『べらぼう』平賀源内を廃人にした薬物はアヘンか大麻か?

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『べらぼう』平賀源内を廃人にした薬物はアヘンか大麻か?黒幕・一橋治済と共に考察

平賀源内を追い詰めた、怪しげな煙草(薬物)の正体はなんなのか?

大河ドラマ『べらぼう』の第16話が終わり、にわかに議論白熱しているこの話題。

制作サイドから公式発表はなく、SNSを中心に以下のような“推測”が出回っています。

①あの煙草(薬物)はアヘンではないか?

②アヘンは、薩摩が琉球を経由して、清から密貿易で入手したものであろう

③なぜなら一橋治済は薩摩と縁が深い

ドラマの中で、源内暗殺の黒幕として示唆されたのは、生田斗真さん演じる一橋治済です。

その治済が第16話で「薩摩の芋は美味いのぅ」とニヤニヤしながら満足そうに頬張っており、「薬物(アヘン)」と「薩摩」と「一橋治済」という3つの疑惑が取り沙汰されているわけですね。

果たしてこれはどこまで妥当と言えるのか?

アヘンに注目する前に、まずは一橋治済と薩摩(サツマイモ)の関係性から考察して参りましょう。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

 


サツマイモは当時の江戸でも出回っていた

一橋治済が食していたサツマイモは、当時の江戸でどれぐらい普及していたか?

「サツマイモ」という名の通り、この作物は薩摩とのゆかりが深い。

琉球経由で伝わると、稲作に適していない薩摩の地での栽培が奨励され、18世紀までにはすっかり定着していました。

薩摩では「唐芋」と呼ばれます。

ここでの「唐」とは海外からの渡来品という意味であり、必ずしも中国由来とは限りません。

琉球を経由してきた外国のものという認識だったのでしょう。

それがいつしか「サツマイモ」と呼ばれるようになり、救荒作物として日本列島を北上してゆくと、8代将軍・徳川吉宗の目にも留まりました。

植物の栽培に熱心だった吉宗――その吉宗の眼鏡に適ったのが、サツマイモの研究本『蕃藷考』を記した青木昆陽です。

青木昆陽/wikipediaより引用

この青木昆陽や吉宗の働きによりサツマイモは広く認知されるようになり、『べらぼう』が始まる安永年間にはすっかり定着、江戸っ子にもお馴染みの食材となっていました。

あらためてドラマに注目してみましょう。

一橋治済がサツマイモを食していたのは、割と庶民的な楽しみ方と言えます。

江戸城でのデザートともなれば、もっと贅沢なカステラが登場することもありますので、つまり、あの場面は色々な解釈ができます。

一橋治済にしては、気軽なものを食べているものだと考えるべきなのか?

それとも薩摩との繋がりを示唆していると考えるべきなのか?

なお、この場面では、源内の家から盗まれた原稿が燃やされていました。視聴者にとっては、一橋治済の手による者が「源内の家で工作を行なっていた」という証にもなりますね。

その上で平賀源内に用いられた薬物は、清~琉球~薩摩を経由したアヘンだったのか?

 


アヘン

アヘンといえば、イギリスが清で蔓延させた惨状を思い浮かべる方が多いでしょう。

アヘンを吸う中国人/wikipediaより引用

あのときイギリスが清に密貿易で持ち込んだアヘンは、インドで栽培したものです。

18世紀半ばから、およそ一世紀かけてインドを支配したイギリス。

平賀源内の没年である安永8年(1780年)はその途上であり、大規模なケシ栽培とアヘン製造には至っていないはず。

劇中の頃、清は乾隆帝の治世にあたり、アヘン戦争で大打撃を受けるまでかなりの間があります。

そもそもアヘンは、それ以前に薬物として認識されており、平賀源内が学んだ本草学の書物でもそうした使い方が記されています。

劇中当時は日本でも栽培されておりますので、薩摩ルート以外でも医薬品だのなんだのと言い募ることで調達できる。

わざわざ清~琉球~薩摩ルートを使って輸入する必要性はないんですね。

 


キノコ

不思議なキノコを食べて、笑いが止まらなくなった話は『今昔物語』にもあります。

ワライタケやシビレタケ。

ワライタケ/wikipediaより引用

とはいえ、こうした事故は誤食によるものが多く、狙って引き起こすには少々厄介。

計画的な暗殺を企む者が用いるにはリスキーすぎるでしょう。

そこで注目したいのが大麻です。

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