和田義盛が自邸に戻ると、一族はすでに臨戦体制。
大江広元のもとへ向かっている義直の軍勢をすぐに呼び戻せと義盛が訴えます。
鎌倉殿に「戦を起こさぬ」と誓った。
義盛が苦々しくそう吐き出すと、息子の朝比奈義秀は、油断しているからかえってよいなどと言い出します。
それでは小四郎を騙したことになると逡巡するしかない義盛。同時に、いま義時を討たねば、反撃が来ることは容易に想像できます。
すでに矢は放たれた! 北条を信じるな!
息子たちの言葉に義盛もついに決意するしかありません。
「我らの敵はあくまで北条! 鎌倉殿に指一本でも触れたら、ただじゃおかねえぞ!」
それだけは肝に銘じておけと周囲や自分に言い聞かせる義盛です。
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後世、広まった武士の倫理を先じた者に、悲運の運命が待ち受ける、この『鎌倉殿の13人』。
まさかのまさか、和田義盛は「忠」の魁となりました。
あくまで奸臣を除くためだという理屈は、来年の大河主人公である徳川家康も【関ヶ原の戦い】の際にかざします。
和田の乱が始まる
源実朝と和田義盛をまじえて話し合いを済ませ、ついに戦は避けられた――そう安堵していたであろう北条義時は、トウから急な報告を聞かされます。
和田の館に集っていた軍勢がこちらに向かっている。
瞬間、怒りで我を抑えられなくなったのでしょう。義時は、無言で双六の盤面をひっくり返します。
もはや戦は避けられず、腹を括るしかない。
視聴者をも緊張感に包む中、長澤まさみさんのナレーションが入ります。
頼朝が築いた都市、
鎌倉が戦火に包まれようとしている。
北条転覆を狙う最強の一族
和田の乱が始まる――。
場面は和田の館へ。
義盛が、小四郎とは幼い頃からの友だろと三浦義村に語りかけています。
何が言いたいのか?
義村がそう聞き返すと、義盛は答えます。
「裏切るんなら早いうちに裏切って欲しい」
ここぞという時に裏切られたらたまったもんじゃない。義村が通じていることはさすがに見抜いています。
では、なぜ義村のことを斬らないのか。そう困惑していると、義盛が笑い飛ばします。
「俺たちだってイトコ同士じゃねえか! そのかわり戦では容赦しねえぞ!」
これは決定的にまずかった。
相手は義村です。情けをかけられたら、恩を感じるより、最低最悪の形で返してもおかしくはない。
義盛から情けをかけられるなんて、この男が納得できるかどうか。腹の底は何が渦巻いているのか。
義村は早速、
「お許しが出た。北条につく」
と、和田邸を後にしようとすると、弟の三浦胤義は困惑しています。起請文をどうするのか。
解決手段は吐き出すことでした。原始的です。
何の意味があるのか?と疑念を感じつつも、やらないよりはマシだと言い合っている。
吐こうとしても全く出てこず焦る長沼宗政に対しては、八田知家が俺の指を使えと言い出します。
噛まれるおそれがあるのに、優しいといえば優しいけれど、ちょっとおかしい。なんて味のある人なんだ。
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ともかく無事に吐き出せたようです。
いいんじゃないですか。義時も起請文を破って比奈と離縁していましたしね。
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義盛の狙いは義時だ
義時が甲冑を身につけています。
和田邸から戻ってきたのでしょう。三浦義村が、三カ所が和田勢に狙われていると説明します。
・大江広元邸
・北条義時邸
・御所
そして、向こうの狙いは義時だと言い切りました。
俺を信じるか、信じないか。信じていればお前は死なない。こんな状況でも義時相手に己を売りつける義村です。
義時もすぐさま判断。
三浦は南。時房は北。そして泰時に西を固めさせると指示を出しています。その上で源実朝は八幡宮別当房に移す――。
「鎌倉の行く末はこの一戦にかかっている」
そう言い切る義時に動揺は見られません。実朝を間に入れて、一応の和議は成立していましたが、すでに対応策は考え抜いていたのでしょう。配置もすぐに決まります。
その上で、のえに選ばせます。
鎌倉殿を移すために御所へ行き、八幡宮へ向かうか。
あるいは二階堂邸に戻るか。
離れ離れは嫌!と、のえは訴えますが、その方がかなり危険だと指摘されると「二階堂に戻る」と即座に考えを変える。
はなからそのつもりで、ポーズをつけただけか。あるいは事情を察知して安全な方を選んだか。
ここまで自分が可愛いとなると、いっそ清々しい。それがのえです。
