元亀3年10月(1572年)、レーシックお愛の前夫が戦に行くようです。
説明セリフでわかりやすい死亡フラグを立てているのに、現代人が出張に行く程度の気軽さにしか見えない。
あまりにも緩々としていて、緊迫感が欠如している。
見送る側が武運を祈る『鬼滅の刃』の方が、よほど出撃時のお約束を踏まえていますよね……と思ったら、案の定、前夫は討ち死にしました。
「お慕いする人が逝ってしまった……私の心もまた死んだ」
いかにも現代的な回想ですね。
『麒麟がくる』であれば、閨怨(けいえん・寝室で夫の不在を嘆く妻という意味・出征兵士の妻が嘆くテーマは定番)の漢詩でも引いてきたでしょう。
このドラマにそんなことを期待する方が悪いんですかね。
どうするアピール自害
本作名物、くだらない回想シーンの始まりです。
のっけから、わざとらしく自害をしようとするレーシックお愛。
本気で死ぬ気なんて感じられません。
確実な死を狙うなら、重力を活かし、喉や胸に伏せるようにするのでは?
しかし、そんなつもりはないんだな。
自害ポーズなのにカメラを意識したポージング。
自宅にいながら死装束に着替えるわけでもなく、しかも幼い我が子が至近距離でいる。
で、案の定、止まる。
まったくもって幼稚すぎます。なぜ、こんなイージーな展開しか考えつかないのでしょうか。
本作はマザーセナといい、家族の前で頸動脈を切る自害が流行っているの?
真面目に死ぬことを考えていませんよね。
お愛がどういう経緯で嫁いできたか、なんてハッキリ言ってどうでもいい。
偽りは笑顔ではなく近眼設定では?
嘘でもいいから笑っているとお葉に言われたの、だあから無理やり笑っていたの♪
これが泣ける話だと思っているセンスが痛々しい。
ファストフード店コマーシャルじみた笑顔はそういうことですか。だから何なのか。
おまけに回想シーンでマザーセナが出てくるからもう、ますますガッカリ感が募ります。
衣装のセンスもしょーもないし、筆の持ち方もおかしいし、1ミリたりとも見応えナシ。
どうするロマンチックラブイデオロギー
「殿はお慕いしているわけじゃないし」とか、わざわざ日記に書く意味がわかりません。
本作は恋愛脳の人物しかでてこないの?
親や人の上に立つ者の責任なんてない。いくつになっても恋バナしか頭にない。だから幼稚きわまりない。
恋愛ばかり考えている心理状態は「ロマンチックラブイデオロギー」と呼ばれ、人類普遍というわけでもありません。
当時、好きでもないのに嫁ぐ人なんて周囲にいくらでもいたでしょうよ。
それを自分だけが世界一不幸だと言わんばかりにぶりっ子アピールするレーシックお愛には、薄気味悪さしか感じられないのです。
◆ロマンティックラブの結末は? 夫と妻の温度差を「関係性ステータス」で測ろう(→link)
稲と真田信幸の縁談話が進んでいます。
そこへレーシックお愛が偶然通りかかる。
力量のない制作陣が物語を作ろうとすると、とにかく偶然頼りのストーリー展開になりますが、今回もその法則をバッチリ踏襲。
レーシックお愛の恋心はどうでもいいから、なぜ彼女が通りかかると何かが起こるのか、そしてどのようにして視力を回復させたのか、そこがむしろ知りたいです。
稲と信幸の縁談に時間を使う意味もわかりません。
この二人はおもしろおかしく馴れ初めが創作されました。
『真田太平記』にもある、高飛車な稲が婿候補を手荒に扱った話は有名です。
実際にあったか、創作されたのか――そこは取り入れる側の判断によりますが、アレンジした結果、下方修正されるのがこのドラマのお約束もとい呪縛でしょう。
どうする「いい笑顔じゃの」
突然、家康がわざとらしくレーシックお愛の笑顔を褒めだすあたりが、わざとらしい。
そんな話は今までない。辻褄合わせですね。
退場回になってやっとテーマを入れ込んでくるとかどんだけ無茶苦茶なのでしょうか。
笑顔よりも、コロコロと変化する視力の謎の方がよっぽど気になります。
偽りなのは笑顔でなくて近眼設定ではありませんか?
だいたい、笑顔の作り方がわざとらしい。愛する人に対するものというよりも、ファストフード店員の笑顔なんですよね。
どうする北条の処理
秀吉が出てきたかと思ったら、家康と茶飲み話感覚で説明セリフのラッシュ。
北条氏直には娘が嫁いでいるとか、真田に納得させるとか、脚本家が勉強して辻褄合わせをしている感が漂っています。
そしてそこへ氏政が歩いてやってきて、今度は北条の立場を説明セリフで語る。
とにかくもう、立ったまま説明セリフの繰り返しでシンドい!
視聴率の低迷はこうした要素も影響しているんでしょうね。
多くの視聴者は「これ、説明セリフが長すぎない?」なんてツッコミは入れない代わりに、「なんか、このドラマ面白くないな」となって、チャンネルを変えるか、テレビを消すだけ。
だから今回の視聴率では、三度目の二桁割れを記録してしまったのではないでしょうか。
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この稲はどうしたのか?
じゃじゃ馬を通り越して、ただ単に不愉快で幼稚に見える稲。
腹ではなく、頭のてっぺんからキンキン声を出すような発声で、演技も硬いし、表情の作り方もヤンキードラマじみている。和装らしい所作もできていない。
一から十まで何一つ褒めるところが見つかりません。
時代劇に慣れていない若い俳優の責任というより、演技を指導する側の問題でしょう。
もう、慣れぬ衣装を着こなすだけで精一杯のように見えます。
しかも、稲の衣装は緑と赤という補色の組み合わせであり、非常に難しい。相当うまいことやらないとマヌケになってしまう。
ドラマ10『大奥』の徳川綱吉は、まさにその衣装がキャラに合っていてよかった。稲は違うのでは?
衣装といえば本多忠勝のくずれた龍紋みたいな柄もなんなんですかね。安っぽい土産品にしか見えない……。
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