『べらぼう』平賀源内を廃人にした薬物はアヘンか大麻か?

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『べらぼう』平賀源内を廃人にした薬物はアヘンか大麻か?黒幕・一橋治済と共に考察

2025/04/26

平賀源内を追い詰めた、怪しげな煙草(薬物)の正体はなんなのか?

大河ドラマ『べらぼう』の第16話が終わり、にわかに議論白熱しているこの話題。

制作サイドから公式発表はなく、SNSを中心に以下のような“推測”が出回っています。

①あの煙草(薬物)はアヘンではないか?

②アヘンは、薩摩が琉球を経由して、清から密貿易で入手したものであろう

③なぜなら一橋治済は薩摩と縁が深い

ドラマの中で、源内暗殺の黒幕として示唆されたのは、生田斗真さん演じる一橋治済です。

その治済が第16話で「薩摩の芋は美味いのぅ」とニヤニヤしながら満足そうに頬張っており、「薬物(アヘン)」と「薩摩」と「一橋治済」という3つの疑惑が取り沙汰されているわけですね。

果たしてこれはどこまで妥当と言えるのか?

アヘンに注目する前に、まずは一橋治済と薩摩(サツマイモ)の関係性から考察して参りましょう。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅

 


サツマイモは当時の江戸でも出回っていた

一橋治済が食していたサツマイモは、当時の江戸でどれぐらい普及していたか?

「サツマイモ」という名の通り、この作物は薩摩とのゆかりが深い。

琉球経由で伝わると、稲作に適していない薩摩の地での栽培が奨励され、18世紀までにはすっかり定着していました。

薩摩では「唐芋」と呼ばれます。

ここでの「唐」とは海外からの渡来品という意味であり、必ずしも中国由来とは限りません。

琉球を経由してきた外国のものという認識だったのでしょう。

それがいつしか「サツマイモ」と呼ばれるようになり、救荒作物として日本列島を北上してゆくと、8代将軍・徳川吉宗の目にも留まりました。

植物の栽培に熱心だった吉宗――その吉宗の眼鏡に適ったのが、サツマイモの研究本『蕃藷考』を記した青木昆陽です。

青木昆陽/wikipediaより引用

この青木昆陽や吉宗の働きによりサツマイモは広く認知されるようになり、『べらぼう』が始まる安永年間にはすっかり定着、江戸っ子にもお馴染みの食材となっていました。

あらためてドラマに注目してみましょう。

一橋治済がサツマイモを食していたのは、割と庶民的な楽しみ方と言えます。

江戸城でのデザートともなれば、もっと贅沢なカステラが登場することもありますので、つまり、あの場面は色々な解釈ができます。

一橋治済にしては、気軽なものを食べているものだと考えるべきなのか?

それとも薩摩との繋がりを示唆していると考えるべきなのか?

なお、この場面では、源内の家から盗まれた原稿が燃やされていました。視聴者にとっては、一橋治済の手による者が「源内の家で工作を行なっていた」という証にもなりますね。

平賀源内に用いられた薬物は、清で流通しるもので、琉球と薩摩の密貿易により、治済が入手したアヘンだったのか?

 


アヘン

アヘンといえば、イギリスが清で蔓延させた惨状を思い浮かべる方が多いでしょう。

アヘンを吸う中国人/wikipediaより引用

清で蔓延したアヘンは、イギリスが清に密貿易で持ち込んだものです。対清貿易で赤字になったイギリスは、インドで大量に栽培したアヘンを売りつけ、赤字を補おうとしたのです。

18世紀半ばから、およそ一世紀かけてインドを支配したイギリス。

平賀源内の没年である安永8年(1780年)はその途上であり、大規模なケシ栽培とアヘン製造には至っておりません。

劇中の頃、清は乾隆帝の治世にあたり、アヘン戦争で大打撃を受けるまでかなりの間があります。

そもそもアヘンは、それ以前に薬物として認識されており、それを悪用する者もいなかったわけではありません。

平賀源内が学んだ本草学の書物でも、そうした使い方が記されています。

劇中当時は日本でも栽培されておりますので、薩摩ルート以外でも入手できます。そのうえで、医薬品だのなんだのと言い募ることができなくもありません。

わざわざ清と琉球を経由した、薩摩の密貿易ルートを使うまでもないのです。

 

キノコ

不思議なキノコを食べて、笑いが止まらなくなった話は『今昔物語』にもあります。

ワライタケやシビレタケ。

ワライタケ/wikipediaより引用

とはいえ、こうした事故は誤食によるものが多く、狙って引き起こすには少々厄介。

計画的な暗殺を企む者が用いるにはリスキーすぎるでしょう。

そこで注目したいのが大麻です。

 


大麻

入手しやすく、かつ煙草に混入しやすいのが大麻ですね。

大麻草/wikipediaより引用

忍者は大麻のことを「阿呆薬」と呼び、実践に用いていました。

当時までに栽培や利用方法も確立していて取り扱いやすい。

源内の家にやってきた蔦重が、門前で何かの臭いを察知する場面もありましたが、確かに大麻には独特の臭いがあり、家の外まで届いても不思議ではありません。

源内がもしも長屋住まいであれば、異臭騒ぎになっていた可能性もある。

事件が起きた際、源内が住んでいた場所は“不吉の家”と呼ばれる没落した検校の持ち家でした。広さからして、元は武家のものと推察できなくもありません。

庭と隣近所と距離があり、悪い噂があって立ち寄りにくい――そんな場所であれば、大麻を用いても発覚しにくくなるでしょう。

臭いを考慮するのであれば、わざわざ引越しまでさせたことに理由がつけられます。

臭い抜きにしても、ああも大掛かりな犯行となると、長屋ではできないことは当然考えられますが。

 

本草学者の平賀源内をどうやって騙したか?