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でも、それが可愛らしく見えたら、腹黒くても仕方ないですかね。
義時が甘い気持ちはわかります。
俺は生きて帰る お前は残ってくれ
そのころ巴御前は、まだお役に立てると義盛に訴えていました。
薙刀を振るうつもりなのでしょう。
戦で死ねるならば本望と言い切る巴に、義盛はこう言います。
「それは俺が死んだ時に言え。俺は生きて帰る。その時にお前がいなかったら俺、困っちまうよ」
愛すればこそ、巴を巻き込みたくない。そんな義盛の思い。
かつて木曽義仲も巴を逃そうとしました。
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こんなに愛されるのは幸せなのか。二度もそんな相手と別れるから悲しいのか。どちらもある気がします。
愛する人に別れを告げ、義盛は宣言します。
「目指すは将軍御所! 奸賊・北条義時に鎌倉殿を奪われてはならん!」
今回の義盛はかなり賢くなっていて、かつ、語彙力も格段にあがっていると思えます。
彼も学び成長していました。
どうしてこのような人物が破滅せねばならないのか。
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ともかくも、キーパーソンは源実朝です。
和田勢にせよ、義時にせよ、その身柄を確保することが第一ですが、御所にその姿はありません。
これには知家ですら困惑し、てっきり義時が連れて行ったのかと慌てています。
と、そこへ危機一髪で襲撃をかわした大江広元がやってきました。
彼は、政所に行って、頼朝以来の文書記録を八幡宮に移すと言い出します。なにより文書管理を大事に考えるとは、これぞ文士の鑑でしょう。
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ちなみに明治維新のあと、新政府から派遣された役人は、藩政時代の記録をどんどん破棄してしまったこともあったんですね。
広元の心がけこそ手本としたいところです。
ふて寝する泰時の頭に水をバシャッ!
御所では、実衣が出たくないとごねていました。
和田が攻めてくる前に八幡宮へ移ると義時に言われ、姉の北条政子がチクリと嫌味。
御所へ攻めてくるまでに和田を追い込んだ。
和田を攻める口実が欲しかったのだと見抜いています。
ようやく見つかった実朝に対しては、義時が、西門から出て八幡宮を目指すように告げます。
なぜ戦になってしまったのか?愕然としている実朝。
義時と義盛と顔を合わせ、話し合いで事は済んだと思っていたのでしょう。
義盛に謀られた、義時がシレッと返しています。
「なぜ義盛は……無念だ……」
苦しげにこぼす実朝に、阿野時元が出立を促します。
そのころ北条泰時邸では、赤ら顔の泰時が横になっていました。
「太郎! 鎌倉殿に一大事ですよ、起きて!」
そう夫に訴えるのは、妻の初。
彼女は夫のことを“太郎”と呼んでいますが、この言い方は2022年視聴者との信頼もあるのではないでしょうか。
妻を過剰なまでにへりくだらせるとなると、考証を無視して「おまえさま」なんて言わせているかもしれません。
和田が御所を襲うと言われても、不貞腐れている泰時。
平盛綱が苛立ったように叩いても動きません。西門を守れと義時が言っているというのに、これはまずい。
西門を泰時に守らせると指示が出た時、北条時房は「きっと喜ぶ」と返していましたが、戦うつもりはないと頑固になっている。これでは駄目だと盛綱が呆れていると、初が立ち上がって何処かへ。
なんでもいつも酒を飲むと潰れるんですって。
隣にいた弟の北条朝時は、真面目一徹の兄にこんな一面があるのかと驚いています。
「私にだって悩みくらいある。なぜ父は私に指揮を……」
相変わらずウジウジしている泰時に対し、弟の朝時がムッとした表情で語気を荒らげます。
父親が信じているからに決まっているだろう。期待されて生きるのがそんなに辛いのか。誰からも期待されない奴だっているんだ。
「そいつの悲しみなんか考えたことねえだろ!」
と、こじらせ包み隠さず全開放する朝時。
酒色というのは古来から並列されてきた「堕落の象徴」ですが、兄(泰時)は酒、弟(朝時)は色に逃げたことになりますね。
これじゃあ義時が育児に失敗したみたいだ――まぁ、ある意味そうなんですけどね。
しかし、彼女の登場で事態は一変します。
初が戻ってきて、桶いっぱいの水を泰時の頭にぶっかけました。
