たとえ紫式部の名前を知ってはいても。
その父となると、かなりの歴史好きや『源氏物語』ファンでないとわからない。
今年、その状況がガラリと変わりました。
大河ドラマ『光る君へ』で岸谷五朗さんが藤原為時を演じているからです。
難関大学の日本史テストでも絶対に出てくることのない「藤原為時」こそ紫式部の父であり、劇中でも第1話から非常に重要なポジションに就いている。
この藤原為時、史実では一体どんな人物だったか?
その生涯を振り返ってみましょう。
※以下は紫式部の生涯まとめ記事となります
紫式部は道長とどんな関係を築いていた?日記から見る素顔と生涯とは
続きを見る
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
師貞親王(花山天皇)の副侍読に
藤原為時は、有力者を多数輩出した藤原北家の流れを汲んでいます。
しかし、決して身分の高い生まれではない。
生没年も明確ではなく、最初の官職も蔵人所の雑色(雑用係)というものだったとか。
雑色から蔵人(天皇の身の回りの世話係)に進む人が多いのは確かですが、為時の本領を発揮する場所ではなかったのでしょう。
なぜなら為時は漢詩の才に恵まれ、菅原文時という人に師事する文章生という経歴の持ち主でした。
文章生とは紀伝道(中国史を中心とした歴史)を学んだ学生のことですので、為時は「学者兼詩人」といったイメージが近いのかもしれません。
偉い人達のおぼえは悪くなかったようで、貞元二年(977年)には当時の東宮・師貞親王(のちの花山天皇)の御読書始において、副侍読を務めました。
「御読書始」というのは書いて字のごとく、高貴な生まれの子弟が初めて書を読む=学習を始める儀式のことです。
侍読はその先生役ですから、現代でいえば、担任が侍読で副担任が副侍読という感じですかね。
大河ドラマ『光る君へ』では、段田安則さん演じる藤原兼家のスパイとして東宮・師貞親王(のちの花山天皇)のもとへ送り込まれていましたが、あれは創作。
藤原兼家の権力に妄執した生涯62年を史実から振り返る『光る君へ』段田安則
続きを見る
史実の為時は、要所要所でエライ人に接する機会を得つつも、実際の官位はさほど上がらない状況が続きました。
しかし、師貞親王が即位して花山天皇となると、運命が好転し始めます。
“式部”丞・六位蔵人の官職
藤原為時の運命はどう好転したのか?
花山天皇の即位により、その外叔父となった藤原義懐(よしちか)。
この義懐に引き立てられ、為時は式部丞・六位蔵人の官職を受けることとなります。
式部丞は式部省という役所の役人で、後に紫式部の女房名になりますね。
ちなみに紫式部の「紫」は源氏物語の紫の上からきているとされ、女房になった当初は「藤式部」と呼ばれていたそうです。
モヤッとする位階と官位の仕組み 正一位とか従四位ってどんな意味?
続きを見る
六位蔵人は、蔵人の中でも毎日天皇の側に仕える役目であり、天皇の側近とみなされました。
ここでもやはり為時は出世の緒をつかんでいたといえるのですが……。
程なくして政変が勃発、花山天皇が電撃的な退位をするのです。
詳細は以下の記事に譲り、
花山天皇は寛和の変だけじゃない!道隆の子供たちとも激しく揉める波乱万丈の生涯
続きを見る
端的に説明しますと。
藤原道兼が、花山天皇を騙して急遽出家させたのです。
道兼とは、大河ドラマ『光る君へ』でまひろ(紫式部)の母を背後から刺殺した藤原兼家の息子であり、三郎こと藤原道長の兄ですね。
その余波を受けた為時も官職を失い、以降10年ほど不遇を強いられました。
※続きは【次のページへ】をclick!