平賀源内を狂わせたのはアヘンではなく大麻――そう結論づけたくなりますが、一つ重要な問題があります。

植物の研究をしている本草学者の源内であれば、大麻の臭いぐらいすぐに見抜けるだろう?

いや、アヘンだって、キノコだって、何か事前に異変を察知できていたに違いない。

なのになぜ容易にハマってしまったのか?

原因は判断力の低下でしょう。

平賀源内の頭脳がそれほどまでに働かなくなっていたということであり、そうした状況は劇中でも幾度か描かれていました。

決定打となったのがエレキテルです。

平賀源内作とされるエレキテル(複製)/wikipediaより引用

源内は弥七という助手によってエレキテルの製法を盗まれ、偽物を作られ、大量に売られてしまいました。

この偽エレキテル騒動により、源内の名声は地に落ちてしまいます。

しかし、本物のエレキテルにしたところで、医学的な効果がないことは劇中で示されています。

蔦重は、源内製のものを入手した松葉屋の女将いねから、インチキだと聞かされた時点で異変を覚えておりました。

さらに、源内の盟友であり、蘭方医の杉田玄白が「エレキテルに効果はない」と断言する言葉も聞いてますます疑念を深めたのでした。

通常時の平賀源内であれば、玄白のような蘭学者と語りあい、エレキテルの作用がないことを冷静に分析できたはずですが、偽物事件以来、それほどまでに心を蝕まれていたのです。

アヘンの副作用としては、吐き気、嘔吐、便通の悪化があります。

源内にはこうした症状は見られません。ドラマでは再現しにくいものばかりですが、仮にアヘンを使用するという設定でしたら、何らかの症状を見せたのではないでしょうか。

では大麻はどうか?

その副作用としては、天才を追い込む上で実に都合のよいものが揃っています。

・知覚、反応が歪み、鈍くなる

・短期記憶障害

・知能低下

・精神状態の悪化

源内の取り柄である知能が鈍くなってゆく。煙草と比べて依存症は低いとされるけれど、独特の浮揚感に溺れるとやめられなくなる。

ということで気づいた時には手遅れになっていたのでしょう。

劇中で源内が死に追いやられた理由は、徳川家基謀殺事件の捜査をしていたことが挙げられます。

徳川家基/wikipediaより引用

「鋭敏な頭脳も過去のもの、源内はもうダメだ、奴の言うことはインチキだ」と世間に知らしめるためには、彼を中毒にし、知能を破壊しておく必要があったのでしょう。

そこまで追い詰められておきながら、源内は明晰な頭脳で真相究明に挑む原稿を記していました。

その原稿も、サツマイモを焼くためにこの世から消え去ってしまうのですが。

一方で、一橋治済は健康体です。

頭も切れるうえに、朝から生卵を飲んでスタミナ補給をしていたと噂されるほどタフ。

ゆえに彼の記憶には、「源内は殺人犯ではない」と主張した須原屋市兵衛や、あの手袋についての原稿を依頼した蔦屋重三郎の名前が刻まれたことでしょう。

二人は、治済にとって邪魔者となったのです。

繰り返しますが、アヘンにせよ、大麻にせよ、公式発表がない以上は断定はできません。ご了承ください。

 

判断力の低下が思わぬ事態を招く

あれほど優れた人間が、どうしてあんなことをしてしまうのか――歴史ミステリを考える上で、この視点は重要でしょう。

『べらぼう』チームが手がけた大河ドラマの前作は『麒麟がくる』でした。

あの作品では、かつて巷を賑わせた【本能寺黒幕説】を否定していましたが、そもそもなぜ黒幕説などが広まったのか?

この説は信長人気の上昇に比例して生まれてきたものであり、根底にあるのは、こんな思想でしょう。

「織田信長ほどの英傑が、嫡男と共に油断して本能寺に宿泊するはずがない。ましてや明智光秀が進軍できる距離にいたのだ」

そこで「信長は騙された」とする推理が広まっていったのです。

あるいは、信長を討ち果たした後の「明智光秀の計画が粗雑すぎる」という見解もあります。

果たしてこうした指摘は正しいのか。

人間、どんなに優れていようとも、体力や判断力が低下していれば過ちを犯すものです。

どんな屈強なレスラーであろうと、怪我をしていて杖をついていれば、力の弱い相手に倒される。事件当日、信長や光秀が何らかの理由で判断力が低下していてもおかしくはありません。