彼女は登場するたびに魅力が増していて、むっとした顔、かかる髪がなんとも綺麗で、呆れた時の顔が非常にチャーミングですね。
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朝時からすれば「こんな良妻までいるのにずるい!」と苛立ってしまうかもしれない。
義盛と義村が対峙
過去に襲撃された記憶でも蘇ってきたのか。実衣が「今度こそ死ぬ!」と嫌な覚悟を決めています。
知家が実朝を連れ出す横でも「こんどこそ死ぬ!」と繰り返されます。ったく、なんなんだよ。
そうこうしている内に門が破られ、義盛率いる和田勢が南門から御所へ突入。
待ち受ける三浦義村と対峙しました。
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この場面はなかなか面白い。
日本には中国大陸由来のものがたくさんあるわけですが、攻城兵器はそうでもありません。
お隣・中国では、『三国志』ファンならピンとくる「衝車(しょうしゃ)」や投石車がありましたが、城壁がそこまで堅牢ではない日本では発達してきませんでした。
「城」というと、現代人は天守閣を思い浮かべることでしょう。
昭和時代の映像作品は、時代考証を抜きにして、城跡に犬山城を模した天守閣をやたらと建てていたこともあり、観光資源にはなる一方、歴史理解の妨げになっていました。
そういうイメージが漠然がどうしても頭にあるため、鎌倉時代の城跡や古戦場を知ると、なんだか原始的でギャップがあるかもしれません。
義盛と義村の戦いも、原始的な戦場で展開されます。
兵器も洗練されない生々しさがあるし、殺陣も激しい。
山本耕史さんは流麗な殺陣を演じさせたら日本でもトップクラスだと思いますが、そんな彼が敢えて粗い戦い方をすることに意義を感じます。
今回のこの場面は泥臭さを出しつつ、いろいろ挑戦しています。
屋根の上から矢を放ち、転落する。
火がついて燃えて、水溜まりに転がり込む。
『麒麟がくる』でも序盤のうちに兵士が燃えていて、これはよい作品だと思えました。別に人間が燃える様が際立って好きというわけではありません。
『鎌倉殿の13人』は、高度なアクションが出てきます。
こういうことは負傷させないだけの丁寧な作りをしていなければなかなかできません。そこまで気配りしているとわかって、信じられるのです。
髑髏を取り戻す大江広元
北条方は、実朝がまだ御所にいることにして、敵を誘い出す戦術です。
泰時が敵の前に立ち塞がり、声を張り上げる
「鎌倉殿に指一本触れさせるな!」
かくして戦は深夜まで続きます。
その間に八幡宮へ避難した一行。
実衣は御所に火の手があがったといい、燃え尽きてしまうのかと不安がっています。
三善康信は、御台所である千世に向かって「ここにいれば大丈夫だ」と声をかけています。
政子はまたも義時に怒りを見せます。
結局はあなたの思い通りだとチクリ。義時は、戦は大義名分がある方が勝ちだと淡々と答えます。
勝てるのか?と聞かれると、和田についた御家人は皆離れたと義時。
戦っているのは和田義盛の身内ばかりだから勝てる――そう核心をこめて言います。
今回の合戦はなかなか単純な構造と言えます。
戦場が鎌倉だけに、両者が地形を把握している市街地戦ですし、相手の戦い方も理解しているでしょう。兵糧や兵器も大差はない。
となると勝敗は“数”で決まります。
例えば、これが【承久の乱】となると、諸要素で鎌倉が上回っているのですが、地の利は朝廷にありました。
特に京都を流れる川が厄介。
ドラマでは川をどう渡るかに注目しておくと、楽しみ方が広がりそうです。
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実朝がハッとしています。
康信がそれに気付いて「いかがなさいました?」と尋ねると、何でもないと否定しています。
言ったほうがいいと政子が促すと、どうやら政子から預かった髑髏を忘れてきたとか。
あれはもういいと政子が返答するものの、全てはあれから始まった、源氏の証と実朝が悲壮な表情を浮かべ、取りに戻ると言い出します。
すると、文書を取りに行っていた広元がこうきた。
「そのお役目は私が‘」
危険過ぎると政子が止めても、御所の中は知っている、近道を通ればあっという間だと返答します。
広元の覚悟、確信を無駄にはしたくないと思ったのでしょうか。政子が、このことは生涯忘れないと感謝の念を伝えます。
「お任せを」
美酒のように御家人を酔わせる政子には、普段、冷静そのものの広元すら感服するしかないようです。
ここから先、広元の決死行が始まります。
と思いきやこれが結構強い!
