのでした……。

大友軍はまず取られた城を奪い返すため、周りを取り囲みます。
といってもこの高城という城は三方を崖に囲まれたところで、唯一空いていた西側は掘が設けられているという鉄壁ぶり。
そのため、遠巻きに布陣するほか方法がありませんでした。
打って出てくるのを待って攻めようというわけです。

 

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ワンピースかよ!フランキー砲ー!

しかし、敵に篭城の準備が整っていたとすれば苦戦は免れません。
そこで大友軍が引っ張り出してきたのが、当時最新の兵器・国崩し。
これはキリスト教の宣教師が持ってきていたフランキ砲というタイプの大砲です。
あまりに発射時の音がでかくて破壊力が凄まじかったことに感動した宗麟が「こいつなら敵の国丸ごとぶっ潰せるぜヒャッフー!!」とハイテンションで命名したといわれています。
とはいえ、目的語がないため家臣からは「使い方よくわからないし、高かったし、ウチの国も崩されなきゃいいけど……」なんて皮肉られていたそうですが。

宗麟の居城臼杵城跡(臼杵公園)にあるフランキ砲「国崩し」のレプリカ(Wikipediaより)

この国崩しを城めがけてぶっ放し、「篭城しても無駄だ!」ということを解らせようとしたのですが、いかんせん設置場所が低所で城は高所、しかも扱いには不慣れな新兵器がそうそう上手く当たるわけはありませんでした。
家康が大坂冬の陣でも似たようなビビラセ戦法使ってますし、着眼点としては悪くなかったんですけどねえ。残念。

そうこうしている間に城には島津の援軍がこっそり入ってしまいます。
その中には当主義久の末弟で、戦上手と知られた島津家久もいました。
家久はすぐ近くの佐土原城(さどわらじょう)に入っていたので、すぐに動くことができたのです。
そこへさらに義久が3万もの兵を率いてやってきたのですから、篭城側の士気も自ずと上がります。

とはいえ兵数はほぼ互角。しばらく両軍にらみ合いが続きます。
戦局を打ち破ったのは雨でした。
大友軍は「こんな天気の悪い日に、戦に出てくることもなかろ」と油断しきり。
が、島津軍はその裏をかいて着々と準備を進めていました。
次兄・義弘が本陣を離れて、大友軍の合間を縫うように兵を伏せていたのです。

そして雨も上がった11月11日、島津軍は大友軍の布陣を絶つように奇襲を仕掛け、さらに篭城していた兵とも連携し圧勝を収めたのでした。
このとき既に大友軍の戦死者は数百を超えていましたが、この戦いはこれだけでは終わりません。
ということで、ちっとも出てこなかった「耳川」の話はまた明日(記事:神に祈ってる場合じゃないYO!鬼の島津軍の激勝、耳川の戦い後編【その日、歴史が動いた】

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長月 七紀・記

 

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