『麒麟がくる』では、織田信長がのし上がるうえで精神の安定を欠いてゆく様が描かれました。

彼の悩みを受け止めていた妻の濃姫も距離を置いてしまい、光秀との間にも齟齬が生じ、孤独であったのです。

光秀急襲の報を聞いた時の信長はどこか安堵したようにも思えました。

彼の精神は限界だったのでしょう。

襲撃した側の光秀も精神的に追い詰められ、突発的な襲撃であると描かれていました。

あれでは周到な計画ができなくとも不思議はありません。

劇中の二人は精神的にどこか不安定なところもあり、しばしば激昂し、孤立することもありました。

どんなに優れた人間でも、精神が不安定であればミスはあるのです。

この精神的な不調が『べらぼう』の平賀源内にも発揮させられているように思えます。

そして恐ろしいことに、源内一人のこととも思えない。

盟友である平賀源内の窮地に、田沼意次は動揺を見せておりました。

このあと彼は、相次ぐ天変地異、嫡男・田沼意知の急死といった精神的打撃に遭遇しますので、その精神が蝕まれてゆくことは容易に想像できます。

さらに蔦屋重三郎にも注目しておきますと、本能寺黒幕説と並ぶ日本史ミステリとして【東洲斎写楽の正体】もあります。

現在ではほぼ確定しており、かつてほどの盛り上がりは見せておりませんが、だからといって彼にミステリがないわけではない。

東洲斎写楽は、なぜ彗星のように消えてしまったのか?

これは版元である蔦重の販売戦略ミスといえる。

同時期にライバルとして【役者絵】を売り出した歌川豊国は、江戸っ子の需要に一致する魅力的な作品を売り出しました。

西村屋与八ら、彼を売り出した版元の読みも的確です。

豊国の絵は、役者の長所を引き出しています。ファンならば手元に置きたい。そんな魅力を封じ込めた作風でした。

歌川豊国『役者舞臺之姿繪』/wikipediaより引用

一方の東洲斎写楽は、役者が見せたくもない、ファンも別に見たくもない、生々しい欠点まで描いた。

東洲斎写楽/wikipediaより引用

江戸っ子の心理を熟知しているはずの蔦重が、ファン心理を読み損ねてしまう。その背景には何があったのか――という苦い展開まで想像できてしまう。

精神が崩れ、去ってしまった平賀源内

ドラマの区切りをつけるうえで実に秀逸な役割を果たしたといえます。

彼は、どこか不穏な毒まで残していきました。

 

一橋と薩摩の関係は“毒”となる

では、一橋治済がサツマイモを食べていた描写は意味がないのかというと、実はそうとも言い切れません。

薩摩と一橋の関わりは、あとの時代により一層深刻になります。

吾妻鏡』を愛読していた徳川家康は、将軍に対する外戚の干渉を防ごうとしてもおかしくはありません。

なにせ、彼がロールモデルとした源頼朝の子孫たちは、外戚北条氏に乗っ取られてしまったのですから。

2代・秀忠の場合、江与の実家である浅井家は滅んでいるので問題はありません。織田信長の姪であるとはいえ、織田家も無力化されています。

3代・家光以降は、西の公家から正室を娶ることが慣例化しました。正室から嫡子が生まれることもなく、徳川将軍家は父方の血筋が重視される父系制が確立したといえます。

それが崩れてしまうのが、11代・家斉です。

家斉正室・広大院は島津家出身の姫君でした。

茂姫(広大院)/wikipediaより引用

この薩摩という楔が将軍家に打ち込まれたれたことは、幕末において禍根となります。

13代・家定には男子がなく、14代将軍は誰にするかという問題が浮上しますが、本来であれば問題になるような話ではありませんでした。

血統からすれば、紀州から徳川家茂を将軍に迎えることで確定していたのです。

そこに水戸藩の徳川斉昭がしゃしゃり出てきて、一橋当主である我が子の慶喜を将軍候補にねじ込んできた。

慶喜の方が年長であるとはいえ、【御三家】の紀州と【御三卿】の一橋では本来比較にもなりません。将軍の器量云々を持ち出されても、本人より股肱之臣が重要であるべきです。

ここにトリックが見てとれます。

斉昭は我が子を将軍にすべく、本来は幕政に関われない大名にまで、慶喜のもとでならば参与できると餌をちらつかせておりました。

徳川斉昭(左)と徳川慶喜の親子/wikipediaより引用

要するに、幕末の【将軍継嗣問題】の【一橋派】は、政治参画したい熱意ある大名も含まれていたということです。

黒船来航でただでさえ忙しいのに、こんな政治問題を起こして幕府を分裂させ、いったい何事なのか。

斉昭による政争は、あまりにも無駄の多い、幕政を疲弊させるものでした。

それもこれも、徳川家基ではなく家斉が11代将軍となり、薩摩なんぞから御台所を迎えたからではないか――そう嘆く幕臣がいても無理はありません。

実のところ、幕末明治の彼らは「薩摩だけは許せぬ」と歯噛みしていたものです。

サツマイモを食べる一橋家当主というのは、幕末まで考えると猛毒そのもの。この毒は2027年『逆賊の幕臣』にまで及んできます。

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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