せいぜい筆か扇しか持っていない文士じゃなかったのかと戸惑います。わからん、なぜ大江広元はこんなにも強いのか。
とはいえ、演じているのが栗原英雄さんだと思えばどうでもよくなってきますね。渋すぎます。
一歩遅れて入ってきた義盛たちは、鎌倉殿の不在に気づいて「しまった!」と慌てるしかありません。
ウリンは大鎌倉殿だ
北条泰時が酒を飲みつつ、敵が退却したことを確認。
苛立ちを隠せず、憤慨します。
畠山の時といい、なぜ御家人同士が戦わねばならぬのか。
弟の北条朝時が、最後の戦いだと励ますと、平盛綱も太郎の勇猛果敢な戦いぶりを誉めています。なんなら酔っていた方がいいのかもしれないと語っていると、泰時は倒れて寝てしまいます。
当時の酒は今より度数が低く、しかも甘い。この程度で倒れる泰時は飲んではいけないほどの弱さです。
朝が来ました。
和田勢は由比ヶ浜まで撤退し、体制を立て直していました。
今ではビーチリゾートの印象が強い鎌倉の浜辺。
そんな印象がついたのは海水浴という概念が西洋から導入された明治以降で、それ以前はむしろ古戦場です。大量の人骨が発掘されてきました。
大河によって明かされる、本当は怖かった鎌倉。なんだか気分が悪くなるから絶対に行きたくないという意見も耳に入りますわな。
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義盛は、巴の前で今後の見通しを語っています。
ウリンは八幡宮にいる。相模の連中もくる。北条三浦を蹴散らしてやる。
だから、そう心配そうな顔をするなと声をかけると、そういう顔だと巴が返す。
義盛は、北条に代わって執権になる、なんならいっそのこと鎌倉殿になっちまうか、そしたらお前は御台所だと言い出しました。
しかし、義盛が鎌倉殿になった場合、ウリンはどうなるのか。
鎌倉殿の上、大鎌倉殿だと言い出します。
義盛は、何も考えていないようで、重要かもしれません。
義時は鎌倉殿という権威を傀儡化することで権力を握ろうとする。大鎌倉殿なんて発想にはならない。
そして鎌倉殿の上には別の権力がある。
朝廷です。
鎌倉殿が自分の権力に疑念を感じたら、頼れる力が西にはあります。
こうして由比ヶ浜で一息つく義盛に対し、義時は己の権力掌握に余念がない。
和田に加勢するためやってきた、西相模の御家人、曽我、中村、二宮、河村。
彼らが和田軍に加勢することがないよう、「鎌倉殿の御教書が欲しい」と実朝に訴えます。
「和田はどうしているのか?」
実朝がそう尋ねると、由比ヶ浜で軍を立て直していて、もしも加勢が加われば不利になってしまう、だからこそ鎌倉殿の花押が必要だと義時が迫ります。
すると、三善康信がおずおずと懸念を表明し始めます。
もしも花押を入れた御教書を出してしまえば、北条と和田の争いではなく、鎌倉殿と和田の争いになってしまうのではないか?
義時の狙いはそこでしょう。だからこそ、実朝に一層強く迫ります。
「和田は御所を攻めたのです。これを謀反と言わずして何というか」
それでも御教書を出せぬと訴える実朝に対し、義時は心理的な揺さぶりで応じます。
西相模の御家人たちが和田に加勢すれば、さらに戦は大きくなってしまう。敵の数が増えればそれだけ死者も増える。鎌倉は火の海となるけれど、それでよいのか。
「それを止めることができるのは、鎌倉殿、あなただけなのです」
義時だけでなく、さらには広元も参加して、協力を訴え、追い詰められてゆく実朝。さてどうなるのか……。
民家を壊して板を盾にせよ
泰時が盛綱から水をかけられ、二日目の出陣――相手の和田勢は矢をともかく放ってきます。
弓術は当時の武士のシンボル。
強者揃いの和田軍、もってこいの展開なのでしょう。
一方、泰時らは、盾を構えジリジリと漸進するしかありません。
と、ここで弟の朝時が、矢に当たって負傷したフリをして、軍列から離れます。何処へ向かうのか。
義盛は、西相模の援軍が寝返ったと義直から聞き愕然とするしかありません。
鎌倉殿の命令だと言われても、北条の策に決まっていると義盛。
力攻めしてウリンを奪い返すのみだと言い切る。
泰時は段葛(だんかずら・鶴岡八幡宮の参道)を越えたい。といっても無闇矢鱈と突撃しては、和田軍の矢で狙い撃ちにされてしまう。
と、ここで泰時は民家を壊し、塀や板を集めるように言い出します。
隣にいた平盛綱はギョッとしています。民に迷惑をかけるとは泰時らしくない。しかし……。
「仕方ないだろう。これは戦だ」
そう割り切ります。かくして作戦決行!
