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戦国昔話『三成のかき』死の直前に差し出され【戦国浮世絵ANARCHY8】

昔々あるところに石田三成(いしだみつなり)という偉いお侍さんがおりました。

三成さんは豊臣秀吉さんに三杯のお茶を出して気に入られ、家臣になりました。お茶の話は、後世の作り話だと思われますが、それで進めるのです。

家臣になって以来、秀吉さんの側をずっと離れず働き続けた三成さん。

計算がとても得意で、秀吉さんから非常に重宝されます。

なぜなら当時の織田家は、戦場に出て駆けずり回るような戦い方ではなく、大量の兵士と物資で敵を囲み、自軍の被害を最小限に抑える方法が好まれたからです。

なんだか急に難しい書き方になってしまいましたが、自分のゴハンを用意して、敵には食べさせないやり方です。

その算段がとっても上手だった三成さん。

中国大返しで京都へ戻るときも。

山崎の戦い明智光秀さんを破るときも。

清州会議で領地の配分を決めるときも。

賤ヶ岳の戦い小牧・長久手の戦いという、長い長~い戦いで敵と対峙するときも。

秀吉さんの軍隊が心置きなく戦えたのは、兵站という難しい役割を陰でこなす三成さんがいたからこそです。

だからこそ三成さんは、みんなから感謝され……ずに嫌われていました。

 


どうしてわかってくれないの?

仲間内での三成さんの評判は最悪でした。

もともとが偉い秀吉さんの側で「あーだこーだ」言っているように思われがちなお仕事です。

本当はとても大変なことなのに加藤清正さんや福島正則さんなどから目の敵にされ、ついには文禄・慶長の役をキッカケに絶交されてしまいました。

豊臣の家を守りたい気持ちは一緒のはず!

なのに、どうして?

どうしてわかってくれないの?

そう素直に心を打ち明けられたら、秀吉さんを支えてきた仲間たちと仲直りして、徳川家康さんと戦えたかもしれません。

でも、それはできませんでした。

その前に上杉さんと家康さんの間で喧嘩が始まってしまい、関ヶ原の戦いという日本史上最大の合戦へと発展してしまったからです。

 


「こいつが悪いやつ、三成だよ」

秀吉さんの子供である豊臣秀頼さんを守りたい――。

三成さんはその一心で味方に声をかけ、関ヶ原で東軍と対決しました。

どっちも数万という大軍です。

戦いは、長く続くだろう……と思われていましたが、三成さんは、小早川秀秋さんや脇坂安治さん、小川祐忠さんたちに裏切られてしまいます。

秀秋さんは、最初から裏切るかな?

とも考えていた三成さんですので想定の範囲内だったのですが、他の4人の武将たちが計算外でした。

あっという間の敗北です。

戦場からいったんは逃げることのできた三成さんも間もなく家康さんに捕まり、死刑が決まりました。

でも、すぐには殺されません。

「こいつが悪いやつ、三成だよ」

そう言って京都の街中を引き回しにされ、見せ物とされたのです。
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