「あれはなんだ?」
敵が驚いています。皆で頭上に板を担ぎ、盾としながら進んでいます。
「段葛を越えたら一気に突き進むぞ!」
そして、ジリジリと敵を圧してゆくのです。
泰時は【承久の乱】で見事な指揮をしますが、その前振りのように思える展開です。
決断力があり、他の者を励ますことができる。
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理想的な将であり、その器は父を超えるかもしれません。こういうできる人物ぶりを坂口健太郎さんは当然のようにこなしていて、素晴らしい。
我こそは鎌倉随一の忠臣じゃ!
和田勢を追い詰めた。我が方は勝利は目前だ。
大江広元の報告を聞いた義時は、ふと何かを考え、鎌倉殿の陣頭に立ってもらうことを提案します。
政子が理由を尋ねると、直々に声を掛ければ和田も降参すると狙いを語ります。
実衣が反対しても、私の言葉なら聞くと実朝は前向きな姿勢です。
流れ矢に当たったらどうするつもりか?と、なおも実衣がごねると、政子はキッパリ!
「武家の棟梁が流れ矢を怖がってどうするのです。戦をその目で見てらっしゃい!」
姉上は口を挟むなという実衣に対し、乳母は控えていろと返します。
勇気を得た実朝は、義時に頼みます。
「義盛は必ず私が説き伏せてみせる。命だけは取らぬと約束してくれ」
そして華麗な甲冑に身を包み、義盛の前へ。
矢を構えるよう命じていた義盛は唖然としています。
「鎌倉殿!」
「義盛! 勝敗は決した。これ以上の争いは無用である。おとなしく降参せよ!」
「俺は……俺はウリンが憎くてこんなことをやったんじゃねえんだ!」
「わかっている」
「鎌倉殿!」
「義盛、お前に罪はない。これからも私に力を貸してくれ。私にはお前が要るのだ!」
そう訴えられ、泣き出す義盛。
「もったいのうございます! そのお言葉を着方だけで満足です! みんなここまでじゃ。聞いたか。これほどまでに鎌倉殿心が通じああった御家人が他にいたか? 我こそは、鎌倉随一の忠臣じゃ! みんな胸を張れ!」
義盛の感極まった言葉が響く。
と、その時でした。
義時が目配せすると、それに応じた義村が矢を一斉に放たせるのです。
利で結びついた二人は、忠の象徴ともなった義盛を容赦なく殺す。
義盛以下、和田一族に続々と突き刺さる矢。
言葉を失くす実朝。
「お分かりか! これが鎌倉殿に取り入ろうとするものの末路にござる!」
忠などない義時がそう宣言すると、義村たちが和田勢に襲いかかってゆきます。
忠臣の死に涙するしかない実朝。
泰時は、ここで父のあまりに酷い策に気づき、思わず睨み返してしまいます。
泰時の目には八重の非難も込められているような気がする。あなたはこんな人じゃなかった、こんな人だったら愛さない! 八重のそんな声も聞こえてきそうです。
あるいは上総広常の声も混ざっているかもしれない。
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矢が刺さり、目を開けたまま屍となった義盛。
それに背を向け、義時が悠然と歩き去ってゆきます。
顔が一瞬だけ苦痛に歪みます。目には涙もうっすらと……ほんの少し、八重を愛し、広常を慕っていたころの顔に戻ったような瞬間。
義時は自分の意志でこんなことをしているのでしょうか?
それとも天の声に操られているとか?
あまりに恐ろしい運命です。
忠臣和田義盛の妻・巴なるぞ!
義盛の帰りを待つ巴のもとに、義盛の息子・朝比奈義秀がやってきます。
「すぐにお逃げくだされ……」
義盛は、言い残していました。
「もし俺に何かあった時は、お前は鎌倉を離れろ」
生き延びるんだ、あの時のように生き延びろ――その言葉を胸に、義盛の直垂の上に甲冑をつけ、馬に跨った巴の姿があります。
「我こそは忠臣和田義盛の妻、巴なるぞ!」
そう名乗ると、敵を斬り捨て、人馬一体となった巴は消えてゆきます。
義盛の遺骸を探しにゆくのか、菩提を弔いにゆくのか。はたまた駆けて駆けて、天馬となって空に飲まれてしまいそうでもある。何もかもが美しい人だった。
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かくして二日間にわたり繰り広げられた和田合戦は終結しました。
知家が戦の後始末をしながら、惨状を目にしています。
戦死者の妻が泣いていて、屍がいくつも並ぶ。こうした生々しい遺体映像は近年の大河では珍しいと思います。
敵方の死者は234で、生捕りが27。
対する味方は死者50に、手負いが1000。
討ち取った敵は片瀬川に晒したと報告する義時です。
実朝は義時に、政(まつりごと)はかくも多くの骸を必要とするのかと訴えます。
実朝が生まれる前から多くの者が死に、その犠牲の上に鎌倉はある。
義時はさらに
「人を束ねていくのにもっとも大事なものは、力にございます」
と結論づけます。
あの歩き巫女がその様子をジッと目にしている。
「力?」
実朝の疑問に対し、義時が説明を続けます。
力を持つ者を人は恐れる。恐れることでまとまる。あなたのお父上に教わったことだと言い切る。
「私は此度のことで考えを改めた。これより政のことはよくよく相談していくつもりだ」
そう言われ、義時はその通りだと言いたげです。そのために宿老はいるのだと。
「そうではない。万事、西のお方の考えを伺っていく」
「上皇様にですか」
上皇様に頼るのかと愕然とする義時。
「心を許せるものは、この鎌倉におらぬ」
義時はまた頼朝を持ち出し、朝廷に近づきすぎることを警戒していたと言い出します。
それても実朝は、父上や兄上のように強くないから、強い人の力を借りると言うのです。
「そうすれば鎌倉で血が流れることもなくなる。違うか? 小四郎、下がってよい」
実朝はそうして義時から遠ざかろうとするのでした。
そして実朝は朝廷へなびく
義時の前に、泰時、盛綱、そして朝時がいます。
義時は言いたいことがあれば申せと話しながら、勝手に戻っている朝時に「許した覚えはない」と冷たく言い放ちます。
と、ここで泰時が、和田合戦で板を盾とするアイデアを出したのは次郎であり、役に立つ男だと言葉を添えます。
「今の話、まことか」
「まことにございます」
義時の問いかけに応じ、即答する平盛綱。
「これよりまた私に仕えよ」
「ありがとうございます!」
この一件で、とりあえず朝時は許されました。しかし、朝時は知っている。その策は泰時のものだと。
「兄上……」
「役に立つ男になってくれ」
あっさりと返す泰時はいい人ではありますが、これではますます朝時の劣等感が高まり、こじらせてしまう危険性もありそうです。
「侍所別当になるそうですね」
政子がそう語るように、義時は政所も兼任することになりました。
これでもう向かうものはないと嬉しそうなのえ。時房も兄上はすごいと感動しています。
「あなたの望んでいた通りになったのではないですか、小四郎」
政子にそう言われ義時は、自嘲気味に笑います。
望みがかなったとはとんでもない。実朝は頼家どころか頼朝を超える強さがあるとのこと。
実朝はこう決意を固めていました。
「安寧の世を作る。父にも兄にもなしえなかったこと 戦はもういい。私の手で新しい鎌倉を作る」
そう誓う実朝を、千世が見守っています。
そこで関東に大地震が勃発。
マグニチュードは不明ながら「山崩れ、地避け、舎屋が破潰した」と理科年表にも表記される揺れで、建保元年5月21日、和田義盛が討死してから18日目に発生しました。
その後、実朝はこんな歌を朝廷へ送ります。
山はさけ
海はあせなむ
世なりとも
君にふた心
わがあらめやも
【意訳】山が裂け、海が干上がってしまうようなことがあろうと、私は君に真心をただ捧げます。
この歌を後鳥羽院が面白そうに披露しています。
「ちぎれるほどに尻尾を振っている」と笑みを含んだ声で言うのは藤原兼子。
京都にしてみれば、鎌倉は野犬の群れに過ぎないのでしょう。
慈円は北条が酷い同士討ちをしたあとに大地震が起きたと指摘し、天はお怒りであると分析します。
鎌倉の安寧は、まだ先のようであると。
こうも血を流しても、鎌倉はまだまだ形を為さないのでしょうか。
MVP:和田義盛と巴
治める土地でも、財産でも、地位でもなく、忠にここまで価値を見出した坂東武者は、和田義盛が最初かもしれない。
思えば源頼朝は、これからは「忠義」を大事にすると言いました。
源頼家は梶原景時に怒っています。
景時は結城朝光の引いた「忠臣は二君に仕えず」を責め立てておきながら、後鳥羽院に仕えようとした。
その梶原景時ならば、漢籍を読みこなし、「忠臣」がどういうものかくらい説明できたでしょう。概念は頭に入っている。
けれども「忠臣」という言葉に血を通わせ、鎌倉殿とこうも通じあい、響き合えたのは義盛が最初の気がします。
和田義盛もまた、武士道の一歩を刻んだ人物です。
忠臣の流した血は「碧血」と呼ばれます。
萇弘(ちょうこう)は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして、化して碧と為る。『荘子』「外物篇」
【意訳】忠臣であった萇弘は蜀で死んだ。その血は三年後、碧玉に変わった。
いま、碧血が流れる瞬間を見た気がします。
和田義盛は紛れもない忠臣でした。
忠臣が血を流したって、それが碧玉になるわけがない。そんなことは伝説に過ぎません。
けれども、人間はそうあって欲しいと願ってきました。
実物はなくとも、人々の願いの中で、流した血は碧玉となる。そういう思いがあればこそ、碧血という言葉は残ったのです。
総評
どう考えても酷い結末となる和田合戦。
しかし、義盛が成長していたこともあり、きれいな散り方に思えました。
作中でもあまり賢くない部類に入っていたはずが、あの策士の義村を上回るようなところまでみせる。
難しい言葉もテキパキと語り引き締めながら、大事な人には優しく熱く語りかける。
どうにも幼稚で子供っぽかったはずが、最終話で急激に成長したように思えます。大きくなり過ぎたからこそ、義時は卑劣な手を使うしかなかったとも思える。
巴も立派です。
生きて愛することを彼女は楽しんだ。悲しい別れであるという気持ちよりも、魅力が伝わってくる去り方でした。
私の中で巴は、あくまで義仲の横にいる人物という印象が強かったのですが、それが綺麗に上書きされました。実に素晴らしい女性です。
そんな中、主役である義時は完全に黒くなった。
しかもそれをやりすぎて実朝が上皇を頼るという想定外の選択をした。
策士が策に溺れている。あれだけ汚い手を使ったくせに目標を達成できない。そう自虐的に笑ってしまう。
こうも主役にいいところがないというのは、すごいことだと思えます。
愛妻であるのえも、危険だと察知すると実家に戻ると言い切ってしまう。それでいて出世するとホクホク顔だ。
そこには義盛と巴のような愛はなく、ただただ、利害関係しかない。時政とりくの間にだって愛はあったのに。
息子二人も父に心を閉ざしているわ。何もかも得たようで、全てを失ったような義時。そばに残ったものといえば、これまた策士の義村だけ。
意義のある死もあれば、無駄な生もある。
堕ち続ける義時に救いはあるのか?と考えてもしまうけど、なければないでよいと思える――そんな秀逸な展開がそこにあります。
ハル王子とヘンリー5世
このドラマの実朝と義盛は、シェイクスピア『ヘンリー四世』のハル王子とフォルスタッフをイメージしているとか。
ただ、このハル王子は即位してヘンリー5世となる前、フォルスタッフを冷酷に突き放します。
そしてヘンリー5世は百年戦争で滅法強いけれども、残酷です。
ハル王子が実朝や木簡を数えていたころの義時ならば、ヘンリー5世は現在の義時のようにも思えます。
BBC『ホロウ・クラウン』ではトム・ヒドルストンが演じております。
小栗旬さんの変貌は、あのトムヒの演技を思わせて見事です。
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クランクアップおめでとうございます
まだ10月なのに、クランクアップをされたようです。
本作はかなり余裕がありましたね。例年よりクランクアップが早いのは、脚本の仕上がりも早かったからでしょう。
小栗旬さんはじめ、出演者の皆さんもやつれていない。
現場が過酷なのか? 大河ドラマは終盤になると役者さんの顔色が悪化したり、荒んでいることも時折あります。
しかし今年はみなさん目に力があって、余力があるようで何よりです。
要因としては、三谷さんの脚本の仕上がりに加え、小栗さんが今回の大河にハラスメント講習を導入したこともあるのでは?
彼は周囲にともかく気を使うと聞こえてきます。
マスクにメッセージを書くのもその一つですよね。
そういうリスペクトがあって、余裕があるから、存分に力が発揮できていると思える。
アクションでも難易度が高く、危険なものがある。それでもこなせるのは信頼と自信があるからでしょう。
撮影時の無茶振りを自慢する悪習が残る日本の芸能界――そんな悪習を断ち切る一歩となるのだとすれば、本作は実に意義があります。
みなさまお疲れ様でした。
碧血
碧血という言葉が日本で一番有名なのは、箱館戦争慰霊碑である「碧血碑」でしょう。
ここまで幕府に忠義を尽くして死んでいったものは、まさしく碧血を流したという意味です。
箱館戦争といえば、そういう忠誠心が重要なのです。
それをぶち壊しにしたように新政府に仕えた榎本武揚は、福沢諭吉はじめ旧幕臣たちから面汚し扱いをされました。
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お前みたいに無駄に生きるくらいなら、あの函館山で碧血を流した方がマシじゃい!
そんな認識であり、そうした気持ちは、実は今も日本人に広がっていると思えます。
だって、函館のシンボルとして扱われる人物って、榎本武揚より断然、土方歳三ですよね。
榎本は本当に素晴らしい才能の持ち主ではあるのですが、人気は土方に到底及びません。
なぜか?
この不思議な現象に「忠」が関係しているように思えます。
武士の中で「忠」が重視された結晶が、函館の土方にあるのではないか。
土方の「忠」は徳川慶喜や松平容保ではなく、近藤勇に捧げられていたとされます。
近藤の死後、どうすれば己の命で報いることができるのかと口にしていた。そんな近藤への「忠」が碧血になったと思えます。
そういう意味では、山本耕史さんが三谷大河で演じているのに、土方歳三と三浦義村がまるで正反対にも思えてきます。
もしも近藤への「忠」がなければ、そんな土方は単なるコスプレイヤーであり、中身がない、魂がない存在だと思います。
何の話か?って、『青天を衝け』のことです。
あの土方はセリフで近藤への思いを語ることすらない。
実際に面識があったかどうかも曖昧な渋沢栄一への目配せばかり。あの土方が流した血は、碧玉にはならないでしょう。
そういう魂が入っていない人物像を大河で見たくはありません。
天譴論
慈円が最後の場面で「天の怒りをかっている」と告げていました。
これは中々鋭い指摘ではないでしょうか。
旧約聖書にはソドムとゴモラという都市が出てきます。住民が堕落したため、神の裁きによって滅びたとされます。
このようにキリスト教では神は堕落した民に直接的に罰を与えます。
東洋になると、ワンクッション入ります。
君子とは、天意を受けて民を治める。天変地異はその意に逆らった君子を罰するために起きる。
これを【天譴論】と言います。
渋沢栄一は関東大震災の際、天譴論を持ち出しつつ、「東京の民が不倫みたいなゲス恋愛をするから悪い」と主張しましたが、本来の用途を捻じ曲げたものです。
キリスト教の知識でもかじりつつ、取り入れたのでしょう。
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しかし今年は本来の【天譴論】が出てきた。本当によかった。
華流や韓流ドラマの名君は「自分の行いが悪いからこんなことになるのか?」と悩む状況がしばしばあります。
そういう思想が発揮されているようで、あの場面は日本らしいおかしさがあります。
天の声を聞き、意を受けた君主が京都にしかいないのであれば、鎌倉を襲った流血の惨事は天皇のせいということになる。
そもそも京都には上皇と天皇がいる。
その上皇は「鎌倉ざまあみろ」と面白がっているわけで、何がなにやらわかりません。
頼朝の時点で、彼は天の意を受けて動いていると思えた。
そして義時は、その頼朝の後継者は自分だと思っていながら、実朝を傀儡にしている。
天意を聞くのは誰なのか?
京都も、鎌倉も、曖昧な理解のまま、歴史は流れてゆきます。
『SEA SIDE WADA BLUES』
サザンオールスターズの『SEA SIDE WADA BLUES』という曲をご存知でしょうか?
歌詞はこちら(→link)をご覧いただくとして、私も義盛に思いを馳せて作詞してしまいました。
御所に灯りがともるころ
晒し首が並ぶ片瀬川
やるせない大河の展開
いつもと同じ小四郎のせいだよ
由比ヶ浜に徒花と消えたのは
義盛という名の随一の忠臣
和田が滅んだ 嗚呼 族滅です
鶴岡八幡宮あるいは由比ヶ浜などを訪問する機会がありましたら、この曲、いかがでしょう?
ちなみに『鎌倉殿の13人』ファンにおすすめの細川重男先生『論考日本中世史: 武士たちの行動・武士たちの思想』(→amazon)には、もっと秀逸な鎌倉時代をテーマにした替え歌が大量に掲載されています。
替え歌で現実逃避は案外よい手かもしれません。
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【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト





















